盛り上がらない市場として見た場合の日本の自動運転技術

さてここからは、産総研 臨海副都心センター(今回のデモ会場のすぐ近所)のデジタルヒューマン工学研究センターの副センター長兼ヒューマノイドインタラクションチーム長を兼任する加賀美聡博士にうかがったことをお伝えしたい。

まず、今回のASV技術とその先の自動運転技術について、トヨタの公道デモのところでも少し触れたが、日本でどのように扱われているのかを述べたい。加賀美博士によれば、正直にいって、日本は自動運転技術の開発に関して民意がまったく盛り上がっていないという。「自動運転なんて必要ないよ」というか、「自動運転?」という感じのようだ。

例えば、今回のデモにしても、会議自体は18日の金曜日の時点で終わったのだが、紹介した公道デモや衝突回避・被害軽減ブレーキのデモは19日土曜日も行われていた。それにもかかわらず、閑古鳥がないている状態で、ASV技術に関してほとんど関心を持ってもらえなかったようである。そばには日本科学未来館、18mガンダムの立つお台場 ダイバーシティ東京プラザ、トヨタの展示施設メガウェブとそれに隣接したショッピングモールのヴィーナスフォートなどなど、いくらでも人で賑わう施設はあるのだが、ほとんど屋外デモ会場までは人が流れてこない、という具合。

お台場ではよく青海地区の駐車場を使ってモータースポーツのイベントが行われるが(実際、前週の10月13日(土)・14日(日)は「モータースポーツジャパンフェスティバル」が開催されていた)、それに近い車のイベントとしては一般には見てもらえなかった、ということらしい。

どうやら事前の告知もファミリー向けとしては行われていないし、「世界会議」と銘打っているから遊びに行くものではないと理解されてしまったことと思われるが、そもそも自動運転技術自体にあまり関心が持たれていない、ということもあるようである(もっとわかりやすい告知をすべきだったのは事実で、衝突回避・被害軽減ブレーキの同条走行体験デモは、ちょっとしたアトラクションとしても楽しめるものだったのでもったいなかった)。

この自動運転技術、欧米では、馬から車、そしてその次として期待というよりは、切望という方が正しい状態で、「早く自動運転技術を実用化してくれ」が特に米国は国民のコンセンサスが統一されているという。何しろ、あまりにも国土が広大なため、公共機関ではカバーしきれず、人々は車がなければ生活ができない、というのが米国である。免許を返上すべきではないかというぐらい感覚や運動神経などが衰えてきている高齢者であっても、車がなければ生活していけないという人は大勢いるわけで、自動運転技術は明日どころか今日中にでも実現してほしい、というぐらいなのだ。

よく、米軍に最新技術を軍事に用いるための機関であるDARPA(国防高等研究計画局)が「アーバンチャレンジ」をかつて開催したことで、米国では自動運転技術(ロボットカー)開発の弾みがついたといわれ、米国は軍がお金を出してくれるからうらやましい、などと語られているわけだが、加賀美博士によれば実は逆なのだという。先ほど述べたように、民意が「今日にでも自動運転技術を実用化しろ」という具合なので、大学や研究機関などがロボットカー開発に力を入れており、さらにもっと資金を出してくれという形となり、DARPAも軍事用のロボットカーがほしいという側面もあって、アーバンチャレンジが開催されたのだという。

こんな具合なので、自動運転技術には米国はかなり力を入れていて(一般道で開発テストを行ってもいいなど、日本とは比べものにならないほど積極的)、すでにGoogleカーが走っているのをご存じの方も多いはずだ。欧州でもドイツなども当然ながらかなりの開発が進んでいる(今回のデモで欧州メーカーはBMWのみだが、当然メルセデス・ベンツなどほかのメーカーも技術は持っている)状況で、日本はノンビリしていると(国内メーカーや加賀美博士ら研究者らはノンビリしているわけではないが、何度もいうが警察をはじめとする行政や法律が足かせとなっており、自動運転技術を真に望んでいるであろう高齢者や身体が不自由な方の声などが取り上げられにくい状況である)非常にマズイ事態になってしまう危険性があるのだ。

せっかく、日本の自動車メーカーは世界と渡り合えるどころかリードするところまで成長し、自動運転技術だってそれなりのものを持っているのに、このままでいると後れを取ってしまう可能性がある。しかも、低価格路線ではインドのタタなどの新興メーカーが勢いを持っている(とはいえ、日本車と違っていきなり燃え出したりすることがあるらしいが…)、機能面でも大したことないのに、安くもないということになれば、日本車は世界で戦えなくなっていってしまう可能性が出てくる。

FAロボットの開発時には欧米の労働者たちは「自分たちの仕事が奪われる」と猛然と反対したが、日本ではあまり反対がなかったために日本メーカーのFAロボットが世界を席巻することとなったそうだが(最近は少しずつ減ってはきているが)、自動運転技術に関しては、どうもその逆ともいえる状況で、日本では民意が高まらない、行政も一致団結して後押しとはいかず、開発を押し進める方向にならない。日本では今もって「自動運転は必要なの?」という状況なのである。

何でも加賀美博士によれば、とある名の知られた車雑誌の編集者が産総研の「自律移動車からの他車の発見と停止デモ」を見にきた際に、「自動運転は反対、いらない」的なことをいったそうで、こうした専門メディアの人間ですら、そういう見方をしているのだから残念である。おそらく、その編集者の発言にしても、自分が何よりも楽しいと思っている車の運転を機械なんかに奪われたくない、という気持ちから出たのだろうとは想像がつくし、その気持ちもわかるのだが、それは早とちりにも程があるのではないかといいたい。

今の大人が生きている間は、自動車メーカーのラインアップがすべてロボットカーに変わってしまって、自動運転技術の搭載されていない車に乗るのは法律で禁止! という状況も当分の間はあり得ないだろう(部分的に高齢者にはロボットカーを推奨、といった流れにはなるかも知れないが)。100年後にしても、手動運転のクルマが走っているはずだ。そう思えば、もっと広く、また将来的にものを考えてほしいところである。自動運転技術というのは、当面は、車が生活に必要なのに車をもう運転できないような方々のためのものであり、運転を楽しみたい人からそれを奪うものではないのだから。

首都圏に住んでいると、JRや私鉄、地下鉄などが張り巡らされており、そのすき間を縫って都営バスや私鉄バスも走っていて、あとは自転車があればほぼ問題なく生活できてしまうので勘違いしやすいのだが、日本でも公共交通機関にあまり頼れない地域はいくらでもあるし、そんな地域に住んでいる足腰の弱っている高齢者や身体の不自由な方にとって頼れるものといったら車しかないはずだ。そこへ持ってきて、高齢者の誤った運転による事故が増えているから検査に合格できなければ免許返上という流れになってきたわけで、車がなくなったらどうやって移動すればいいのだろうか?

確かに、地域住民のことをきちんと考えて、乗り合いバスや乗り合いタクシーなどを運営している行政やボランティア組織、企業などもあるが、あらゆる地域でそれが実践されているわけではなく、やはり個人個人が、少なくとも1軒に1台は車が必要な人たちも多い。そんな状況で、高齢者や身体が不自由な方が安全に利用できる移動手段となると、乗り込んで行き先をセットさえすれば自宅との間を往復できる自動運転技術以外にないのではないだろうか。

さらにいえば、都会に住んでいようが、年齢的な問題がなかろうが、自動運転技術というのは誰でもそのメリットを享受できるはずだ。例えば、筆者はライターを生業としているのでちょっと特殊な仕事かも知れないが、徹夜して原稿を仕上げて、たまにそのまま次の取材で遠方まで行かないとならない、しかも車で行かないと行った先での足がないなんてこともある。そんな時に愛車に自動運転技術が搭載されていたらとよく思う。現地に到着するまで仮眠することもできるからだ。

さらには、世の中のお父さんなら、仕事でクタクタのまま家族サービスに突入して、運転できるのが自分しかいないから睡魔と闘いながら遠距離のドライブを行ったなんて経験が、誰しも1回ぐらいあるのではないだろうか。そのほかにも、お盆の帰省などで渋滞何10kmという精神力の限界に挑戦するような過酷さを味わった方だっているはずだ。そんな時にカーナビで目的地を設定、「あとは寝てるから、何かあったら起こしてくれ」とできたらどれだけ楽でなおかつ安全か、考えれば簡単な話である。

もちろん、自動運転技術を付加することで車の価格が上がるのは間違いないわけで、そうしたデメリットはあるのだが、その価格が上がる分の価値がないという人は、選ばずメリットを享受しなければ良い話だ。よって、メーカーは自動運転技術をオプションにするか、もしくは自動運転技術を搭載していないグレードも用意する必要はあるだろう。

しかし、なぜみんな自動運転を嫌がる(というか無関心なだけかも知れないが)のだろうか? 暴走して勝手に走りそうで信用できないということなのだろうか? それとも、車とは人が運転するもの、という価値を守りたいだけなのだろうか? 今回のトヨタ車の公道デモでちょっと手放しをして走行したことに対して、それを否定的に扱ったメディアの対応には、本当に理解できない。センセーショナルにして注目さえ集められればいい、という考えの下でのことなのだろうか?

これからの技術などに対しては、ありのままに進捗状況を伝えて、あとは世間に判断してもらうのがメディアだと思うのだが、なぜ警察が正式に手放ししても安全面で問題ないということで許可を出しているのにもかかわらず、あえて警察関係者にそのことに否定的な意見をいわせてそれを掲載しているのかよくわからない。

自動運転の危うさに対して警鐘を鳴らしている、ということなのだとしたら、どんなデータの下に技術的に判定したのか教えてもらいたいところだし、そこまで世界に誇るトヨタの技術力を信じられないという理由も聞いてみたいところである(事故を起こす可能性のあるものを公道デモに出してくるわけがないはずだ)。どんな機械的なトラブルが発生するかわからないから危険だ、ということなのだとしたら、それはどんな乗り物に対してもいえるわけで、それをいい出したら何にも乗れないということになるのではないだろうか。

まぁ、ともかく新しいものに対して身構えてしまって本能的な怖さから受け入れられないのか、センセーショナルに書いて自分の記事や媒体さえ注目を集められればいい、ということなのだろう。後者はもう放っておくしかないとして、前者はやはり自動運転技術の重要性を訴え、時間をかけて世間一般に理解してもらうことで解決していくしかないだろう(その点で、今回のITS世界会議はアピールの仕方は残念だったと言わざるをえない)。

今でこそAT車も全盛で免許も「AT限定」で事足りてしまうわけだが、昔は「AT車はECUの故障で誤発進する危険性がある」とか「運転が簡単すぎるので子どもが勝手に運転してしまう」なんて問題もあって疑問符が持たれたり恐れられたり嫌われたりしていた時代もあった。しかし、今では「AT車をなくせ」なんてことをいい出したら、その人の頭の中が疑われる時代になっているわけで(「マニュアル車の方が走っていて楽しい」、という人はいくらでもいるが)、自動運転技術もきっとそういう時代が来ることだろう。ただし、その時に国内の自動車メーカーが世界的な競争力を失ってないことを祈りたい。

ともかく、自動運転技術は車がなければ生活ができない地方の人たち、特に高齢者の方々を間違いなく助ける技術だし(足腰の弱った方は地方も都会もなく助かるはずだ)、そのほかにも都会の人にだってメリットはある。ロボットカーが増えれば確実に事故は減るはずだし、渋滞に巻き込まれたってドライバーは例えばマンガを読んでいたっていいわけで、今ほどイライラすることも減ることだろう。帰省時の高速道路の何10kmという渋滞に巻き込まれても、お父さんは眠気と闘いながら疲れた身体にムチを入れてがんばらなくても抜けられるというわけである。

少々長くなってしまったが、自動運転技術に関して訴えさせてもらった。自動運転技術で欧米に差をつけられそうな現状に危機感を持っている研修者は何も加賀美博士だけの話ではなく、同じことを懸念している人は何人もいる。もしここまでお読みいただいて、自動運転技術に対して否定派だという方も、改めて「どういう理由で反対しているのか」ということと、これまで挙げてきた「自動運転技術が実用化されることで生じるメリット」について考えてもらい、改めて自動運転技術を否定すべきかどうかを考えていただきたい。意外と、「自動運転? 何かイヤだな」と、理由もなく感覚的に否定していたりしないだろうか? もちろん個人の意見は意見で大切なので、みんなで同じ考えである必要はないのだが、日本の未来のためにも、現在すでに困っている人たちのためにも、何がいいのか、ぜひ改めて考えていただきたいところである。