コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやOS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながら、ひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在するのをご存じでしょうか。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSに注目し、その特徴を紹介します。今回はMicrosoftがGUI採用OSとして、開発を推し進めた「Windows 2.0」を取り上げましょう。

自社独自路線を目指したMicrosoft

前回取り上げたWindows 1.0は、スクリーンショットをご覧になればわかるように、現在では想像も付かないほどシンプルなものでした。それでもリリースから二年後となる1987年には、Aldus(アルダス)のDTP(DeskTop Publishing:デスクトップパブリッシング)ソフトであるPageMaker(ページメーカー)などWindows 1.0向けソフトウェアがリリースされ、OS市場としては一定のシェアを保持していました。しかし、同年のMicrosoftはWindows 1.0に対して既に大幅な改良を施していた時期です。当時のコンピューター雑誌をGoogle Booksで確認しますと、1987年前半にはWindows 2.0のリリースを伝えるニュースが掲載されていました(図01)。

図01 Google Booksで参照できる「InfoWorld(1987年9月28日発刊)」。ニュース記事の一つとして、当時開発中だったWindows 2.0のスクリーンショットが掲載されています

Windows 2.0に関する資料はあまり多くないため、不明な点が数多くありますものの、当時のMicrosoftを述べる上で避けられないのがIBMとの関係です。当時のMicrosoftは、IBMが発売したパーソナルコンピューター「IBM PS/2」向けOSとして「OS/2」の開発を請け負っています(OS/2に関しては過去の記事をご覧ください)。「PC-DOS」という名称で販売されたMS-DOSはMicrosoftが100パーセントのコードを管理していましたが、OS/2は非常に重要な存在だったため、IBMが設計を行い、Microsoftはコーディングを担う契約でした。

詳しくは稿を改めますが、Windows 3.0のプログラムマネージャーとOS/2のPM(Presentation Manager:プレゼンテーションマネージャー)が類似しているのは、OS/2のGUI実装を英国IBMのハーズリーにある研究所が担うことになり、MicrosoftはPMの開発から一度追いやられた経緯があるからです。その後Bill Gates(ビル・ゲイツ)氏の粘り強い交渉により、OS/2のGUI開発チームに参加することができました。後のMicrosoftにとってPM開発への参加は大きなメリットとなり、IBMにとっては禍根を残すことになります。

この頃のIBMとMicrosoftの関係は蜜月という表現がなじむほど良好で、1987年4月2日(エイプリルフールを避けるため一日遅らせたというのが通例)には、両社がOS/2の開発意向表明。同年12月にはカーネルのみとなるOS/2 1.0をリリースしました。しかし、同バージョンはコマンドプロンプトとDOS互換環境の切り替えにとどまり、GUIパーツであるPMを搭載したバージョン1.1 SE(Standard Edition)をリリースしたのは1988年10月です。

このようにOS/2というOSの開発を行いながらも、Microsoftは自社OSであるWindowsの販売や開発を推し進めていました。背景には当初GUI採用に乗り気ではなかったIBMに対し、MicrosoftがOS/2用GUIパーツとしてWindowsを売り込んでいたという経緯があります。IBMは方針を変えてGUI採用に踏み切りますが、前述のとおり自社が中心となって開発することになり、Microsoftは独自路線を進まなければならなかったのでしょう。

ここから数年の月日は経ち、OS/2の開発や販売不振など相まって、Gates氏はOS/2に不信感を募らせます。Robert X Cringely(ロバート・X・クリンジリー)氏の著書「コンピュータ帝国の興亡」によると、Gates氏は「MicrosoftにとってDOSは善であり、OS/2はおそらく悪だろう」と突然ひらめいたとか。過去の記事でも述べたように、IBMとMicrosoftの関係は1990年7月まで続きますが、Microsoft社内ではOS/2と平行して、Windows OSシリーズの開発を続けていました。

ただし、Windows 1.0の開発チームリーダーを務めたScott McGregor(スコット・マクレガー)氏は退社し、開発チームは解散しています。現在のWindows 8に連なる源流を開発したDavid Cutler(デヴィッド・カトラー)氏がMicrosoftに入社したのは1988年10月ですから、Windows 2.0の開発には携わっていません(当時のCutler氏はDEC《Digital Equipment Corporation》で、次期RISCマシンとなるPrism《プリズム》の開発プロジェクトに参加していました)。そのため、Windows 2.0の開発には、現代に語り継がれるようなスタープログラマーは参加していなかったのでしょう。

なお、Windows 2.0のシステム要件ですが、ベースとなるMS-DOSはバージョン3.0が必要。コンピューター側は512キロバイト以上のメモリや、2D(両面倍密度)FDDドライブもしくはハードディスク、グラフィックアダプターカードが必要でした。