東京大学(東大) 大学院工学系研究科の染谷隆夫 教授と関谷毅 准教授を中心とした研究チームは、高温の滅菌プロセスに耐え得る柔らかい有機トランジスタを高分子フィルム上に作製することに成功したと発表した。同成果は、2012年3月6日(英国時間)に「Nature Communications」(オンライン版)で公開された。

薄膜プラスティック上に作製された高耐熱性有機トランジスタ。自己組織化単分子をゲート絶縁膜、高耐熱性有機半導体を半導体層に用いることでプラスティックフィルム上に低電圧駆動かつ高耐熱性有機回路の作製に成功した

有機トランジスタは、生体と整合性の良い高分子フィルムの上に容易に製造できるため、装着感のないウェアラブル健康センサや柔らかいペースメーカーなど体内埋め込み型デバイスへの応用が期待されている。しかし、その実用化に向けては、生体と整合性の高い機械的な柔軟さを生かしつつも、安全性の観点から、駆動電圧の低減(~2V)と滅菌による感染症のリスクの低減が求められている。しかし、有機トランジスタは、駆動電圧が高く(例えばディスプレイ用途では20~80V)、また熱に弱く高温の滅菌ができないため、健康・医療分野における実用化への大きな障壁となっていた。

研究グループでは今回、世界で初めて滅菌処理に耐えうる150℃の高耐熱性を有し、かつ駆動電圧2Vの有機トランジスタを高分子フィルム上に作製する技術の開発に成功した。この滅菌できる有機トランジスタの開発の決め手になったのは、厚さ2nmの「自己組織化単分子膜(SAM膜)」の開発に成功したこと。有機トランジスタの駆動電圧を低減するためには、ゲート絶縁膜の薄膜化が有効な手法として知られているが、安全性の観点から、駆動電圧を2Vまで低減するためには、ゲート絶縁膜の厚みをナノオーダーにまで薄くする必要がある。

研究グループではこれまでにも低電圧駆動を実現するためにSAM膜をゲート絶縁膜に応用した素子を実現しているが、今回の研究では耐熱性の視点から製造プロセスの最適化を実施。その結果、SAM膜を高分子フィルム上に高密度で向きを揃えて配置することで、高温でもピンホールによる漏れ電流を発生しない絶縁膜形成技術の実現に成功した。この絶縁膜を実現するためには、高分子フィルムに独自の平滑化層を利用して、フィルムの表面をナノスケールで平坦化する技術ならびに、同高分子フィルム上に酸化アルミ薄膜を形成する際のプラズマ条件を最適化して、フィルムにダメージが入らないようにする技術を開発したという。

また、高耐熱性の有機トランジスタを実現するためには、ゲート絶縁膜の耐熱性の向上だけでは十分ではなく、特に、有機トランジスタのチャネル層を構成する有機半導体材料は、一般に、熱に弱いことが知られているため、今回は、高い耐熱性を持つ有機半導体として、ジナフトチエノチオフェン(DNTT)を採用したほか、有機トランジスタを作製した後に、有機トランジスタの上に、独自の封止膜を形成した。この封止膜は、有機高分子と金属の複合膜で構成されており、これによりDNTTが高温で昇華することが抑制され、高温での素子劣化を制限することが可能となった。さらに、この封止膜を有する有機トランジスタを沸騰した水に入れても、電気特性が変化しないことも確認された。

高耐熱性有機トランジスタの(a)断面模式図と(b)写真。有機トランジスタ回路は、封止性能と耐熱性能を兼ね備えたフレキシブル膜で覆われている

今回の研究で使われたゲート絶縁膜は、4nmのアルミ酸化膜と2nmの自己組織化単分子膜の2層構造を採用している。アルミ酸化膜の耐熱性は古くから知られているが、1分子長で自己形成する自己組織化単分子膜は、X線による構造解析が容易でないため、デバイスを構成するSAM膜の構造解析についての報告はこれまでされておらず、また高温における構造の安定性を実証する報告もなかった。

そこで研究チームでは、有機トランジスタの耐熱性を評価するために、ナノオーダーの有機材料の構造を解析することで、SAM膜の耐熱性を直接精密評価することを試みた。具体的にはシンクロトロン軌道放射光を使用し、加熱時の自己組織化単分子膜の分子構造を精密に計測した。その結果、150℃を超す高い温度においても、自己組織化単分子膜における分子の向きの揃い具合がほとんど劣化しないことを確認。これは、ナノオーダーの単分子膜は熱に弱いという従来の常識を覆す成果であったという。なお、この構造解析は、プリンストン大学のYueh-Lin(Lynn)Loo教授との共同研究として進められ、シンクロトロン軌道放射光は米国ブルックヘブン国立研究所のビームラインが使用された。

さらに、この高耐熱性の有機トランジスタは、電気性能が劣化することなく滅菌できることが示された。滅菌条件としては、広く医療機器の滅菌として使われている3つの熱プロセス、すなわち、大気圧中150℃で20秒、2気圧121℃で20分、煮沸について、素子の耐性評価が成された。具体的には、まず、有機トランジスタを160℃で加熱することにより熱的な安定性を良くした。次に、有機トランジスタ上にバクテリアを培養し、医療用の殺菌条件を加える前後でのバクテリア数と電気的特性を計測した。その結果、殺菌プロセスによりほぼすべてのバクテリアが死滅したが、有機トランジスタの電気的特性変化は、無視できるほど小さいことが確認された。

有機トランジスタは、有機半導体など有機物の電子機能性材料をパターニングして製造されるため、機械的にフレキシブルであり、生体との整合性が良いと考えられており、皮膚の上から生体情報を取り出す「ウェアラブルエレクトロニクス」への応用や、体の中に埋め込むことにより直接的に生体情報を取り出す「インプランタブルエレクトロニクス」への応用が期待されている。具体的には、今回の高耐熱性有機トランジスタ回路を細径のカテーテルの側面に適応することで、腫瘍や炎症、初期のがんを検出できる新しい薄膜センサの開発が実現できる可能性が出てくるという。すでにこうした有機デバイスの特性(柔らかさなど)を生かして、健康・医療分野に応用する研究が世界中で進められており、研究チームでも、世界最小クラスの100μmの曲げ半径を達成するなどの成果を上げてきたが、今回の研究により滅菌できるフレキシブルな有機トランジスタのフィージビリティが示されたことで、今後の医療応用が加速されると期待されると研究チームではコメントしている。