それまで、コンピュータは計算することが主目的で使い勝手まではあまり配慮されていなかったが、XeroxのPalo Alto研究所のAlan Kay氏は、人間とコンピュータのコミュニケーションを良くしようという研究を行い、その研究用マシンとして作られたのがAltoワークステーションである。

マンマシンインタフェースを改善したAlto(右)とPERQ(左)ワークステーション。

Altoは当時としては斬新な縦長のビットマップディスプレイを持ち、文書を見たままに1ページ表示することができた。また、Altoのキーボードの右前にある小さな箱はマウスであり、Ethernetの原型となるネットワーク機能を備えていた。

当時のディスプレイはハードウェアの文字ジェネレータを用いたキャラクタディスプレイであり、印刷のようなイメージを画面に表示できなかったが、Altoは印刷形式のドキュメントを画面で見ながら編集できるということでWhat You See Is What You Get (WYSIWYG、ウィジウィグ)という言葉が使われ、一時は、関係者の間ではマンマシンインタフェースの改善の呪文のように唱えられた。

XeroxのAltoは研究用の試作機であったが、1979年に発売されたThree Rivers社のPERQは、ALTOの思想を受け継いだ、初の商用のワークステーションである。さらに、Altoの思想はApple社のLisaやMacintoshに受け継がれ、Windowsにコピーされて現在に至っている。このように、現在ではAltoが先鞭をつけたマウスやEthernet、WYSIWYGなど技術が広く普及し、パソコンでも当たり前の機能になってしまっており、その功績は偉大である。

1970年代にはマニアのクラブが設立されたりして、自作のコンピュータが作られるようになったが、いわゆる個人向けのパーソナルコンピュータとして販売された最初のものは、1971年にKenbak社が発売したKenbak-1であると見られている。このマシンはワンチップマイクロプロセサではなく、ICやMSIを使って作られており、$750で販売された。

1971年にIntelの4004ワンチッププロセサが開発され、続いて1972年には8ビットの8008、1974年には8080が開発され、これらのマイクロプロセサを使って画期的に安価なコンピュータが作れるようになってきた。当時は、マニア向けにこのようなマイクロプロセサをつかったコンピュータを開発、販売する小さな会社が多数設立され、また、全米に販売店を展開するRadio Shackや、電卓メーカーであったCommodoreなども参入して多数のマシンが作られた。Computer History Museumには、これらのマシンが多数展示されている。

棚に積み上げられた各種パソコン(左)上から2段目の左端がKenback-1。Altair 8800(1975年)やSWTPC 6800などの初期のパソコン(右)。

そして、パソコンの中で1台だけ特別にアクリルケースに入れて展示されているのは、Apple-1である。

Steve JobsとSteve Wozniakが開発したApple-1。

Steve JobsとSteve Wozniakの二人がガレージで開発したというのは有名な話であるが、このApple-1は、木箱に入れられており、Wozのサインが入っているところが値打ちである。

そして、昨今のノートPCの隆盛の元になったのが、 XeroxのPARCで開発され、1976年に発表されたNote Takerである。Alan Kay氏の提唱した、容易に持ち運べてどこでも使えるコンピュータというDynabookプロジェクトの影響を強く受けているが、当時の技術水準で作れたのは、クロック1MHzの8ビットマイクロプロセサを使い、重量48ポンド(約22Kg)というマシンであった。

携帯パソコンのXerox Note Taker(左)とOsborne 1(右)。

そして、右側は、1981年に発売された初の商用ポータブルコンピュータのOsborne 1である。4MHzクロックの8ビットマイクロプロセサを使い、重量は24ポンド(約11Kg)と、重量を半減した。

クロック周波数だけでも500倍、CPUの能力で言えば1万倍くらいの性能向上を1/10の重量で実現している現在のノートPCと比較すると隔世の感があるが、これらの先駆的な開発があって、現在の隆盛が築かれているのである。