MATLABとSimulinkのユーザーカンファレンス「MATLAB EXPO 2024 Japan」が2024年5月30日、東京・台場で開催された。モデルベースデザインやAI・データ活用、人材育成、社会課題や環境問題解決へ向けた技術開発など、さまざまなテーマで構成された同イベント。本記事では、基調講演に登壇した株式会社IHI 佐藤彰洋氏の講演「『魔改造の夜』から考える:ものづくりの未来とモデルベース開発」と、株式会社クボタ 井田裕介氏が行なったユーザー講演「Model-Based Designツールを活用した傾斜不整地向け農業用ロボットの開発」の模様をダイジェストでお届けする。

IHIが「魔改造の夜」参加を通じて学んだモデルベースデザインの重要性とは

モデルベースデザインの適用領域が広がっている。製造業における設計プロセスのフロントローディングから、スマートシティにおける環境全体のシミュレーションに至るまで、多岐にわたる分野でさまざまな取り組みが進められている。

そんななか、モデルベースデザインを「未来のものづくり」に向けて活用しようとしているのがIHIだ。基調講演に登壇した佐藤氏は、IHIがNHKの技術開発エンタメ番組「魔改造の夜」への参加を通じて得た経験を、モデルベースデザインによりものづくりの現場にフィードバックしている事例を紹介した。

  • 株式会社IHI 技術開発本部 佐藤彰洋 氏

技術開発本部では、「イノベーションを創出する組織をどう生み出すか」という課題への対応が大きな活動テーマのひとつとして挙げられており、その一環として同番組への参加を決意したという。また、エンジニアの研究開発環境を整えるために、2023年11月からMATLABのエンタープライズライセンスを契約し、全社的にMATLABを利用できる環境も整備している。

「『魔改造の夜』では、テーマ発表の6週間後に競技が行われます。ほとんど初めて会ったメンバーたちでテーマに沿った製品企画・設計、製作・試験までを6週間でこなす必要があり、普段の仕事と同じか、それ以上の能力が求められます」(佐藤氏)

番組に向けIHI(番組では「Aエイチアイ」)では、IHIグループのさまざまな会社・部門から自発的に集まった有志からなるチームを結成し、社員が自由に使えるものづくりガレージも整備した。参加した2つの競技の1つ『電気ケトル綱引き』では、「ロープを3m先に引っ張ったチームが勝者」「2分間で湯を沸かし、笛を鳴らす」「沸かした湯の蒸気や熱を動力にする」などのルールが番組から示された。

「我々のコンセプトは、電気ケトルの蒸気機関車化で、電気ボイラー、複動式レシプロエンジン、4WD駆動などで構成されます。開発中には2つの大きな問題が発生しました。1つ目は規定時間にお湯が沸かないというものでした。これは、ボイラーが耐圧構造で重く大きいので、温度が上がりにくいことが原因でした。対策として、強度設計を見直し、閉止部の重量を大幅に削減しました。2つ目はエンジンの手前で蒸気が復水してしまうことでした。始動直後に配管が冷えていることが原因で、断熱材での保温や水加熱用の電力の一部を、配管を直接加熱するヒーターに振り向けることで対策しました」(佐藤氏)

競技は、某電子機器メーカーと自動車等の研究開発企業と戦い、1勝1敗で優勝は逃したが、主にマネジメントや組織文化の観点から多くの学びが得られたという。

「環境変化に対応できない組織」「イノベーションが創出されにくい組織」を変えるきっかけに

「魔改造の夜」に参加した背景には、組織文化における課題があった。IHIは、航空機や原子力など、失敗が許されない業界に携わるため、「ルールとスペックの範囲内でものを作る」ことが強く求められる組織文化だという。

「ルールやスペックは重要ですが、その背景を理解していない社員や、失敗経験のない社員が増えると、外部環境が大きく変化した際に失敗しやすい組織になりがちです。また、スピード感が欠け、部門間の連携が不足しているため、イノベーションが創出されにくい組織だとも言えました」(佐藤氏)

そんななか、番組参加を通して得られたのが、部門間の壁を超えた連携や高速なプロトタイピングの実践だ。メンバーは研究所、情報マネジメント、ターボチャージャ、プロセス装置、圧縮機、トンネルマシン、鉄道車両などの部署から集まり、通常業務では考えられないほどの部門間連携が実現した。また、6週間で成果を出すために、試作の高速化にも取り組むことができた。しかし、トライアンドエラーでものづくりを進めたため、完成度を高める時間が足りなかった。

「こうした成果や反省点を実際の製造プロセスにフィードバックするために重要な役割を果たすのがモデルベースデザインです。『魔改造の夜』では、ボイラーやエンジン、車体などの基本設計に対して、お湯が沸かない、復水するといった問題をフィードバックできませんでした。モデルベースデザインを採用することで、V字プロセス内で迅速なフィードバックサイクルを構築できます。実際に、活動終了後に初期設計のボイラーと配管をSimscapeでモデル化し、シミュレーションを行ったところ、ルール通りの120秒以内にお湯を沸かせることが確認できました。本番ではシミュレーションをしている暇はないと思い込み、実機でのトライアンドエラーを繰り返しましたが、ほんの数時間で検証ができましたので、MATLABに慣れていれば本番でも活用しフロントローディングができたと思います」(佐藤氏)

また、そのほかの成果としては、社員の主体性およびエンゲージメントの向上やリアルなものづくり経験を通じた若手の成長が挙げられる。

「出場メンバーが社内サークルを作り、さまざまな活動を展開するようになりました。技術開発本部では、新入社員研修としてものづくり研修を実施しています」(佐藤氏)

新入社員の中にはものづくりの経験が少ない者もおおくなっており、「魔改造の夜」のようなプロジェクトにチームで取り組んでもらい、ものづくりの難しさを体験させ、その上でシミュレーションの大切さや威力を理解してもらうのが狙いだ。

また、「魔改造の夜』で学んだ部門間の壁を超えた連携や高速なプロトタイピングの実践を、IHIが事業で扱う大規模なものづくりに応用し定着させるためには、モデルベースデザインを社内の共通基盤にしていく必要がある。エンタープライズライセンス導入をきっかけに、社内でのMATLAB活用が加速することを期待している。

さらに今後は、顧客も含んだサプライチェーン全体にモデルベースデザインを適用することも目指していく。佐藤氏は最後に次のようにモデルベースデザインへの期待を述べ、講演を締めくくった。

「事業を取り巻く環境の変化が激しいため、顧客の要求も曖昧かつ変化していきます。モデルを使った提案や要求のすり合わせ、その結果を受けての要求の修正など、モデルベースデザインにより未来のものづくりをよい形に変えていくことができます。習慣を変え、身体を動かし続けることで、生活習慣病化した組織を変えていくことができると信じています」(佐藤氏)

農業用ロボットの新製品開発でモデルベースデザインを活用するクボタ

モデルベースデザインを農業用ロボットの新製品開発に活用しているのがクボタだ。農業機械や建設機械、パイプシステム、水処理システムなどを展開する同社では、労働者不足や生産コストの高騰などが大きな課題になっている農業分野で、スマート農業の実現を目指している。

「日本の農業が直面している課題は、利益を生む魅力的なビジネスモデルへの転換、重労働からの脱却と働き方改革による若者の参入促進、中山間地を含む農村地域の活性化および農業の多面的機能の維持などがあります。クボタのスマート農業は、データを活用した精密農業の推進、作業の自動化による労働負担の軽労、無人・自律型農機による効率化を目指しています。今回は、中山間地での果樹農業の課題解決に取り組みました」(井田氏)

  • 株式会社クボタ 機械研究開発第二部 井田裕介 氏

果樹園での作業は、稲作に比べ約10倍の労働時間を要する。これは、傾斜や不整地、凹凸が多いため、既存の4輪車両やクローラの農業機械は走行しにくく、いまだに多くの労働を手作業で行っていることが背景にある。さらに果樹栽培は、運搬、剪定、施肥、防除、除草、収穫のように作業の種類が多く、用途が限定された機械を導入しても、根本的な労働時間の短縮には繋がらないのだ。

「そこで取り組んだ開発が、動物の脚のような機構と力制御技術を組み合わせた、世界初の傾斜不整地向け農業用ロボットです。KATV:KUBOTA All Terrain Vehicle (仮称)と呼んでいて、高い不整地走行性能を持ち、モジュール構造により用途に応じて動力源はエンジンとモーターを換装可能、駆動輪もサイズの変更が可能です。CAN通信で接続した任意のデバイスから、ステアリングと車速をコントロールでき、自動運転も実現できます。

果樹園だけでなく、トラクターやコンバイン、田植え機などの大型スマート農機と協力しながら、収穫や草刈り、苗補給、施肥、屋内作業、作物運搬など、大型スマート農機が対応しきれない作業を補完することができます」(井田氏) 全幅・全長は1〜2mほどで軽トラックの荷台に搭載できる。上部はフラットデッキ構造のため、運搬だけでなくさまざまなアプリケーションを搭載でき、上部に作物収穫用のマニピュレータや薬剤散布機などを取り付けることも可能だ。

「KATVは要件定義、基本設計(MILS)、コーディング/実装(ACG)、単体・結合テスト、実機評価(現地試験)の順に開発を進めました。特に基本設計(MILS)では、MATLAB、Simulink、Simscapeを用いて制御アルゴリズムの構築と傾斜不整地への適合確認を行いました」(井田氏)

スピーディーな開発とスムーズな情報共有が可能に、充実したインタフェースが魅力

基本設計(MILS)では、MATLABで移動機構やアクチュエータ、サイズ、関節自由度などのモデルを作成し、要求分析や機能定義、システム構成検討を行っていくMBSE(モデルベースシステムエンジニアリング)を推進。また、MATLAB Symbolic Math Toolboxを使った制御モデルの構築や、Simscape Multibodyを使ったプラントモデルの構築も行ったという。これにより、形状3Dデータがない段階で車両の性能を予測し、シミュレーションする1D-CAEを行い、MBSEで検討した結果をモデルに反映して要求を満たしているかを確認した。

「基本設計(MILS)で、MATLAB、Simulinkを活用してシステム検討とシミュレーションによる機能組み込み後の挙動確認を行った後、コーディング/実装(ACG)のプロセスで、MATLAB CoderやSimulink Coderなどを使ってECUに書き込むためのC言語のソースコードに変換しました。事前シミュレーション検証のおかげで、実機評価でも想定通りの結果を達成できました」(井田氏)

MATLABのツールは、他にもさまざまなシーンで活用されており、例えば実機評価(現地試験)でのデータ解析には、Vehicle Network Toolbox、Control System Toolbox、Signal Processing Toolboxなどが利用された。

「従来の開発方法では、試作機が完成してから初めて性能がわかるというものでした。モデルベースデザインは、設計の初期段階から精度の高い性能予測と評価を実施できることがメリットです。1D-CAEを用いて早期に制御アルゴリズムの効果を確認できたこと、実機組み込み前の机上機能検証により、開発の手戻りを減らすことができました」(井田氏)

KATVの開発は2020年にスタートし、2020年には机上でシステムと制御アルゴリズムの検証、2021年には現地研究、2022年には展示会での初公開とスピーディーに進み、2023年からは研究機関や企業での運用がはじまっている。また、早期に机上でシステムを定量的に検討し可視化すること、実機完成前にハードウェアチームと仕様を共有することで、情報共有がスムーズになるという大きなメリットがあったという。

「MATLABは、オートコーダ(自動コード生成)などを通じて、シミュレーションした機能をすぐにECUに実装できることや、公式サイトから多数のデモファイルやドキュメントを参考にできるといった充実したインタフェースが魅力です。今後は、油圧システムや土壌の変化を含めたより詳細なシミュレーションの構築や、メカニズムの形状検討の段階からMATABのさまざまなツールを使って設計の最適化に取り組んでいきます」(井田氏)

今年もユーザーの事例講演を中心に、興味深い講演が多数実施されたMATLAB EXPO。モデルベースデザインのさらなる広がりと、将来への期待に胸が躍るイベントとなった。

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2024年6月25日~28日の間、基調講演や一部講演を除き「MATLAB EXPO 2024 Japan」での講演を限定録画配信する。見逃した講演やもう一度聴講したい講演があればぜひこの機会に視聴してみてはいかがだろうか。

「MATLAB EXPO 2024 Japan」の限定録画配信はこちらから

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