十数年ぶりに訪れたボストンは、日本ブームに沸いていた。正確に言えば、「松坂ブーム」かもしれないけれども。大げさな表現の好きなボストン子たちは、「松坂は、ジョン・万次郎(江戸時代末期、土佐沖で漂流しているところを米捕鯨船に救出されマサチューセッツ州ニューベッドフォードで教育を受けた。その後、日米間の通訳として活躍)、フェロノサ(明治初期、日本芸術を米国に紹介。その集成であるボストン美術館とマサチューセッツ州セーラムの美術館は日本美術の殿堂)に次いでボストンと日本を結び付けたキーマンだ」と持ち上げている。

「ボストン・レッド・ソックスのホームグラウンドには8席しか記者席がないのに日本から20人ものスポーツ記者が押し寄せる。この対応をどうするか、日本人観光客にどういうサービスを提供すれば喜んでもらえるか。球団も市も大変な入れ込みようだ。みんな僕のところに相談に来るよ」ボストン、ジャパン・ソサエティーのグリーリ理事長は興奮気味だった。

だが私の目的は松坂ではなかった。ボストン市から北に10分ほどチャ―ルス・リバー沿いのハイウエイを遡行するとマサチューセッツ州ケンブリッジに着く。ハーバード大学とマサチュッセツ工科大がある市、というより両大学のキャンパスが、そのまま市となっていると言った方が適切だろう。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で一世を風靡したエズラ・ヴォーゲル先生は市の中心、ハーバード・スクエアーから歩いて10分ほどの緑深く閑静な二階家に住んでおられる。もっともご本人は、「日本では、まだそのレッテルが通用しているのですか」と苦笑しているが...。

先生の案内でハーバード大学の構内を散歩してから教授や幹部職員が使うファカルティー・クラブに行き、昼食をご一緒した。テーマは無論、日米中三国関係だ。

「21世紀のアジアの平和と安定には日中関係が極めて重要ですよね。米国も良好な日中関係を切望している。そのメッセージが十分伝わらなかったのか、小泉政権はコリジョン(衝突)・コースを進んでしまった。これはとても危険なことだった。ブッシュ政権はもっと、『良好な日米関係のためには良好な日中関係が不可欠である』と強調するべきだった。それだけに就任後、最初の訪問国に中国、韓国を選んだ安倍総理の決断に我々も救われる思いだった。日中は省エネルギィー対策や軍縮の推進をめぐってならいくら激論を交わしても世界中から歓迎されるだろう。いい意味の競争もしてほしい。しかし小泉路線は中国のみならずアジア全体、アメリカからも非難される"ジャパン・アズ・エネミー・ナンバーワン"路線でしたよ」。

ヴォーゲル先生は表情をこわばらせながら一気に言った。 「私は毎年、北京で最高政治指導レベルと意見交換しています。彼らは少なくとも4年後の上海万博まで、恐らくそれ以降も当分の間は間違いなく平和な世界環境を必要としているし、国際協調路線を取ります。その間、台湾への武力侵攻はしないでしょう。そうすると皆、『ではその後はどうなるのか?』と聞くのだが、米国政治だって10年後は何が起きているか予想不可能だ。私は個人的にはこの間に中国で(望ましい)大きな政治的変化が起こると考えているのだけれども」。

ご存知の方は多いと思うが先生の元々の専門は中国。現在、トウ小平(*1)の伝記を執筆中だ。「どんな内容になるのですか」と水を向けると、「一般に今日の中国は1949年に毛沢東が作ったとされている。私は1989年からの中国は、毛沢東の中国とはまったく異なった国であり、トウ小平が新しく建国したと思っている。そのコンセプトで歴史を振り返る」という返事だった。

中国とアメリカ、アメリカと日本。近代アジア史を貫く三角関係を先生はどう見ているのか。

「あなたもハーバードを見ればわかるでしょう。中国人留学生が日本人より圧倒的に多い。10年前までは政府派遣が多かったが、今は、経済繁栄と一人っ子政策のせいで自費留学がほとんどです。この生徒たちは日本の学生と三つの点でまったく異なる。第一は、英語の下手さなど気にしないで、クラスで堂々と意見を言う。第二に、学位を取ると米国企業に就職する。アメリカの企業は彼らを喜んで受け入れ、いずれ北京や上海の支店で使う。第三に、彼らは喜んでアメリカ人となる。

同じ経済関係でも米中と日米は異なります。中国からアメリカへの製品輸出のほとんどは米国から中国に進出したナイキやIBMのように米国企業のもの。トヨタを輸出する日本と全然違う。こうした米中の経済関係の発展を考えると、否応なく米中の対話、交流が量、質とも日米を追い抜くことは避けられないと思います」。そう言えば荘厳な雰囲気のファカルティー・クラブも、テーブルをみると中国人の研究者の数が目立った。先生の話をもう少し聞こう。

(*1):トウは登におおざと