AI半導体を開発する新興企業のGroqは、NVIDIAに買収されませんでした。しかし、NVIDIAはGroqが持っていた「最も価値のある部分」を、結果的にほぼ完全に手に入れたと言えます。‌「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。

NVIDIAのGPUに対するくさび的存在のGroq

Groqは、LPU(Language Processing Unit)と呼ばれるAI推論専用アクセラレータASIC(専用チップ)を開発してきました。GPUとは異なる独自アーキテクチャで超高速・低レイテンシの推論処理の実現を狙ったものです。特定の高付加価値な推論領域において、NVIDIAのGPUが必ずしも最適解ではない場面を突く、「ウェッジ(くさび)的存在」として注目を集めていました。

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    「モデルにアクセスするために、現在使っている/検討している推論プロバイダーはどれか?」という質問でGroqは「36%」を獲得。Groqはかつて「速いけどニッチ」「デモ向け」と見られがちでしたが、同社の思想が市場に合い始め、そのタイミングでNVIDIAとの契約合意となりました

2025年12月24日、GroqはNVIDIAと非独占の技術ライセンス契約を結んだことを発表しました。これに伴い、Groqのジョナサン・ロスCEOをはじめとする主要エンジニアがNVIDIAへ移籍しています。一方でGroqは引き続き独立した企業として運営され、同社のLPUをクラウド経由で利用できる「GroqCloud」の提供も継続されています。

表向きには「提携」や「戦略的協業」と説明されるこの関係は、実態としては「買収に近い効果を分解し、再構成したもの」と捉えることができます。

AIスタートアップの間では近年、伝統的なM&A(合併・買収)ではなく、「ライセンス供与+コア人材の移籍」という形で大企業と関係を結ぶ動きが目立ち始めました。これが、新たなスタートアップのエグジット(exit=出口戦略)として認識されつつあります。

類似の例として、 Inflection AIとMicrosoft、Adept AIとAmazon、Character.AIとGoogleの関係が挙げられます。

パーソナルAIを手掛けるInflection AIは、現在も法人としては独立を維持していますが、CEOだったムスタファ・スレイマン氏(現Microsoft AI CEO)を含む主要経営陣・研究者がMicrosoftへ移籍しました。Inflectionが開発してきたモデルや研究成果は、実質的にMicrosoftのAI戦略へと組み込まれています。GroqとNVIDIAの関係に近い構図です。

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    Inflection AIからMicrosoftに移籍し、同社のAI事業を率いるムスタファ・スレイマン氏(Microsoft AI CEO)

自然言語による指示で自律的に動作するAIエージェントを開発していたAdept AIでは、独立成長が難しくなった段階で、創業者や主要研究者がAmazonへ移籍しました。従来であれば、こうしたスタートアップの「未完成さ」は弱点と見なされがちでしたが、このケースでは人材そのものが成果物として評価されました。

Character.AIの場合は、共同創設者兼CEOのノアム・シャゼール氏と研究チームの一部がGoogleへ移籍しました。シャゼール氏は元Google Brainの研究者であり、Google DeepMindに復帰する形となりました。結果、モデル思想や研究系譜がGoogle側へと還流しています。スタートアップが一時的な外部研究所のような役割を果たした例と言えるでしょう。

「買収されないエグジット」が増えている構造的要因

こうした「買収されないエグジット」が増えている背景には、いくつかの構造的要因があります。

第一は規制リスクです。EUや米国では反トラスト規制が強まり、AIや半導体分野における新興企業買収は政治的・社会的なリスクを伴うようになりました。一方で、シリコンバレーでは過去に巨大テック企業間の「ノーポーチ(人材引き抜き禁止)」協定が問題視された経緯もあり、現在では人材移動そのものを強く規制することが難しい側面があります。

第二はスピードの問題です。完全買収には時間がかかり、買収後の統合プロセス(PMI)も重くなります。AI基盤技術の価値は、5年後ではなく18カ月後に問われると言われる時代です。こうした環境では、企業を丸ごと抱え込むプロセスは必ずしも合理的ではありません。人材や技術を直接取り込んだ方が、プロジェクトを迅速に前進させられます。

第三に、価値の所在が「会社」から分解されつつある点です。最大の理由はこれです。AIや半導体、基盤技術の分野では「モデル設計の勘所」「学習効率を高める判断」「アーキテクチャ設計のトレードオフ」「実験の失敗履歴」といった、いわゆる暗黙知が競争力の中核を占めています。これらはドキュメント化しにくく、特許にもなりにくい一方で、人と強く結びついています。その結果、人材や設計思想といった価値の中核だけが切り離され、大企業側へと移動するようになりました。

興味深いのは、スタートアップ側も必ずしも買収を望まなくなっている点です。従来の完全買収では製品が消滅し、企業文化が吸収され、創業者が高額な対価を得ても意思決定権を失うケースが少なくありませんでした。

「引き抜きのような価値移転」であれば、スタートアップは存続しつつ、コアメンバーはより大きな舞台へ進み、投資家にも一定の流動性を提供できます。「会社を売る」ことだけがゴールではなく、技術の社会実装や次の挑戦を重視する価値観が、若い起業家を中心に広がりつつあります。

日本でも「買収されないエグジット」は起きるのか?

この変化で、最も揺さぶられているのはベンチャーキャピタル(VC)でしょう。従来のVCモデルは、複数社に投資し、そのうち1社の大型エグジットでファンド全体を回収する「ホームラン前提」の構造でした。

しかし「買収されないエグジット」では、企業評価は限定的になりがちで、IPライセンスや人材移籍も分割・段階的に行われ、IPOに至らないケースも増えます。「いつ、どの段階で、どのように回収するのか」という点を、VCは根本から再設計せざるを得ません。この分野でVCは、資金提供者というより、人材や技術の流動化を仲介する存在に近づく可能性があります。

この変化は資金調達構造にとどまりません。企業ブランドや上場ステータスではなく、「希少な人材 × 再現困難な知財」に価値が集中していく現象は、イノベーションの重心が再配置されつつある兆候と捉えられます。今はまだシリコンバレーで進む静かな地殻変動にすぎませんが、その影響は決して小さくありません。

では、この「買収されないエグジット」は日本でも起きるのでしょうか。日本では依然として、大企業が完全子会社化による支配を前提とするケースが多く、「人材だけ」「技術だけ」を取得するディールは一般的とは言えません。

しかし、環境は変わり始めています。日本企業にはこれまで買収後の統合に苦しんできた歴史があります。意思決定が遅れ、人材が流出し、結果として価値が失われた例が少なくありません。そして、深刻化する人材不足問題です。

AIや半導体、ソフトウェア基盤分野で、日本企業は慢性的に人材が足りていません。会社ごと買うよりも「中核人材をどう確保するか」が経営課題として前面に出てきています。

完全買収ではなく、技術ライセンスと戦略的人材移籍によって価値を取り込むモデルは、日本企業とスタートアップの双方にとって、リスクを抑えつつ成果を得やすい選択肢になり得ます。

一方で、雇用契約や競業避止義務、知的財産の帰属、投資家へのリターン設計など、日本では制度的・文化的に未整備な部分が多いのも事実です。この点を乗り越えられるかどうかが、日本における「買収されないエグジット」の成否を分けるポイントになりそうです。