Appleが昨年11月に発表し、4月に米国でサービスを開始した「セルフサービスリペア(Self Service Repair)」。申し込んだ人達にキットが届き始めて下記のようなメディアによるレビューが公開され、そしてタイトルのようなコメントが拡散している。

  • 1.1オンス(約0.0312kg)のバッテリー交換のために79ポンド(約35.8kg)のiPhone修理キットを送ってきたApple(The Verge
  • 個人所有のiPhoneでAppleのセルフ修理プログラムに挑戦した結果、大惨事に(New York Times

セルフサービスリペアがどのようなサービスか簡単に説明すると、iPhoneの修理に必要なマニュアル、純正パーツ、ツールなどをAppleが提供するサービスで、希望者はAppleが新たに開設したオンラインストアから注文する。交換・修理に必要なツール類も販売しており、また必要な全てのツールをまとめた「ツールキット」をレンタルするオプションも用意している。レンタル料金は49ドル/週だ。

  • バッテリーやディスプレイの交換のような分解を伴う修理に必要なツールをまとめたツールキット

    バッテリーやディスプレイの交換のような分解を伴う修理に必要なツールをまとめたツールキット

ツールキットをレンタルしたThe VergeのSean Hollister氏は、簡単に持ち運べるぐらいの大きさのパッケージだと思っていたら、巨大なペリカンケースが2つ(約19kgと約16kg)送られてきて、それらを引きずりながら電車に乗ってオフィスへ移動することに。New York TimesのBrian X. Chen氏によると、ツールキットのレンタルにはツールの買い取りに相当する1,210ドルの保証金をクレジットカードを使って預けておく必要がある。同氏は分解の際にステップを1つ飛ばしたことに気づかずに画面を破損させてしまい、バッテリー交換でスクリーンも交換することになってしまった。

そうしたレビューから、「iPhoneの自己修理をAppleが望んでいないことが明らかに」(Inc.)というような切り口でレビュー内容を紹介する報道が広がり、Appleの「セルフサービスリペア」は向かい風を受ける船出になった。

AppleのツールキットはApple製品向けにカスタマイズされたツールで、Apple Storeの修理サービスでも使用している本格的なものだ。ちなみにリペア情報やツールを提供しているiFixitが販売しているバッテリー交換キットは、バッテリーのほかドライバーやピンセット、オープニングツールがセットになっていて価格は44.99ドルである。

どちらが正しいかというと、同じセルフリペア・キットでもアプローチが全く異なる。単純にバッテリーを交換するという目的を満たすためならiFixitのキットでも不可能ではない。だが、失敗するリスクが高く、成功してもiPhone本来の利用体験を取り戻せない可能性も高くなる。一方、Appleは精密機器の修理や分解の経験や知識がない人による自己修理を望んでいない。それが前提であり、そうした人達をふるいにかけ、精密機器を扱える人達の修理を手厚くサポートするプログラムになっている。

  • Appleはユーザーの大多数にとって、Apple純正部品を使用して認定技術者が修理する専門サービスに依頼するのが最も安全で確実な方法であるとしている

Appleが「セルフサービスリペア」を提供し始めた背景には、欧米で高まる「修理する権利」を求める声がある。それなら、自分で気軽に修理できなければ「修理する権利」の意味がないと思うかもしれないが、「修理する権利」で求められているのは修理に必要な技術情報や診断ツールの公開である。それらがメーカーに独占されていると、修理のためにメーカーまたはメーカーと提携する業者に依頼するしかなく、修理サービスの価格競争や技術競争が生まれにくい。製品の技術情報が公開されていたら、修理に関する情報が広く共有され、ユーザーがそれ確認した上で、どのような方法で修理するか、自分で納得できる方法を決められる。

「修理する権利」の議論では、一部の修理業者がもっと簡単に修理できるのにメーカーが特殊なツールや接着剤を使って自己修理を難しくしていると主張している。だが、ふた昔ほど前のスマートフォンならともかく、今日のスマートフォンはカメラに匹敵するような精密機器である。

それならもっと自己修理しやすい設計にするべきという意見もあるが、自己修理できるようにした結果、サイズが大きくなり、耐水性能や堅牢性、セキュリティが損なわれるといったトレードオフが起こり得る。自己修理の一点だけなら「可能」になるのを求める人が多いだろうが、トレードオフを含むめて自己修理しやすいスマートフォンが売れるかは不透明だ。2014〜16年にGoogleがProject Araというモジュール式でパーツを簡単に交換できるスマートフォンに取り組んでいたが、正式に製品化されることはなかった。

  • Google傘下だった頃にMotorolaが手がけていた「Project Ara」

Appleの「セルフサービスリペア」はよく作られたプログラムだと私は高く評価している。同プログラムの開始でもっとも重要なのは「iPhoneを個人で修理できるようになったこと」ではなく、「AppleがiPhoneの情報を公開したこと」である。修理マニュアルは分かりやすくまとまっていながら注意点など詳細をしっかりと押さえた充実した内容になっている。

  • 分解レポートから作成されていた既存の修理手引き書に対して、公式の修理マニュアルの登場で正しい分解・修理が可能に(iPhone 13 Proリペアマニュアルから)

Appleの情報公開によって、修理に携わる人達の知識とサービスがこれから大きく向上する。個人ユーザーで「セルフサービスリペア」を利用する人は一部に限られると思うが、情報公開効果で数年後にはiPhoneを修理する選択肢が充実すると期待できる。技適基準を満たす必要がある日本で「セルフサービスリペア」の開始は法的に難しい。だが、情報の共有は阻まれない。Appleの情報公開の恩恵は日本のユーザーにも広がってくるはずである。