2~3週間ぐらい前に、子どもが学校から帰ってきて「先生がAggretsukoのバッグを持っていた!」と喜んでいた。Aggretsuko、知らない人からは「エっ、Marimekko?」とか返ってきたりするが、アニメ「アグレッシブ烈子」の米国タイトルだ。ウチは親と一緒に観ていたらから子どももAggretsukoを知っていたが、サンリオのキャラクターなのに、小学校の同級生は誰も知らない。しかし、ミレニアルズど真ん中の彼の先生 (今年初めてクラス担任を持った20代女性)はグッズを持っていた。
アグレッシブ烈子は2016年から今年春まで「王様のブランチ」内でショートアニメとして放送され、今年の春に1話15分のNetflixオリジナルアニメとして全10話が配信開始になった。
サンリオのキャラクターであることを考えると、アニメの烈子は異色のキャラクターだ。
烈子は商社に勤める25歳のOL、バブル世代の上司の理不尽な振る舞いに振り回され、毎日のように「ゆとり」とか「腰かけ」と呼ばれてストレスをためていく。それが怒りの頂点に達すると、かわいらしいレッサーパンダが一変、顔の模様がくまどりのように浮き上がって鬼のような形相でデスメタルを叫び歌う。
Netflixだから見事な英訳でグローバルに配信され、その結果が以下のような反応だ。
- 「NetflixのAggretsukoは今年のベストアニメの一つ」(GameSpot)
- 「Aggretsukoは怒りに向き合った職場コメディ」(Huffingtonpost)
- 「NetflixのAggretsukoが見せる女性の怒りの衝撃で深い描写」(The Verge)
これらはミレニアルズが好む媒体であり、普段サンリオのキャラクターを取り上げることは滅多にない。それがAggretsukoに興味津々で絶賛しているのだ。
サンリオは1990年代後半が黄金期だった。その頃は米国のショッピングモールでよくサンリオショップを見かけたものだ。モールの中でも人気ショップで、いつも賑わっていた。しかし、買収を繰り返すDisneyが次々と新しいキャラクターを投入してくるのに対して、サンリオはキティを中心としたキャラクター構成が変わらず、次第に失速。打開のために2010年代に入ってからライセンス事業を展開し、息を吹き返した。街のパン屋やファミリー向けのスィーツショップなど、小規模事業も対象にしたプログラムが特徴で、以来キティの焼き印を押したパンやパンケーキを出す店を見かけるようになった。
しかし、そうしたライセンス事業も強力なキャラクターがあってこそだ。90年代にキティに熱中した世代がかわいいものへの関心を失う世代になり、モールにキャラクターショップというような物販も時代遅れになろうとしている。そして、最も深刻なのは、今最も購買力のあるミレニアルズの、サンリオのキャラクターに対する関心が薄いこと。レディ・ガガやマライア・キャリーなどが「キティ好き」というのは有名な話だが、若い層はユニークであることへのこだわりが強く、「セレブが~」という切り口が逆効果になることも。クラシック・キャラクターとしての価値は確立しているものの、今の若い世代が自分たちの世代のキャラクターと感じられる新しいキャラクターが弱かった。
そうしたサンリオが直面する厳しい状況の中で、Aggretsukoがヒットした意義は大きい。
カワイイもソーシャルで伝播するが、それだけではバズるほどの話題にはなりにくい。Aggretsukoの場合、見た目はカワイイ文化のサンリオ・キャラでもデス・キャラ。でも、路線を変えたからといって成功するというものではない。奇をてらっただけの路線変更だと、キャラクターが痛々しくなって失敗してしまう可能性もある。むしろ高いと言えるだろう。優れた演奏力と演出・パフォーマンスでBABYMETALが成立しているように、Aggretsukoもしっかりとしたアニメの世界観や台詞の妙がカワイイをかっこいいものとして成立させ、それが米国でバズる要素になった。
サンリオは経営陣の世代交代で創業家出身の若い専務が昇格し、2010年代に成功したライセンス事業から再びキャラクター戦略に軸足を移し始めた。新たな可能性が広がるが、悪く言えば、先行き不透明な状況にある。日本でアグレッシブ烈子が始まったのは新しい経営陣に変わる前なので、烈子は新戦略に基づいた新しいキャラクターではない。しかし、コンテンツを見直し、「Aggretsuko」としてNetflixでグローバル配信させたことが変化の起点になった。モールのショップやテレビアニメではなく、ミレニアルズが好むNetflixを通じて、ミレニアルズを中心に新たなサンリオ・ファンを開拓できたことに、アグレッシブ烈子ヒットの意義がある。