Appleの9月のスペシャルイベントというと、ひと昔前はiPodの新製品発表会だった。今年はiPodに関する発表がないばかりか、ひっそりとiPod classicの販売終了が報じられる結果になった。とはいえ、今でもAppleは「音楽はわれわれのDNA」と明言している。8月にAppleはBeats Musicアプリを「Apps Made by Apple」リストに加え、9月のアップデートでApple TVにBeats Musicアプリを追加した。"ひっそり"レベルではあるものの、Appleの音楽事業においてBeats Musicが存在感が増している。では、Beats Musicってどんなサービスなのか? 米国でしか利用できないため"Apple版のSpotify"で片付けられることが多いが、ライバルと一線を画すユニークな音楽ストリーミングサービスである。今はまだ小規模だが、いずれポストiPod時代のAppleの音楽事業を下支えする存在になる可能性も感じられる。

Beats MusicのPC用Webアプリ

Beats Music (以下Beats)は、サブスクリプション型の音楽ストリーミングサービスだ。9.99ドル/月または99.99ドル/年を支払って契約している間は2000万を超える楽曲を自由に聴ける。「iTunes Radioとかぶる!」という指摘も見られるが、それはSpotifyやRdioなど広告ベースの無料プランを用意しているサービスの場合だ。Beatsには無料プランがない。ユーザーは皆、料金を支払っている。音楽にお金を払うという意思のある人たちである。ただし音楽を所有することにこだわりはなく、借りてたくさん聴きたいという種類の音楽ファンだ。

iTunes Radioもストリーミングサービスであるのは同じだが、名前のとおりネットラジオである。ユーザーが特定のアーティストやアルバムを選んで再生することはできない。ユーザーの好みに合わせてサービス側が作成したプレイリストが流れてくるのみだ。ターゲットは、無料(広告付き)のBGMで音楽は十分というライトリスナー、または聴きたい曲が見つかったらiTunes Storeのリンクを押して音楽を購入してくれる音楽好きだ。

つまり、同じストリーミングサービスでもiTunes Radioはダウンロード販売への導線であり、Beatsは買わずに借りるという層の受け皿である。このようにきちんとサービスの棲み分けができているのは、今もダウンロード販売の規模が大きいAppleにとって大事なことである。世代別で見たら、iTunes(ダウンロード販売)はPC世代、Beats(サブスクリプション型ストリーミング)はネット世代、特にモバイル世代になる。実際、BeatsはPCよりもモバイルに軸足を置いた設計になっている。

人海戦術でマシンに勝利

ライバルとBeatsの違いはリコメンデーションとキュレーションだ。Spotifyを始め多くの音楽ストリーミングサービスは機械学習を用いてユーザーへのおすすめを作成しているが、Beatsはアルゴリズムに任せきりにせずに音楽の専門家(=人)が音楽プログラムを作っている。最高クリエイティブ責任者にNine Inch NailsのTrent Reznor氏。音楽批評メディアPitchforkの編集長だったScott Plagenhoef氏がプログラムを統括し、音楽ライター、DJ、ラジオやレーベルの関係者といった音楽のエキスパートで構成されたチームがキュレーションに携わっている。

最初は「マシンに対して人海戦術って……」と思ったが、これがなかなか感性に響くのだ。例えば、The Smithsのプレイリストに「The Smiths: Ballads」と「The Smiths: Sad Songs」がある。曲調から同じような曲が並んでいそうだが、これらは1人のキュレーターが作っていて、前者はジョニー・マー寄り、後者はモリッシー寄りと思わせる選曲なのだ。この説明だけで違いが想像できる人はSpotifyよりもBeatsを選ぶべきだ。

人が関わるとプレイリストに意思が加わり、それをくみ取って聴くことで音楽を聴くのがより楽しくなる。まだアルバムが売れていた頃に、アーティストが並べた曲の意味を探りながら聴いていたのを思い出す。音楽ストリーミングサービスはほぼ全てが「発見」を看板にしているが、機械学習が作り出すおすすめは「代表曲」に偏りがちで、発見を求めたら結局は大量のおすすめを聞き込むことになって飽き飽きとしてしまう。

Beatsのプレイリストは増えるペースが明らかに遅いが、一つ一つの内容が濃い。聴いていて楽しく、そして効率よく「これは!」と思える曲に出会える。従来のストリーミングサービスだと2000万曲超のライブラリを借りるのに月額料金を支払っているという感覚だったが、Beatsではリコメンデーションやキュレーションのサービスを受け取っている感覚になる。

サービスが用意したおすすめやプレイリストをそのまま聴いて楽しいというのは、特にモバイルで効果的である。検索、アルバムやアーティストのブラウジングを繰り返す必要がないのだ。ホーム画面に流れてくるおすすめからプレイリストやアルバムを選ぶ、またはその時の気分(失恋した時、料理中など)や聴きたいジャンルなどからフィルタリングしてプレイリストを選ぶだけなのだから数タップである。ユーザーインタフェースはシンプルでかっこ良くなり、操作感は軽快だ。Beatsのモバイルアプリを使ってみて、リコメンデーションやキュレーションでUIやアプリの使用体験が進化するというのは発見だった。

左はユーザーへのおすすめ「Just for you」が表示されるホーム画面、右はタップ操作で場所や一緒にいる人、気分などはめ込んで作った文章からプレイリストを作成するモバイルデバイス用の機能「The Sentence」

Beatsを使うようになって、音楽のためにiTunesを開くことがめっきり減ってしまった。iTunesに入っている曲もBeatsで聴いてしまっている。音楽を所有することに積極的だった筆者がこんな状況なのだから、ダウンロード販売からストリーミングへの流れは今後強まっていくことになりそうだ。ただし、音楽を知る楽しみが満たされたことで、もっと堪能したいという欲求が以前よりも増しているのも事実。そう、圧縮音楽の普及で便利さとトレードオフになった音質である。もしiTunes(ダウンロード販売)が音質でBeatsを圧倒するようなハイレゾへと本格的に動き出し、それを簡単に楽しめるようになったら、今度はどうしても手元に置いておきたい作品をハイレゾで収集し直してしまいそう……音楽を楽しむことに終わりはない。