年上の部下を持った20代マネージャが抱えた戸惑いと課題

熊谷営業所所長としての最初の試練は、全く部下を管理した経験がない自分が、数名のスタッフの上長をなり皆をマネジメントする事であった。スタッフの一人が自分の元上司であったことも難しい課題となった。

スタッフとの距離間にも戸惑いを覚えた。20代でマネジメントの経験のない若造では、営業所所長として相応しくないとクレームを申し立てる顧客に、自分を認知してもらうのは決して容易ではない。幾度も虐めにあった。悔しさに耐えなれなくなり、車中で大声を出し、泣き叫んだのも何度もある。涙が止まらないほど悔しく、顧客が恐ろしく思えたが、逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えた。"自分を信じ、耐え抜く"と強く自分に言い聞かせるしかほかに方法がないように思えた。どんな困難に直面しても逃げてはいけない、逃げ出してはいけない。人は苦しみ、もがいた分だけ強くなれる。

ある日、東京三洋製作所 OA事業部資材担当T氏から"営業マンの売り上げは顧客訪問の回数に比例する"という言葉を頂いた。この言葉は、当時の私に大きな転機をもたらしてくれた。営業は担当顧客訪問を繰り返す事により、顧客から信頼を得られ、必然的に引き合いも増える事を実感した。これが契機となり、私は2年連続でインテルジャパン最優秀営業(MVP)の栄冠を手にすることが出来た。

今も記憶に残る3つのアドバイス

熊谷営業所所長就任から1年半後、私はインテルジャパン代理店統括部長のポジションに就いた。当時の上司、インテルジャパン代表取締役副社長の伝田信行氏から実直なアドバイスと激励に加え、人物としての生きざまを教わった。今でも鮮明に記憶の中に生き続いている貴重な3つのアドバイスがある。

  • 5年先の目標をしっかり見据え、具体的なイメージを描き、達成を目指し奮闘せよ
  • 自分が迷った時は、常に困難な道を選び、突き進め
  • 職を辞する時は、社内の皆に惜しまれて去るようにしなければ意味がない

インテルジャパン代理店営業統括部長としての最初の大きなミッションは、東京エレクトロンを退職した方々が中心メンバーとなり設立した販売代理店ダイヤセミコンダクターを立ち上げることであった。

ダイヤセミコンダクターは短い間に急成長を成し遂げた。注目していた三菱商事からの出向してきた若手営業マンである野瀬佳一氏は現在、米国三菱商事の上席副社長としてニューヨークで活躍中だ。2011年12月に彼は奥さんと一緒にボストンまで私に会いに来てくれ、再会を分かち合った。

顧客として、私が特に注力したのはセイコーエプソンであり、同顧客はIntelの最大の競合メーカーであるAMDのゴールデンアカウントであった。Intelつくば本社からほぼ週1回往復9時間を要し顧客訪問を約2年間継続した。その結果、最初の数カ月間は、会っても頂けなかった資材課長とは、大変密な関係が築くことが出来、そしてセイコーエプソンはインテルジャパン主要顧客の仲間入りを果たすこととなった。

4社の代理店とは個々に主要顧客をStrategic Partnership Account(SPC)として位置付け、インテルジャパン代理店営業担当と代理店営業担当がペアでタックを組み、拡販活動に注力する組織をインテルジャパンすべての営業所(熊谷、筑波、丸の内、調布、三島、大阪)に構築した。その頃の私は部下(スタッフ)全員を"さん"付けで呼び、"さん"付けで読んでもらうのが喜びとなった。加茂社長(当時)から私はインテル入社直後から"さん"付けで呼んでもらっていた。その時の感動と感謝の気持ちは忘れがたいものがあり、いつか自分が部下も持つような立場になった時には全員"さん"付けで呼ぶことを心の中で決めていた。

しかし月例代理店会議では互いにProgressを厳しく追及し合った。代理店営業同士の情報交換を計る為、月例製品トレーニングに加え、月2~3回新宿歌舞伎町に集結し、深夜1時過ぎまで親睦を深めた。皆でParty Animalと呼び合った。

こうして親睦を深め、密な連携がとれるようになった代理店の営業総勢50数名を引率し、シンガポール経由でIntelペナン工場訪問し、代理店営業に初めて英語でプレゼンテーションをやってもらった。皆とても緊張していたが、帰国の途、シンガポールでは参加者の大半が"熱い夜"を過ごしたとの報告を後に受けた。

1985年10月、Intelは創業以来初の"選択と集中"を強いられ、そしてDRAM事業からの撤退し、マイコン事業に特化する対策が取られた。そして、Intelの復活は80386 (32ビットマイクロプロセッサ)の誕生と共に現実となった。そして待ち望んだ王道が拓かれた。名実ともIntelは世界No.1の半導体メーカとして君臨する日がスタートした。

私は確信した。これでIntelの将来は栄光に満ち溢れると。そして自分は新たなチャレンジを求め、Intelを旅立つことを真剣に模索し始めた。

(次回は7月19日に掲載予定です)

著者紹介

川上誠
サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年 Intel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカーの日本法人代表取締役社長を歴任。そして2012年ハーバード大学特別研究員に就任