Zilog Dream Teamの一員としての喜びと苦悩

1998年10月下旬、私は晴れやかな気持ちでザイログジャパン株式会社代表取締役社長としてZilog Dream Teamの一員に加わった。本社の製造、開発、営業、マーケティング、品質管理、経理、総務人事などの各部門長には錚々たる経歴の持ち主が並んだ。

Zilog本社ビル(当時)は以前のApple Computer(現Apple)本社所在地にあったが、新装された机やデスク、会議室、ダイニングルーム、リフレッシュルーム、ジムは輝きを放ち、社員達の表情は英気に満ちていた。

ザイログジャパンの社長就任後、私が最初に取り組んだことは、オフィスの移転だった。当時ザイログジャパンはJR高田馬場駅から徒歩17分の場所に位置し、そして広いオフィスの半分以上は未活用のままであった。そこから交通の便が良く、最寄り駅から徒歩数分以内で、60坪の作業空間が確保できる西新宿5丁目青梅街道沿いのオフィスビルへの移転を早々と決定した。

ザイログジャパンオフィス(当時)

オフィスの新装に伴い、ザイログジャパンの社員達の仕事ぶりにも注力し始めた。そして特に業務評価が著しく劣っていた5人のスタッフには3カ月の業務改善期間を設け、改善に挑んでもらうことで合意した。が、5人全員共、業務改善が見られず、結果的には全員職を辞してもらうことになってしまった。日本法人の最高責任者として、社員に解雇を言い渡すのはいつの時でも忍びない事である。

その後、米国本社から製品知識が豊富なマネージャを一人派遣してもらい、空席ポジションには適任者を中途採用し、スタッフの補充、増強を行った。国内代理店の強化策としては、従来の代理店、テクセル、ユニダックスに加え、二次販売代理店であったインターニックスと国内一次代理店契約を結んだ。

Zilog Dream Teamの一員としての一番の歓びは、NASDAQ株式市場への再上場に向け、全社員一丸となって挑む事だった。本社主催の月例タウンミーティングでの、Crawford社長のスピーチに、私は何度も身震いを覚えた。そして同僚と歓喜を分かち合う事がとても誇りに思えた。

タウンミーティングの冒頭、Crawford社長は顧客第一主義、顧客満足をメインテーマとして語ることが多かった。社員1人ひとりへの語りかけは、実に感動的であり、社員のやる気を促し、行動指針を示唆し、アクションへと導く不思議なパワーを秘めていた。

Zilogは1999年1月下旬、前年度売り上げ目標を100%以上達成したセールスマンとその上司を夫妻でハワイ島に招待し、セールスカンファレンスを開催した。Crawford社長のオープニングスピーチはいつもに増して迫力に満ち、最高のステージであった。必然的に社員の士気は物凄く高まった。

1999年に前年度売り上げ目標100%以上達成記念の盾

一方では、全社期待の新製品、32ビットマイクロプロセッサの開発が大幅な遅延を起こし、新製品開発スケジュールは数回も見直される状況に陥ってしまった。その間、ザイログジャパンの売り上げは成熟製品(Legacy Product)だけに依存する状態が続いてしまった。

新製品情報が欠如し続けた結果、新規顧客はもちろん、既存の顧客との商談も困難となった。主要顧客から新製品開発情報を求められる度に、明確な回答が出来ない苦悩の日々が続いた。ザイログジャパンの営業はもちろん代理店営業の士気も次第に失せてしまった。

私はザイログジャパンのリーダーとして責任感を痛感し、解決策を提示出来ない自分の無力さを嘆き、幾度も天にすがりたい気持ちになってしまった。2000年春、米国Zilog開発センター(テキサス州オースチン)に出張した際、Zilogの根本的な問題は、コア技術力の欠如による開発力の弱さであることを再認識する事となった。核になるテクノロジーの開発には長年の月日を要する事を自覚した。

Zilogのような中小半導体メーカに取って製品開発力は生命線であり、生命線が絶たれるのは極めて苦難であった。失意のまま退職する社員が増え、Dream Teamから離脱する執行役員が一人、二人と続いた。

そして自分自身も大きな決断をする時期が迫っているのを予感し始めた。Zilog社員と共に追いかけたNASDAQ株式市場への上場の夢は、次第に空前の灯となって行く現実、とても遺憾に覚えた。しかし、2年の短い年月ながら、皆と夢を叶えるため、勇敢に立ち向えた歓びと誇りを全身で強く感じ取っていた。

(次回は9月13日に掲載予定です)

著者紹介

川上誠
サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年 Intel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカーの日本法人代表取締役社長を歴任。そして2012年ハーバード大学特別研究員に就任