Cerebrasによるウェハスケールチップの衝撃

毎年恒例の高性能チップの発表イベント「Hot Chips」が今年もシリコンバレーで開催された。

今年は最近非常に元気のいいAMDをはじめ、Arm、IBM、NVIDIAなどが各社さまざまな分野での先進チップの発表を行ってかなり盛り上がった様子だ。

それらの報道の中で私が高く関心を持ったのはシリコンバレーのベンチャー企業の1つであるCerebras社が発表した「Wafer Scale Deep Learning」の発表だ

本誌のHisa Ando氏のレポート記事で詳細に説明されているように半導体ウェハのほぼ全面を使ってDeep Learning用の超大規模な1チップ・システムを作ろうというアイディアである。製造、実装の面で幾多の考えられる問題点を上げながら、自らが編み出した解決方法を披露するという大変に面白い発表で、ここまでこぎつけた開発エンジニアの熱い思いが伝わってくる。もうすでに使ってみようというカスタマーも2社ほど名乗りを上げているということは、このとんでもないプロジェクトが相当な段階まで到達したという証拠で、これからの展開が期待される。

215mm角のシリコンウェハに1.2兆個のトランジスタを集積するというから、まさに野心的なプロジェクトである。何よりも目を見張るのは太陽電池用の156mm角の多結晶シリコンウェハよりもさらに大きい215mm角という桁外れたチップのサイズである。

12インチ(直径300mm)の大口径ウェハから一番大きい正方形を切り出したものであるが、こんなことを考えついて開発を進めたエンジニアの信念もさることながら、製造までこぎつけたTSMCの実力をまざまざと見せつけられた感じがした。

まさにWafer Scale Integration(ウェハサイズの集積回路)である。この発表を見て私は「これってずいぶん昔にも聞いたことがあるな…」という不思議な感覚にとらわれた。私はこの種の話をAMD勤務時代、それもかなり昔にも雑誌で読んだ記憶がある。早速調べてみることにした。

  • Am486

    8インチウェハに作りこまれた通常のAm486チップ (著者所蔵イメージ)

Gene Amdahlが率いたベンチャー企業Trilogy

調べてみるとWSIという考え方は1970~80年代からすでに考案されていて、TI(Texas Instruments)やITTといった米国の半導体会社によって製品化が試みられていたが、いずれもうまくいかなかった。その中で現在でもある程度記録に残っているのはTrilogy Systemsというシリコンバレーの会社のみである。

そのTrilogyを創立した人物の名前を見てびっくりした。その人の名はGene Amdahl、コンピューター界のレジェンドである。多分、私が「昔、聞いたことがある」と微かに憶えていたのはAmdahlが創立したTrilogy社のことであろう。

昔、シリコンバレーに本社を置いていたAMDの本社ビルのお隣に「Amdahl」という会社の看板があったので、私は米国出張の際に上司に「あのAmdahlという会社は何をやっているところ?」と聞いたことがある。私の上司の答えは大変に興味深かった。「ああ、あそこはGene Amdahlの会社だよ。Gene AmdahlはうちのJerry(AMD創業者Jerry Sanders)と同じくらいシリコンバレーではよく知られている破天荒な人だから、今、彼があの中で何をやっているかはよくわからないな」というのが私の当時の上司の答えだった。

Gene Amdahlはノルウェーとスウェーデンの移民の両親のもとに1922年に米国サウスダコタ州に生まれた。非常に優秀な成績で大学を卒業するとすぐにIBMに入社し、入社間もなく頭角を現し、現在のコンピューターの原型とも言われるIBMのSystem/360メインフレーム・コンピューターの開発にも従事した。1965年にはIBMのフェローになっている。Gene Amdahlは並列コンピューティングの祖としても知られる優秀なコンピューター・アーキテクトであったが、果敢な起業家でもあった。

技術上の意見の食い違いからIBMを飛び出したGene Amdahlは、1970年にシリコンバレーに自身の名前を冠したコンピューター会社Amdahl社を創立した。Amdahl社はIBMのメインフレーム・コンピューター互換機を開発し、富士通と提携して「IBMのメインフレームよりも速く、安価」という謳い文句で業界に登場し大きな成功を収めた。

Amdahl社がもっとも調子が良かったのは1990年代の前半であったと言われているが、実はこのころには創立者のAmdahl自身は新会社の設立ですでにAmdahl社を去っていた。多分私が上司にAMDの隣にあったこの会社について質問したのはちょうどこの時期であったのだろう。

Gene AmdahlはAmdahl社の大成功を待たずに、自身が信じる「ECLプロセスによる高性能のシングルプロセッサー・システムでメインフレームを構築する」という技術者としての野望をかなえるために1980年にTrilogy Systems社を設立した。Trilogyは究極のシングルプロセッサー・システムであるWSI(Wafer Scale Integration)を目指す会社として設立された。

Trilogy社はDEC(Digital Equipment)、Sperry、UnisysなどのIBMコンパチブルメーカーの強力なバックアップを得て、IPOまでこぎつけ6000万ドルほどの資金を集めることに成功し、自社の半導体工場を持つまでに至った。しかし肝心な1ウェハ/1チップのプロセッサーの開発はうまくいかなかった。

Amdahl社はすでにECLプロセスで製造した高速チップ11個と効率の良い空冷の冷却システム(IBMは水冷)で構成したCPUの開発に成功していて、これがAmdahl社の市場での成功につながったが、Gene Amdahl自身はどうしてもこれを1枚の半導体ウェハに集積するという夢を捨てきれなかったのだろう。

製品はなんとかできるが、歩留まり、信頼性、実性能、などの数々のチャレンジから商用化に至らず、結局Trilogy社は5年後の1985年にWSIの開発をすべて断念した。その後Gene Amdahlのこの企てはしばらくの間シリコンバレーでの最大規模の失敗として記憶されたが、彼はそれに懲りるどころかその後会社を何社か起業している。

Gene Amdahlの夢 - アナログとデジタルの融合

Gene AmdahlがWSIプロジェクトで基本的な考え方としたのは「冗長構造による不良の最小化」であった。どういうことかと言うと、「シリコンウェハ上に多数のデジタル回路を焼き付けても、必ずシリコンの物性により良と不良の両方のユニットが出てくる(これが歩留まりである)。しかし、この不良のユニット数よりも良のユニット数が勝っていれば、シリコン上の直接結線による性能向上と、シリコン一枚で済むという低電力化の優位性が勝る」、というものである。しかし肝心なのは「どこが限界率なのか」ということである。こう考えると、WSIというのもあながちとんでもない突飛な考えでもないのかもしれない。

コンピュータ・アーキテクチャーはあくまでもデジタルであり、いくらでも人間の頭の中でスケールアップ可能なのに対し、シリコンウェハは自然の摂理である物性というあくまでアナログな制約に支配されている。

  • ウェハ上の抵抗値

    シリコンウェハ上の抵抗値の分布を示すデータのイメージ (著者所蔵イメージ)

今日のシリコンウェハは超高純度で超平坦でその特性は超均一であるが、シリコン上の物理を100%コントロールできるわけではない。その自然の摂理に果敢に挑戦するCerebras社の今回の発表は今から4年ほど前に93歳の長寿を全うしたGene Amdahlの夢の実現のように感じられる。シリコンバレーの懲りない連中はまだまだ健在である。