前回は任天堂のゲーム機について書いたが、今回はセガである。
セガのハードウェアを語る前に、ちょっとした年表を紹介させていただく。各メーカーのマシンを年代順にプロットし、その同時代にパソコンの世界ではどのようなCPUが使われていたかを重ねてみた。これを見るとその当時どのマシンが競合関係にあったかが一目でわかる。ゲームコンソールの前半戦は王者任天堂にセガが仕掛けるという構図で、後半戦はソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)とマイクロソフト(MS)の熾烈な競争となっている。その間、パソコンの世界ではIntel対AMDの競争が相変わらず継続されていた。各時代のマシンのCPU(GPUももちろん大きな半導体構成要素ではあるがここではCPUを中心に取り上げる)を調べていくうちによくわかったのは、CPU供給者としてはゲーム機市場は割の合わないビジネスであるのに、ほとんどの場合ゲーム機のCPU技術はパソコンのそれの先を行っていたという事実である。
これはCPUのみならず、GPUを含めた他の半導体要素についても言える。要するに日本のゲームマシンは常に「最先端半導体てんこ盛り」の贅沢マシンであったということである。これはハードウェア信仰に終始した日本の電子機器事情を如実に物語っているのではないかと思う。他国でこのようなビジネスが展開された例はなく、ゲーム機の20年史は日本の電子産業の浮沈の20年史と符合するように見えるのは私だけではないと思う。
セガサターン(セガ・エンタープライゼズ、1994年発表)
サミーがセガを買収してセガサミー・ホールディングズが誕生したのが2003年であるから、セガの代表的ゲーム機セガサターンが発表されたのはセガがまだ独立企業としてゲーム機に注力していた時代である。サターンはメインCPUに日立製作所(現ルネサス エレクトロニクス)の32ビットマイコン「SH-2」を2基搭載している。当時の日本半導体メーカーはパソコン市場の主導権を米国企業に奪われた後、CPUの方向性を「組み込み機器」にシフトしていた。とりわけ日立はいち早く32ビットRISCの先進性を組み込み用途に持ち込み、パソコン用のCPUに対峙する形でCPU・マイコンビジネスの主導権を握ろうとしていた。制御用のマイコン「SH-1」の後継として登場したSH-2は、最初からサターン搭載を想定して設計された。乗算器もオンチップに搭載するなど当時としてはかなり先進性が高いCPUであった。
高性能CPUであるSH-2を2個搭載するサターンは、16ビットのメガドライブ(1988年発表)の後継機種として1994年に発表された。1994年というのはゲーム機全盛の時代で、スーファミで勢いをつけた任天堂は次機種の64を準備していたし(発表は1996年)、同じ年にSCEが満を持してゲーム市場に参入し、PlayStationを投入した年でもあった。こうした競争激化の状況にあって、サターンの半導体要素について、セガを全面的にバックアップしたのが日立である。SH-2を2基搭載したメインCPU部に加えて、高速ポリゴンフィル、ラスター回転(90度の素早い回転)、音源など高感度のゲームソフト体験を可能とするために合計6-7個のカスタムLSIを搭載したまさに「半導体てんこ盛り」マシンとなった。
そのせいであろうか、メーカーの定価は44,800円というかなり高い設定になった。その後の実際の小売価格も人気ソフト「バーチヤファイター」などのバンドル値引きなども含めてもなかなか下がらなかったのが現実である。なにかと話題になる人気ゲーム機であったが、実際の生涯販売台数は950万台で1000万台超えが当たり前のゲーム機市場では満足のいく実績を上げることはできなかった。ちなみに、今回の記事を書くにあたって、いろいろな方に実機の写真提供のご協力を願ったが、サターンの写真を入手することは難しく、撮影に困難を極めたゲーム機の1台となった。
ドリームキャスト(セガ・エンタープライゼズ、1998年発表)
セガにはマーケット・リーダーである任天堂と新たに出現した強敵SCEを相手に、ゲーム市場で起死回生の、挽回を可能とするゲームマシンが必要であった。そこで、サターンの登場後4年でセガが市場投入したのがドリームキャスト(略してドリキャス)である。
サターンの半導体部品点数は非常に多く、システムの構成も複雑であったので、ドリームキャストにはサターンとは互換性を取らない新規アーキテクチャーが考案された。
しかし半導体構成としては依然として日立がSHシリーズの最先端CPUであるSH-4を提供した。SH-4もSH-2同様セガのドリームキャストに搭載されるメインCPUとして日立が当時の技術を結集したRISCベースの32ビットCPUである。
ドリームキャストの半導体構成は、サターンと比較して部品点数の点でははるかにシンプルであったが、個々の主要な演算機能用のCPU部はカスタム仕様でかなり贅沢な印象がある。メインCPUのSH-4自体がグラフィクス性能を補佐するための浮動小数点ユニットをオンチップで集積していたのに加え、ドリームキャストのグラフィックス描画エンジンにはNECがPowerVR2を提供した。PowerVR2の原型はイギリスのファブレス設計会社VideoLogic社(現在のImagination Technologies)とNECが共同開発したPowerVRである。
このチップはパソコンの描画機能強化用のアドオンカードなどにも搭載されてリテールでも販売されていた。当時の私はAMDでこうしたCPU、GPUが競合として登場していたのを目の当たりにしていたが自社のビジネスの脅威としてはとらえていなかった。ビジネスの脅威はあくまでIntelであって、パソコン市場のように業界標準が存在せず、複数社がカスタム半導体で競っている市場では半導体供給者の取り分はかなり限られているであろうという考え方を持っていた。
ドリームキャストはインターネットの到来にいち早く目をつけ、通信用アナログモデムも標準搭載され、複数の競技者がネット接続で遠隔参加できるというかなり先進的な機能が組み込まれていた。こうした先進性を十分に取り込んでいたドリームキャストであったが、結局生涯出荷台数は1000万台程度に終わってしまった。最終的にセガのゲームコンソールビジネスからの撤退により、ドリームキャストはセガのハードウェアとしては最後のものとなった。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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