Appleが大量のモデム設計エンジニアを募集

Appleをめぐる半導体の動きが活発化している。iPhoneに組み込まれているアプリケーション・プロセッサーであるAシリーズは現在TSMCで製造されている。その製造数量はTSMCの売り上げにカウントされているのでどれくらいかわからないが、Apple自身が開発設計したこのプロセッサーは、そのすべてがApple向けに独占的に販売されている。

これらのプロセッサーにAppleのブランドを付けて外販したとしたらブランドベースでは相当な数のプロセッサーを生産していることになるので、Appleはすでに立派な大手のプロセッサー・メーカーであるといってよい。そのAppleが現在5Gモデムのエンジニアを躍起になって募集しているという面白い話題が海外で報じられている

この記事によると、募集人員は約500人。公開されている募集要項を見るとほとんどすべてがRF、5Gモデム、LTE、あるいはそれらを集積したアプリケーション・プロセッサーの設計エンジニアである。

しかもそれがQualcommの本社があるサンディエゴであるというから、これはもうAppleによるQualcommに対する設計エンジニアの引き抜き攻勢であることは明らかである。

500人以上の半導体設計エンジニアを雇い入れ、設計事務所を構えるという話もあるという。500人超の設計会社といえば独立したファブレス半導体設計会社と言ってもおかしくはない。現在のAppleとQualcommは以下のような複雑な事情を抱える。

  • AppleはプロセッサーではAシリーズという素晴らしいデザインを持っているのでかなり盤石だが、もう1つのキーコンポーネントであるモデムは外からの調達に頼っている。
  • AppleとQualcommは一時期良好な関係にあったが、現在は特許料をめぐる争いで係争中である。AppleはIntelからモデムを調達している(Intelのモデムの設計部隊はもともとはInfineonの設計チームである)が、やはりQualcommの長年のRFに関する経験と知的財産には大きく優位性がある。
  • Qualcommも中国の独禁当局の買収許可の遅延でNXPの買収がとん挫し、高額の違約金を支払ったうえ、サーバー用CPUの設計エンジニアのレイオフをしたばかりで社内はかなりガタガタしている様子である。
  • もうすぐそこまで来ている本格的な5G時代に備えてインフラ整備が進む中、5Gモデムの高性能チップはCPUに劣らない重要な部品となっている。

こういった事情を勘案すれば、AppleがQualcommにエンジニア引き抜き攻勢をかけるというのはあり得る話である。

  • iPhone

    Appleは歴史的に半導体部品には大きなこだわりを持っていた (著者所蔵イメージ)

歴史的に半導体キーコンポーネントにこだわったApple

Appleの企業DNAは今は亡きSteve Jobsの時代に醸成されていき、今でもその企業文化は脈々と引き継がれている。Jobsはその最初のヒット作Macintosh(Mac)で、CPUにMotorola 68000を選択したが、このCPUは大変に優秀な設計で、AMDで働いた私が言うのも変であるが、AMD社内でも「最もエレガントなCPU設計」と言われていた。

JobsはいったんAppleを追い出されNEXTというワークステーションの会社を起業したが、そこでもCPUにはこだわり、Motorolaの野心的なプロジェクト88000シリーズに深く関係していたことはよく知られた話である。

参考:吉川明日論の半導体放談 第37回 記憶に残る傑作CPUたち(後編)

88000は結局失敗に終わったが、その流れはIBMのPowerPCへと受け継がれた。Appleに戻ったJobsはPowerPCをMacに採用したが、その後PowerPCがIntel/マイクロソフトの攻勢に押されて勢いをなくすにしたがってIntel CPUを採用するに至った。

私は今でもありありと覚えているが、Intel CPUを採用したMacの発表会でJobsは当時のIntelのCEOであったPaul Otelliniを壇上に招いて協業を訴えたが、その時のJobsの表情はちょっと複雑であったように記憶している(これは当時AMDで勤務していた私のかなり主観的な見方ではあるが)。

やはりJobsはCPUのようなキーコンポーネントは自社で設計したかったに違いないと私は思っている。その希望はiPhoneの頭脳となったAシリーズの自社開発で結実したということだ。その裏にはファウンドリーとファブレス設計会社というビジネスモデルの興隆がある。

キーコンポーネントに強くこだわるApple

Appleのキーコンポーネントへのこだわりについて私はもう1つ思い出すことがある。私はAMDを辞めた後、半導体ウェハの会社に勤務したが、世界中から報告される社内の営業レポートの中に面白いものを見つけた。

当時の私が勤務していた会社は非常に小規模な半導体ウェハ会社であったが、特にMEMSセンサなどの製造に使用される特殊なプロセスを施した製品が売りであった。

米国の営業マンが報告したケースでエンド顧客がAppleというのを見つけて読んでみたのだが、その報告書は非常に奇妙なものであった。ウェハの仕様についてはかなり詳細に記録してあったのだがアプリケーション、顧客からの質問事項、今後の数量の予定とアクションアイテムなどの欄がすべて「不明」となっていたのだ。研究開発用に特殊なウェハのサンプルを注文していたことは明らかで、Appleが半導体素材であるウェハのレベルから研究開発をしているということに大変驚いた記憶がある。Appleのキーコンポーネントへの執拗なこだわりを感じた経験として強く印象に残っている。

ネオ・モノポリーの時代

前回、ネオ・モノポリーという話題で記事を書いたが、必要な要素技術を業界の垣根に関係なくすべて取り込んでしまおうという大きなうねりは明らかに起こっているようだ。

半導体ではメモリーのようなコモディティー製品は大規模な生産拠点の確保と需要予測の的確な判断という経済的な戦いになっているので取り込みは起こらないと思うが、エンド製品の価値をダイレクトに決定づけるCPU、モデムなどの製品は最早少量多品種ではなく、優れたスペック1本でとんでもない数が必要になるという新たな経済原理が働いているように思える。その中で通信速度を飛躍的に向上する5G時代の到来は相当に大きなものであることが予想される。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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