先日、漫然とYouTubeを眺めていたら突然AMDのWeb広告が目に飛び込んできた。「自分の成長が見込める会社に入りませんか?」という短いメッセージから察するに、新卒学生へのリクルート広告であるらしい。

挿入されたイメージは、多分スタンフォード大学あたりのキャンパスシーンでカリフォルニアの自由な雰囲気を表現していてかなり好感度が高い広告だと感じた(AMDのOBとしてのひいき目は確かにあると思うが)。これから社会に出る学生たちの目には、かつて圧倒的なIntelを相手に常に劣勢だったAMDは、今やIntelのプロセッサー技術を凌ぐ「急上昇中」の企業の1つとして映るのだと思う。半導体業界は「資本集約的」とよく言われるが、その資本を動かす「人材集約的」な業界でもある。圧倒的な資本力の差をはね返して今ではIntelに迫るAMDは、その過程を経験して自己成長につなげようと思う若者には格好の環境である。業界としての注目度の上昇もあって、半導体は優れた人材の獲得について各社がしのぎを削る状況である。そんな事を考えていたら、昔のAMDのリクルート広告を思い出した。

Catch the Wave(この波を掴め!!)と学生にアピールした40年前のAMDの広告

私のAMDでの仕事は営業・マーケティングが中心だったので、私自身のビジネスでの関心も自ずとその分野に傾いていった。AMDが大々的に広告キャンペーンを展開したのは、創業50年以上のAMDでもかなり前半のころだと思う。

Webによる情報拡散が主役である今日では、広告キャンペーンについては費用対効果がかなり明確になるWeb上でのターゲットマーケティングが中心であるが、当時は結構感覚的な方法でもってかなりの額の予算が組まれていた古き良き時代であった。特にCEOのサンダースは広告に特別な関心があり、私が入社して日本で独自に展開した広告について直接コメントをもらったのを覚えている。

印象深いのは、AMDが1969年の創立から10年目を迎えて、テレビCMなどを含む大々的な広告キャンペーンを展開した1970年代後半のころの取り組みである。私がAMDに入社したのは1986年なので、この広告が出された時期にはまだ入社していなかったが、入社後に何度か聞いたことがあるこのキャンペーンは「Catch the Wave(この波を掴め!!)」というテーマのリクルート広告である。

創業10年目で急成長を続けたAMDがかなり「波に乗っていた」時期である。当時の総売り上げは2億ドルと現在のAMDの規模からは比べようもないが、Intelを含めてシリコンバレーに群雄割拠したスタートアップとしてはかなり順調だったに違いない。「米国で最速の成長を遂げるAMDであなたも成長してみませんか? あなたもこの波を掴みましょう!!」と訴えるコピーは非常にわかりやすく、共感を呼ぶものである。

ここに掲載するイメージは新聞広告のものをAMD社史から抜粋したものであるが、テレビ広告では、なぜかビジネススーツを着た若者がサーフボードに乗って大きな波が来るのを待っていて、最後、ついに高波を捕まえて、そのトップで叫ぶシーンがあった。今から見ればかなりレトロな雰囲気ではあるが、カリフォルニアの自由闊達な雰囲気を充分に伝えていた。

  • AMD

    AMDが1979年に掲載した新聞広告 (出所:AMD社史)

最近、Webで偶然見かけたAMDのリクルート広告でも確か「成長するAMDで自分の成長を」と言っていたと思う。競合Intelを追い抜く技術で市場シェアを確実に広げつつある現在のAMDを考えれば、これから世の中に出て自分を磨きたいと考える学生にとってAMDは確かに魅力的な環境に映るのであろう。古今東西、広告マーケティングの肝はそのブランド・商品・サービスの優位性そのものではなく、それを選択した人が享受する利益について訴求することにある。

「退屈は犯罪です」、刺激的なアプローチで目を引くNetflix

コロナ禍の最中に開催された東京五輪、私もご多分に漏れず日本代表選手たちの活躍をテレビ観戦した1人だが、そこで遭遇したNetflixのコマーシャルは強烈だった。

いきなり「退屈は犯罪です」という刺激的なコピーの後、Netflixというクレジットが現れる非常に単純明快な広告であるが、タレントが製品名を連呼する通常の広告に飽き飽きしていた私には大変に新鮮に映った。五輪中継の時間帯に合わせた点や、刺激的なコピーには賛否両論あるようだが、コロナ禍の巣ごもり状態もあり、ついにNetflixの契約をしてしまった私は「してやられた……」という感じを持った。

映画やシリーズドラマのネット配信と自社制作による優れたコンテンツというビジネスモデルで急成長したNetflixの業績は、相次ぐ競合の市場参入により大きく影響を受けたが、競合を圧倒するコンテンツ制作投資による新たな視聴者の獲得という強気の姿勢は一向に変わらない。新たな視聴者獲得のための標的の1つはテレビ視聴者である。2020年正月の全国紙に掲載された刺激的な新聞広告を今でも思い出す。

  • Netflix

    2020年正月の全国紙に掲載されたNetflixの新聞広告 (筆者撮影)

印刷物、ネット、テレビなどの異なるメディアを巧みにミックスして新たな顧客を獲得する効果的なメディア・ミックスのお手本のようなもので、好き嫌いは別としてNetflixの広告マーケティングには常に目を惹かれる。

Netflixの真骨頂は顧客から吸い上げた顧客の嗜好傾向のビッグデータとその分析により効果的に行われるターゲットマーケティングであるが、その仕組みをよく理解しているつもりの私でも「あなたが次に観たいドラマはこれです!」、などというメッセージが届くとついクリックして予告編を観てしまう。「これを繰り返していればNetflixは早晩私自身が気が付いていない潜在的な嗜好傾向までも突き止めるのだろうな……」などと思いながらも漫然と画面を眺める私はもうすでにNetflixのリピート顧客リストに取り込まれてしまっている。

行動経済学の要素を取り込んだ最近の広告アプローチ

新しいマーケティング手法と言えばここ数年、行動経済学の要素である「ナッジ(Nudge)」を取り入れた広告をよく見かける。“Nudge”とはもともと英語で「肘をつつく」、「そっと背中を押す」などを意味する言葉であるが、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が提唱した人間の行動変容を促す効果的なマーケティングの手法の考え方として、実際の広告などにも取り入れられるようになった。

「XXがお得です」、「XXは効果があります」、「XXは最高です」などと一方的にブランドを押し付けるのではなく、人間の行動変容を促す「ちょっとした工夫やきっかけ」を仕込むことによってこちらが望む行動に誘導するというやり方である。コロナ禍のもとですっかり認知された「ソーシャルディスタンス」を実際の人間の行動に反映させるための地面に描かれたサークルなどはその典型的な例である。仕掛ける側から見た「望ましい行動」を実際に喚起する有効なやり方であるが、これはある特定の意図を持った強力な行為者によって恣意的に利用された場合の危険性も孕んでいることは気をつけたいところだ。