「百貨店方式」から「専業特化」に方針転換

両備システムズは、前編でも触れたように創業直後にシステム開発の遅れにより、存亡の危機を招くほどの事態に陥った。それは技術力のなさが露呈した出来事でもあった。「『ともに挑む、ともに創る。』 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年」の過去回はこちらを参照。

だが、ROHTASの開発実績を見てもわかるように、短期間に日本初の医療オンラインシステムを完成させ、医療システムの先進国である米国で高い実績を持つSMSの日本法人と、国内販売で業務提携を結ぶほどの評価を得る技術力と信頼性を持つ企業へと生まれ変わっていた。それは、技術者育成に多くの投資を行ってきた成果の表れでもあった。

その取り組みの1つが、1973年からスタートした富士通川崎工場への技術者派遣である。最先端のソフトウェア技術を学ぶために、社員を富士通に出向させ、そこで学んだ知識を、岡山で生かすという仕組みを構築。1976年時点では18人の出向者が富士通で勤務していたが、1981年には50人を超える出向者が働く環境を構築していた。

そして、この取り組みは富士通からメインフレームのベーシックソフトウェア開発の一括請負を獲得するという成果にもつながっている。1977年には制御プログラムの機能検査を富士通から獲得したのを皮切りに、その後にOS関連の一括請負へと拡大した。

さらに、システム開発へと広がっていった。富士通は1976年に操業した沼津工場にメインフレームの開発、生産拠点を集約し、さらに、1982年の第2期拡張計画によって、ソフトウェア部門を集約したが、それにあわせて、両備システムズは、沼津近郊に34人が収容できる社員寮を取得し、出向者の技術習得を生活の面からもサポートした。

  • 「ともに挑む、ともに創る。」 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年 第3回

    沼津の社員寮

一方で富士通との連携により、富士通ユーザーであった川崎製鉄水島製鉄所(現・JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区)のフィールドサポートを1974年からスタート。サポート範囲を拡大するとともに、同社で利用する設備保全のオンラインシステムの開発などにも着手していった。

このように、数々の開発業務を手掛けながら、高度な開発技術を習得した人材を育成することに成功。同時に両備システムズの技術力と、富士通からの信頼性は着実に高まっていったのである。

1979年に両備システムズは「専業特化」の方針を打ち出した。岡山に拠点を置く地方IT企業の特性から、地域のニーズにあわせて、業種、業務を問わずに地元企業のIT化のニーズに応えるという「百貨店方式」の方針を転換。行政と医療を得意分野に位置づけるなど、業種、業務、技術に特化した専門サービスを提供する「専門店方式」とし、これを全国展開する「専業特化」を目指すことにしたのだ。

ここで掲げたモットーが「顧客を知り、顧客に学ぶ」である。それぞれの業種における顧客との共創を通じて、システムを構築し、顧客に最適なITサービスを提供することを基本姿勢に据えた。

両備システムズでは1984年に東京・新宿に東京分室を開設し、全国に自社パッケージを販売するための基盤を構築。医療分野向けのROHTASの全国展開に続き、1987年には「健康管理システム」(現在では『健康かるて』として展開)の販売を開始した。

さらに、1991年には「SUPER地籍システム」、1992年には「下水道施設管理システム」を提供、続けて1993年に「スポーツクラブ向け会員管理システム」、1996年に「GPSタクシー配車システム」、1999年に「介護認定支援システム」、2000年には「バスロケーションシステム」といったように、業種特化型パッケージソフトウェアを相次ぎ開発し、リリースしていった。加えて、1999年には自治体向けグループウェアである「公開羅針盤」を開発し、業務の切り口からも全国展開を行う地盤を確立した。

1994年に民間企業部門を独立させて、子会社(2004年に分社後、2020年に両備システムズに合併)を設立したのも、専業特化を加速するための手段であった。専業特化をリードしたのが、医療分野である。1985年から米SMSとの業務提携により、医療分野向けオーダリングシステム「OCS」の開発をスタート。

だが、SMSが日本市場からの撤退を決定したことで両備システムズが開発を継続し、単独で製品化。1988年に三井記念病院で稼働したのに続き、帝京大学付属病院でも稼働。「自治体の両備」と並ぶ「医療の両備」としての実績と知名度を高めることになった。

医療分野への取り組みはその後も加速し、1998年にはROHTASとOCSで培ったノウハウを結集した医療情報システム「OCS21」を開発。カルテの電子保存が法律で承認されたことにあわせて、電子カルテも開発し、2003年には済生会野江病院での稼働を皮切りに13病院で稼働した。

さらに、後継システムの「OCS-Cube」により、4つのメインシステム(医事会計、オーダリング、看護支援、電子カルテ)で構成するトータル医療ソリューションへと進化したほか、2009年にはIDCを利用した初のASP型サービスへと発展させている。

地図データ事業とBPOへの展開

1997年には、法務局の地図入力作業の受託業務を開始した。約50人による専任部門を設置し、膨大な機密データの入力作業を担当。この経験が全国50カ所の法務局での数値データ変換と地図データ編集作業である地図等改製数値化作業の受注につながったという。

  • 「ともに挑む、ともに創る。」 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年 第2回

    法務局から地図入力作業を受託

だが、この作業は多くの労力を伴い、複雑な地図情報のデジタル化の作業が難航。営業部門も入力作業を手伝う事態に陥り、結果として5年間赤字が続くことになった。しかし、両備システムズの開発部門では、ここで発生していた作業上の問題を抽出し、複雑な地図情報を自動で読み取れるようにソフトウェアを改良。

作業の大幅な効率化を実現するだけでなく、経験が少ない作業者でも高い水準での作業ができるようになり、6年目以降は黒字に転換。その後も収益事業として成長した。

両備システムズの副社長も務めた、両備ホールディングスの三宅健夫副社長は「当初は大変な思いをして作業を続けてきたが、開発部門に要望すると、それを解決するためのソフトウェアをしっかりと開発してきた。作業を分単位に分析するマイクロマネジメントの指導をしていただいたパートナー企業の存在もあり、大赤字プロジェクトが大黒字プロジェクトに変わり、平成の大合併で落ち込んだ公共部門の収益をカバーすることもできた」と述懐している。

  • 「ともに挑む、ともに創る。」 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年 第2回

    両備ホールディングス 代表取締役副社長 三宅健夫副社長

この取り組みは、現在の同社における主力事業の1つであるBPOサービスの第一歩となっている。

FCAとの連携と共同開発の取り組み

富士通には、FCA(富士通系情報処理サービス業グループ)と呼ばれる組織がある。富士通のメインフレームを導入し、情報処理サービスを行う全国の企業で構成しており、1966年にFACOM電子計算センター協議会として発足した。

両備システムズは、初期メンバーとして発足時から加盟している。会員間の情報共有も活発で経営や技術、ビジネス、教育などをテーマにした各種研究活動も行っており、会員企業による共同事業も進めている。

その第1号として、両備システムズをはじめとするFCA加盟の4社が、住民情報に関する自治体向け基幹システム「G-Partner」を共同開発し、2000年から全国の自治体に対して、各社がそれぞれに販売を推進した経緯がある。また、グループウェアである公開羅針盤も、当初はFCA加盟の3社が共同で開発を進めたものであり、現在では両備システムズによって開発、販売を継続している。

FCA加盟会社それぞれが持つ技術やノウハウ、顧客基盤を生かして、ソリューションを開発し、それを全国展開するというユニークな取り組みが注目を集めた。両備システムズは、専業特化の実現に向けて、積極的な先行投資を行ってきた。

ROHTASのように、導入顧客が決定していないにも関わらず、ビジネスチャンスがあると判断したら積極的に先行投資を行い、それを営業部門が顧客に提案し、さらに顧客の声を聞いて改良を繰り返すということに取り組んできた。

まさに「顧客を知り、顧客に学ぶ」というモットーの実践が、専業特化の取り組みを加速させたといっていい。両備システムズ 元副社長の小松原元之氏は「トップから言われ続けたのは、しっかりと先行投資をしているのかということだけであり、利益を出せとは一度も言われなかった。年間の基本計画から大きく逸れなければ、ほとんど文句は言われなかった」と述べている。

  • 「ともに挑む、ともに創る。」 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年 第2回

    両備システムズ 元副社長の小松原元之氏

原価管理と先行投資の文化

一見すると「どんぶり勘定」のようにも映るが、これを実現するうえで見逃すことができない仕組みが両備システムズには存在する。それは、40年以上前から社内向けに原価管理システムを独自に開発し、この仕組みを運用し続けているという点だ。

両備システムズの主要顧客でもあった川崎製鉄が、鉄鋼不況により人員削減を実施した際、同社の会計課長が両備システムズの管理部門に移籍してきた。川崎製鉄の厳しい原価管理のなかで仕事をしてきた人物から見ると、両備システムズの管理手法には改善の余地が大きく、そこで原価管理システムを独自に開発し、これを社内で運用していったのだ。

コンピュータリソースの利用状況、開発および運用にかかる原価、職種ごとの人件費、共通費用の比例配分などを細かく管理し、毎月、営業利益をもとに議論を進める仕組みが定着しているのである。

  • 「ともに挑む、ともに創る。」 - 歴史を未来につなぐ両備システムズの60年 第2回

    1980年の新年拝賀式

当時、現場を担当していた三宅副社長は「毎日、原価管理のための作業に時間を取られるため、私自身この仕組みには大反対であった。だが、いま振り返ると、40年以上前から原価管理を徹底し、営業利益で議論する仕組みができていたことは、両備システムズにとって大きな財産だと言わざるを得ない。コスト管理の徹底が、両備システムズのこれまでの成長を下支えしたと認識している」と語る。

両備システムズの社内では、粗利ではなく営業利益を重視する文化が根づいている。こうした仕組みがあるからこそ、積極的な先行投資を行い、それを成長に結びつけることができているのだ。