中国のIT系新卒者の数は80万人(※)……読者はこの数字を聞いてどう思うだろうか。「冗談だろう」「数ばかりで質が伴っていないのでは?」などと思うのではないだろうか。確かに、それが(少なくとも日本人としての)常識的な受け止め方だろう。筆者も最初はそう受け止めた。
※週刊東洋経済 2007.10.20 特集「インド人と中国人」による。
一方、現在の日本では毎年IT系(情報処理系)新卒者は2万人程度といわれている。中国の1/40の水準だ。40万人以上のソフトウェア人材が不足するといわれる日本で、この2万人をすべてソフトウェア産業に投入したとしても、20年かかってようやく不足分を補える計算になる。それも、その間にこの産業から離れる人数は差し引かないとして、である。
日本向けの業務に従事しうる割合がわずかだとしても、中国のIT系新卒者の供給力には目を見張るものがある。日本人IT人材が不足するいま、多くのソフトウェア企業の採用担当者が「人が採れない」と悲鳴を上げている。
そんな中、日本企業は莫大な人材供給量を誇る中国に注目しているのだ。既に中国の大学から直接新卒者をリクルートする企業が出始めている。また、新卒採用だけでなく、中途採用や人材派遣など様々な形での中国人人材の直接的な活用が活発化している。もちろん、いきなり何万人もの中国人人材を日本に連れてこられるわけではないから、オフショア開発の拡大とあわせて徐々にこうした事例が増えてくるのだろう。
中国のソフトウェア業は「逆3K」
それにしても中国ではなぜ、これほど多くの人々がITを学ぶのか。実はソフトウェア開発は中国では人気の職業なのだ。この点、3Kだ、5Kだといわれて敬遠されがちな日本のソフトウェア系就職市場とは事情が全く異なる。大学を出ても「週休0日」勤務が当たり前という職場が多い中国にあって、むしろソフトウェア開発といえば、「逆3K」と言ってもよい。「きれい、給料いい、休日多い」のがソフトウェア開発のお仕事なのである。
もちろん、納期が近づけば残業・休日出勤もいとわず身を粉にして働くことは彼ら彼女らの名誉のために言っておくが(※)、それにしても他の職種よりは随分恵まれている。だから、IT系新卒者は「ソフトウェア業に就けば、家が買える、車も買える、子供にいい教育を受けさせられる」と、意気揚々とこの業界に飛び込んでくる。
※ちなみに、中国のソフトウェア産業従事者に占める女性の割合は約30%で、日本と比べて女性進出が非常に進んでいるといえよう。
また中国政府としても、ソフトウェア産業は環境にやさしく、少ない設備投資で付加価値の高い雇用市場を創出できるため、強く奨励している。こうした背景により、いま中国の大学は次々と「ソフトウェア学院」を設置している。これは、研究方人材の育成をミッションとした既存の学部・大学院とは異なる、実践型ソフトウェア・エンジニアの育成を専門とする新しいタイプの学院で、四年制ないし五年制である。中には、中国東北大学から生まれたソフトウェア企業「東軟集団(Neusoft Group)」が設立した「東軟情報技術学院」のような事例もある(在校生約2万人)。IT人材の育成は中国の産、学、官を挙げた取り組みであるといってよい。
新卒IT従事者の過剰供給? 一方で中間管理者不足も
それにしても年間80万人の卒業生は従事者130万人の中国IT市場にあって、供給過剰ともいっていい状態だ。実際、IT系も含め、中国の全ての学科の卒業生は年間数百万人に及び、新卒者の就職率は70%で、就職難といわれている。しかしIT人材供給力向上に待ったをかける動きは今のところ見られない。一つには、新卒人材を供給過剰気味にしておくことで、初任給相場(地域差があるが2,500元、つまり約3.8万円前後と考えてよいだろう)の高騰を防ぐという狙いがあるのではないかと指摘する向きもある。
それでも、長期的に見れば人件費の上昇は避けられないだろう。中国側のある専門誌とwebサイト上での調査結果によると2005年から2006年にかけての中国ソフトウェア開発人員の平均月収は4,100元(約6.2万円)で、2005年比で6.5%の上昇だった(※)。都市によっては上昇率はこれよりも大きい。
※「2006年,程序員更"薪福"了嗎? 中国軟件開発者年度薪資調査報告」CSDN 2007.2.26
気になるのは、開発人員全体の70%が経験3年以下の人材で占められることだ(同調査報告)。これはかなり多い。やはり新卒人材の供給力向上に伴ってこのような新規人材の層が増えていることを反映しているのだろう。
一方、筆者の見たところでは、プロジェクトマネージャー、中間管理者などの管理人材も増えてはいるが、この中には90年代からソフトウェア開発に携わっていた30歳代の人員がスライド式に管理層に移った者も含まれており、十分な管理能力を持った人材はそれほど増えていないのではないかというのが筆者の所感だ。いずれにせよ、新人ばかりで上級SEや管理者が非常に不足している、というのが現在の中国IT人材市場である。
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図:東京タワー型の中国IT人材市場構成(イメージ) |
圧倒的なIT人材供給量のいい面を利用する
このように、若い人材が大量にいるという人材市場で、日本企業はどのような戦略をとることができるだろうか。注意したいのは、中国について考えるとき、二つの比較対象間の差が大きいことと(要するにピンキリ)、母数が大きいことを頭に入れておかないと、戦略を誤りやすいということだ。日本人がよくやるように平均値で何でも考えようとすると、全体像を見誤る恐れがある。
IT人材市場についても同じだ。80万人の新卒のうち、ハイエンドの人材だけを選び出しても1万人単位で存在するはずだ。しかし、中国の人材は、就職・転職環境の違いから、適性の高い・低いに関わらず「オレはとても能力が高い」と自己申告する傾向がはっきりしている。このあたりは、割と謙虚な(過大申告しない)日本の人材と違う。だから、採用面接をするにしても、「あなたはどれくらいの能力を持っていますか?」と聞くだけでは全く相手の適性が見えてこない。試験をするなどして能力を客観的に測ることで、企業が望むレベルの人材を選び出して採用できるようになるだろう。
結局、中国のIT人材供給量が大きいことのいい面を日本企業は利用すればよいのである。ただし、IT人材市場では欧米企業との競争にさらされるということも肝に銘じなければならない。若い中国人人材は、就職を考えるに当たって、どれだけやりがいのある仕事がもらえるか、職場環境はよいか、そしてキャリア・デザインを考えやすいかをシビアに見ている。中国ローカル企業、そして中国に続々と進出する欧米企業と比べ日本企業はどのような価値を人材に提供できるか。この点をなおざりにして人材戦略で成功することはあり得ない。
著者プロフィール
細谷竜一。1995年、Temple University(米国)卒業。1997年、University of Illinois at Urbana-Champaign(米国)コンピュータ科学科修士課程修了。1998年~2007年総合電機メーカーを経て大連ソフトウェアパークにある某大手ソフトウェア企業で3年間勤務。2008年からユーザ企業系IT会社の社員として上海のオフショア開発拠点に赴任。学生時代はオブジェクト指向やデザインパターンなどの研究に従事。GoFの一人、Ralph E.Johnson氏の講義を受けた経験も。卒業後も、パターンワーキンググループの幹事を務めるなど、研究活動に積極的に取り組んでいる。