本連載の第62回で、「戦場における通信システムの構築では、移動体通信サービスでいうところの基地局、無線LANでいうところのアクセスポイントに相当する機材を持ち込んで、それを中核にして通信網を展開する。上位の組織階梯と接続する際には、その中核機材を介する」という話をした。ところが、この方法が使えない場面がある。

小規模部隊で大掛かりな通信機材は持ち込めない

ある程度、まとまった規模の地上軍を送り込むのであれば、冒頭で挙げたような方法、つまり基地局に相当する通信機材を持ち込む方法で用が足りる。

それに、中隊ないしはそれ以上のまとまった規模(人数でいうと三桁)の部隊になると、通信インフラの規模・能力も相応に求められるのだから、それに見合った機材がなければ具合が良くない。

そこで場当たり式の対応を取って、たとえば個人用の携帯通信機しか持ち込まないのでは、限られたエリアでしか通信網を展開できない。それに、上位組織とのやりとりにも支障を来たしてしまう。

ところが実際の軍事作戦では、もっと規模の小さい部隊を、しかも隠密裏に送り込むことがある。たとえば特殊作戦部隊がそれだ。

特殊作戦部隊というと、暗殺とかテロ対策とか破壊工作とかいった「派手な」作戦行動を取る場面を連想しやすいが、実際には敵地に隠密裏に小規模の部隊を送り込んで、偵察や情報収集といった任務に従事させる場面も多い。

また、地元の反政府組織などと接触して、訓練を施したり戦闘技術を教えたり、といった任務もある。ちょうどイラクとシリアで「イスラム国」への対処作戦が続いているが、イラク軍だけでなくクルド人武装組織に対して、特殊作戦部隊のチームを送り込んで訓練を施している事例があっても不思議はなかろう。

そもそも、特殊作戦部隊が隠密偵察・隠密情報収集といった任務に従事する際には、4~5名ぐらいの徒歩パトロール隊を送り込んで、人気(「にんき」ではなくて「ひとけ」)のない場所を動き回るのが基本的なやり方になる。

そういう任務では、自ら存在を暴露するのは愚行もいいところで、とにかく目立ってはいけない。そうなると、大掛かりな通信機材を持ち込むのは目立ってしまって具合が悪すぎる。

第一、徒歩移動のパトロール隊にとっては武器や糧食などだけでも充分に大荷物だ。通信機は必須アイテムだが、できるだけ軽く、コンパクトにまとめたい。バッテリをすぐに消耗してしまうと予備のバッテリが荷物を増やすから、バッテリ持続時間が長いに越したことはない。

通話エリアは地球です

そこで登場するのが、民生品としてもおなじみのアイテムである衛星携帯電話だ。

衛星携帯電話なら、いつぞやのイリジウムのCMではないが「通話エリアは地球です」ということになるから、人里離れた場所を隠密裏に行き来する特殊作戦部隊のパトロール隊には都合がいい。既存のサービスを利用できるから、軍用衛星通信のトラフィックに影響しないし、利用料金も決して高くはない。

しかも、端末機は比較的コンパクトにまとめられているから、携帯性にも優れている。バッテリ持続時間も、一般的な携帯電話に比べれば短いが、軍用通信機と比べてむやみに短いわけではない。それなら予備バッテリを持ち歩く負担も軽減できる。

というわけで、特殊作戦部隊を隠密偵察任務のために送り込むような場面では、衛星携帯電話が徴用… ではなくて重用されているらしい。理に適った選択肢だと思う。

そういった需要に救われたのか、衛星携帯電話事業者のイリジウムは事業の再建に際して、コンシューマー向けの商売を切り捨てて、政府機関向けの商売に重点を置く方針を掲げた。理に適ったやり方だと思う。

もちろん、特殊作戦部隊だけを相手にして商売をするというわけではなく、他の軍の組織、あるいは軍以外の政府機関も対象に含むのだろう。とはいえ、政府からまとまった契約を取ることができれば、個人相手に商売するよりも堅実なのは確かだ。

余談だが、特殊作戦部隊は少人数のパトロール隊を敵地に送り込むことが少なくないし、しかも情報収集や監視が主任務となれば、後方の指揮所・指揮官とは緊密に連絡を取らなければならない。だから、通信専門の教育を施した隊員を配属するのが常である。衛星携帯電話なら専門教育を施すまでもないだろうが、短波通信もモールスも扱えなければならない。国によってはルータの設定方法まで教えているらしい。

防諜にも注意を払う

ちなみに衛星携帯電話というアイテム、軍に同行する従軍取材でも重宝するものであるらしい。軍隊が乗り込んでいって作戦行動を取るような場所に携帯電話の基地局があるとは限らないし、あっても使えるかどうかは別問題。その点、衛星携帯電話であれば、頭上が開けた場所ならどこでも使える。

この手の、自前の遠距離通信手段がなければ、記事を送るときには軍の通信網を通すしかないし、テレビ中継の映像を送るのは難しい。まさか中継車を引き連れて軍に同行取材するわけにも行かないのだから、可搬式の衛星通信機材は必須である。

ところが、軍の通信網を通さずに記事や映像を送れるとなると、軍にとっては防諜上、まことに具合が良くない。それを気にしたのか、イラク戦争の際には同行の記者団に対して、スラーヤー衛星携帯電話の使用を禁止した事例があったそうである。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。