現代の家庭用冷蔵庫と言えば、複数の扉に分かれた長方体の形状が主流。しかし、日本に登場した当初は、"モニタートップ型"と呼ばれるスタイルで、冷媒を送り出すコンプレッサーや放熱器、制御装置がキャビネットの上に露出した状態で載せられたものでした。
世界で初めて冷蔵庫を製造・販売したのは、米国のケルビネーター社という電機メーカーでした。日本では1923年に三井物産が初めて輸入。その後、1927年には現在の東芝の前身にあたる東京電機が、三井物産経由で米国GE社製のものを輸入し、販売を始めました。
一方、国内で製造された家庭用冷蔵庫としては、1933年に芝浦製作所が「SS-1200」、日立製作所が「K-40」を揃って発売。内容積はそれぞれ125L、112L、重量は157kg、191kgと大きさに違いがあるものの、どちらも1ドア式で見た目は瓜二つでした。
ちなみに、「SS-1200」は米国GE社の技術を用い国産化に成功した第1号製品。「K-40」は純国産の技術で開発製造された第1号製品。当時から自社技術にこだわる日立は、1925年に研究開発自体は着手していたとのことですが、製品そのものの完成は芝浦製作所が1930年、日立が1932年と、2社が競い合うようにして一般発売を目指していたことが伺い知れます。
日立製作所の「K-40」。1933年発売。自社技術での開発を目指して1925年に研究に着手し、7年後に第1号機が完成。外国メーカーの技術協力なしの製品化では国産初となる。栃木県栃木市にある栃木事業所に現在も所蔵されている |
ちなみに価格は「SS-1200」が720円、「K-40」が450円。当時庭付きの一軒家が買えるほどの高価な代物だったと言います。いずれも2008年度に、経済産業省「近代化産業遺産」の1つに認定されています。
なお、国内初の家庭用冷蔵庫の登場時には、「電気冷蔵器」と呼ばれていたとのこと。「電気冷蔵庫」の呼称が広がったのは、現代の家庭用冷蔵庫の原点というべきコンプレッサーや放熱器がキャビネット下部に収められた"フラットトップ型"と呼ばれるタイプが1935年に登場してからだそうです。
1950年代には"三種の神器"と呼ばれ、一家に一台の当たり前の家電製品として普及した冷蔵庫ですが、戦前に登場していた初期の製品はパッと見ただけではそれとはわからないほどに今とは異なる形状をしていて驚きます。しかし、まるでアール・デコ調の家具のようなデザインは、現代においてもインテリア家電として注目されそうですね。
取材協力・画像提供:日立アプライアンス、東芝ライフスタイル、東芝未来科学館