引き返せなくなる理由

2020年の東京オリンピックに向け建設予定の、新国立競技場のデザインが白紙撤回されました。

すっかりお馴染みとなった2本の鉄柱「キールアーチ」の問題は当初から指摘されていただけでなく、当初1300億円で見積もっていた建設費は膨らみ、屋根の取り付けを後回しにし、一部の観客席を仮設にするなどの、妥協を重ねても2520億円とほぼ倍に跳ね上がったのです。

この状況では、安倍首相が「白紙撤回」を決断したのは妥当といえます。ところが「(東京五輪の開会式に)間に合うのか」「遅すぎた」と批判の声があがり、安保法案の国会審議で下がった支持率回復の為だと非難する有識者(テレビコメンテーター)が現れます。

もちろん、「タイミング」を図った面はあるでしょうが、白紙撤回を批判する人は、キールアーチのまま建設を強行した方が良かったというのでしょうか。まるで批判のための批判で、これでは当事者は引くに引けなくなってしまいます。間違いを改めようとする行為そのものは批判すべきではありません。

もっとも「見積もり」については呆れるばかりの0.2ですし、これからもボロボロとボロがでてきそうです。

そもそも論としての問題

一連の報道でもっとも首をひねったのが、「公共工事は当初予算から1~2割アップは常識」というもの。民主党政権となった刹那、中止を宣言し物議を醸した「八ッ場ダム」の事業費が2100億円から4600億円になっていたことから見ても、そもそも論で公共事業における「見積もり」の仕組みに、重大な欠陥があるのではないでしょうか。

1300万円で発注した注文住宅に、1430~1560万円の請求書が届けば裁判沙汰になります。また、デザインが決定された2012年の民主党政権末期、もうひとつ下された重要な決定は「消費税増税」ですが、その増税分は当初の見積もりに入っていなかったといいます。

規模は小さいながら、とんでもない見積もりの話しを聞いたことがあります。事実上は国の出先機関である「N」がホームページを開設することになりました。何の変哲もない組織を紹介するだけのサイトの「見積もり」は、1千万円を越えていました。

役人の常識と非常識

内訳はこうです。会議の場で、ホームページには「サーバー(コンピュータ)」が必要と誰かが言い出します。

うろ覚えの知識から導き出された、おおよその金額がホワイトボードに書き込まれます。サーバーを24時間365日稼働させ続けるためには、空調を完備した専用室が必要になると増築費用が書き加えられます。

情報漏洩を防ぐ観点から、カードキーによる入退室システムが足され、サーバーを管理する人材の確保に、打ち合わせた内容を保存するパソコン購入費と、思いついた費用がすべて足し算された結果の1千万円で、つまりは「見積もり0.2」です。

年間、数万円程度のレンタルサーバーで間に合うことに、1千万円もかけようとするところが「お役所仕事」です。「N」のトップは民間人が就任しましたが、名誉職に過ぎず、組織を運営する副所長以下、常任の役員らは上部組織からの天下りで、多くの予算をぶんどってきたものが出世するのが「役人業界」の常識であり社会の非常識です。

さすがに単なるホームページに1千万円の予算は下りませんでしたが、すると見積もりを削るのではなく、ホームページの制作そのものを中止しました。

見積もりの見直しは、見積もりした人間の面子を潰すことと同義で、内輪において「角が立つ」ことを極度に怖れる役所におけるタブーとされています。ちなみに、これが一度下された決断が撤回されない理由でもあります。

さらに、見積もりを巡っては、官公庁と取引をする民間の側の問題もあります。

民間の叡智と悪徳

役所と「親しい」業者は、「高め」に見積もりする慣習があり、それを「しきたり」と呼ぶ地域もあります。ある建築業者は役所の仕事は細かな指示や、書類作成などが多く、対応するのにコストがかかると嘆いて見せますが、業界全体として「お役所向け価格」という「相場観」があることは認めています。そして、この和を乱せば「村八分(仲間はずれ)」です。持ちつ持たれつの建築業界において、村八分とは廃業に匹敵するペナルティです。当初見積もりが2割増しになることを、「おかしい」と感じない業界風土を育んでいます。

これまたそもそも論となりますが、新国立競技場建設を仕切っていたのは文部科学省です。競技場のなかで行われる、各種スポーツは文科省の管轄かも知れませんが、その入れ物を作るノウハウはないはず。だとすれば、要不要の判断する知識を持たず、すり寄ってきた建築業者の、言い値、いいなりで足し算したなれの果てが、3000億円越えるのはさもありなんです。今回の見直しで、建築行政のプロである国土交通省が参画したのは当然と言えば当然です。

あるいは、デザインが決定した当時の対米ドルレートは79円で、現在は123円。ドル建ての予算を円換算すれば、1300億円は2024億円となります。2割上乗せすると2428億円。さらに5%で計算していた消費税を8%にすると2496億円。2520億円の近似値が現れます。数字遊びに過ぎませんが、コンペの設定金額が倍以上になるなど、ドルと円を間違えていたのかと思うほど杜撰な見積もり0.2でした。

エンタープライズ1.0への箴言


予算の枠内に収める……が、民間の常識

宮脇 睦(みやわき あつし)

プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に「Web2.0が殺すもの」「楽天市場がなくなる日」(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」