ネットのいろいろなサービスいつからあったのか、手元にあった本、ウォルター・アイザックソン著「イノベーターズII」(講談社)に詳しくあったのを、日本の事情も加えてまとめてみましたよ。意外と古くからあるものはあるんやなー、という感じです。
みなさんこんにちは東明六郎です。先日待ち合わせでカフェにおりましたら、うしろから「インフラ整備がサァ」という声。政治か行政かはたまた電気かガスか道路かと思って思わず聞いていたら、ワンフロアの小さな会社の職場LANの話でした。Wi-Fiアクセスポイントいっちょですみそうと内心でツッコミつつ、いやしかし確実性が必要な「インフラ:基盤」なのかと化石化している私はハッとした次第でございます。
確かにネット(コンピュータネット)は、IoTなども日常になってきてますし、あらゆる規模でインフラであり、その上で動くサービスやアプリなしではもはや世の中動かなくなっておりますな。でも、ワタクシのような化石が現役世代ですので、つい言っちゃうわけです「20年前は電子メールなんてなかった」「10年前はTwitterはなかったしなあ」。で、ネット記事やSNSでもそういう言説がでては、みんながツッコムという風景がよく見られる秋でございます。
でも、ちょっとググらないと、えっと、というのも事実ですな。それに、CERNからはじまったWebなどのように、ネットはサイエンスの研究インフラとして使われてきましたし、ワタクシも初期のころは構築に関わっていました。なつかしいなあ……、ハッ。ということで、Web、SNS、いつからあった? と調べてみましたよ。というか、ウォルター・アイザックソン著「イノベーターズII」(講談社)におもしろく書いてあったので、それを整理して、日本の事情もチョイとくわえて参照しやすくした次第でございます。
1969年10月:インターネットの前身ARPANETはじまる
日本のインターネットの元締めであるJPNIC(一社:日本ネットワークインフォメーションセンター)のニューズレターの記事によると、米国西海岸のUCLA、UCSB、ユタ大学、SRI(スタンフォード研究所)の4拠点を相互に接続するコンピュータネットワーク「ARPANET」がはじまりだそうです。目的は、コンピュータを接続して単体のコンピュータで達成できない性能を発揮させることだったそうですな(うまくいかず、ネットインフラという副産物が現在につながる)。
なお、ARPANETは、核戦争に耐えるシステムとしてARPAが開発したという風説がありますが、これは上に書いたように<間違い:フェイク>です。この実験のスポンサーが米国国防総省の機関ARPA(高等研究計画局)だったということですな。基礎科学のスポンサーをしていたんですね。核戦争対策ではない、大事なことなので二回言っときますね。
1971年:電子メール登場
ARPANETでは、コンピュータを結合するために、データファイルの交換をする仕組みが実装されていました。まあ、データファイルが送れなければお話になりませんな。それを応用して、ユーザーの「郵便受け」フォルダーあてにデータファイルを届くようにしたしくみが、電子メールです。実験としてパッとしていなかったARPANETでしたが、本筋とはちがうこれがキラーコンテンツになりました。
発明したのはレイ・トムリンソンというエンジニアです。彼はメールアドレスの「@」記法の発案者でもあり、みんなが“アカウント名@ネット・所属名”とかいうアドレスを使っているのは、彼のおかげなんですね。最初の電子メールは、3m離れた別の端末に送られ、イスをころがしてチェックしたそうで、さらに「内容は忘れた」のだそうです。
1975年:大規模なメーリングリスト登場
複数の人あてにメールを投げ合うと、情報の共有ができるのは、まあみんなやっていますね。それがちょっと発展するとメーリングリストになります。ARPANETでは、参加している研究者やエンジニア同士がSFのネタで盛り上がるSF-Loversというメーリングリストが作られます。上司は苦々しく思ってやめさせようとしたそうですが「大規模な情報交換のための訓練である!」という理屈に負かされ発展を続けます。
1975-1977年:PC登場
世界初のPCはアルテア8800とされています。これで走る開発アプリ「BASIC」を作って売ったビル・ゲイツがマイクロソフトを大成功させていきますな。一方で、様々なPCが発売され、その中にスティーブ・ジョブズとウォズニアックのアップルIそして現在のPCの原型といえるアップルIIもあります。またネットに繋がっていないわけですが、コンピュータを使う人口が爆発的に増え始めました。また日本やヨーロッパでもPCが開発、販売されていきます。1、2年くらいの単位で劇的に世の中が変わっていきました。
1975年・1982年:電話回線へのPCの接続利用
コンピュータネットは、当初大学や研究所での専用回線で接続されていました。これは所属する人じゃないと接続できなかったわけですね。それが一般的な公衆回線で接続できるようになるにはPCを電話回線につなげられなければいけなかったわけです。一般向けのネット専用回線はとても購入できる価格ではなかったし、そんなものを引き込むことは想定されていなかったわけですから。
これが可能になったのは法律の改正が必要で、米国では1975年、日本では実質的には1982年でした。
1978年・1979年:BBS(電子掲示板)・ニュースグループ
ARPANET以外にも様々なネットがそれぞれ発達していました。その中でPCをホストに多数の人が情報交換をする電子掲示板システムをシカゴのコンピュータ趣味グループのウォード・クリステンセンとランディ・スースの二人が開発します。また、スレッドごとに投稿をまとめるニュースグループをデューク大学とノースカロライナ大学の学生が開発しています。この大学はARPANETに参加していませんのでPCベースでした。両方ともSNSの元祖ですな。どうも、当初から「炎上」はあったようです。炎上の歴史がここに始まるわけです。最初の炎上はなんだったんでしょうね?
さらに1979年には、BBSを核としたザ・ソースという大規模なサービスが開始、のちにCompuserveにとりこまれ、それをライセンスしたのが日本の 「パソコン通信」NIFTYServeになります。他に1980年代にはAOLなどが台頭しますが、まだインターネットには接続されていません。
1981年・1984年:インターネットの元祖CSNET発足。日本ではjunet発足
ARPANETに入っていなかった大学がコンピュータネットワーク形成するCSNETが発足、現在のインターネットと同じTCP/IP方式での接続をはじめます。のちにNSFNETとなり、NSFNETへと発展します。ARPANETで培われた技術が開かれていった形ですな。日本でもこれらへの参加がはじまり、1984年に「junet」が発足。実験ネットとして発達し、大学や研究機関を相互接続、のちに商用パソコン通信にも接続してメールのやり取りが行えるようになります。米国も同じでAOLなどが1993年ごろからインターネットに加わっていきます。
1982年・1983年:映画「TRON」「ウォー・ゲーム」
PCやネットワークが一般的になってくると、それからスピンアウトした文化も芽を吹きます。TRONは少年がコンピュータ内部に潜るディズニー映画! ウォー・ゲームはハッカー少年が軍事ネットに入って核戦争が起こりそうになるという内容です。時代背景やなーと思っちゃいますね。これいうと、星新一の方が早いとか、いうツッコミがいろいろ入りそうなので、そうですね、まったくですと逃げておきます。
ちな、今知ったのですが、TRONは映像チェックにコンピュータ通信を使ったんだそうすね。たぶん初めてとのこと。CGが話題になったんですが、レンダリングはPDP-11クローンのミニコンだったとか。トリビアがおもしろいです。なお、日本のトロンプロジェクトは、1983年に提唱、1984年発足。坂村先生に映画の影響があったか聞いてみたいですなー。
さて、ここまで書いて、通常の5割ましなのに、まだWebまで届かないですなー。ここは「続く」とさせていただきますね。
著者プロフィール
東明六郎(しののめろくろう)科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。