以前に第445回で、「対露制裁の絡みで、フィンエアーの日本線がロシア上空を飛べなくなり、北極圏の上空を迂回して飛んでいる」という話を取り上げた。このルート、筆者自身も何回か利用したことがある。これから夏休みに入り、北極経由でヨーロッパを目指す方もいらっしゃるのではないか。今回は、北極圏飛行をテーマに書いていく。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照

  • 日本からヘルシンキに向かったときのフライトマップ表示 撮影:井上孝司

  • ヘルシンキから日本に向かったときのフライトマップ表示 撮影:井上孝司

北極圏迂回で飛行時間4時間余が増加

シンプルに考えれば、ロシア上空をショートカットできなくなって北極圏を迂回するようになったことで「4時間あまりの所要時間増加」というネガがあり、それは時間的なロスだけでなく、運賃にも影響している。飛行距離が伸びれば燃料も余分に使う。

もっとも、夕方から夜にかけて出発して朝方に到着するダイヤなら、「寝ている間に移動する」格好になるので、所要時間増加のネガは、案外と感じなくて済む。日本からヘルシンキに向かうフライトだと、このパターンになる。

ところが、筆者のように「どこにいても仕事をしてしまう」種類の人間にとっては、北極圏の上空を通過することが、別の種類のネガにつながっている。緯度が高くなると、機内Wi-Fiサービスが使えなくなってしまうのだ。課金したのに使えないのではもったいない。

(実際、マイナビニュース連載の校正確認を、海外から日本に向かう機上でやったことが一度ならずある)

通信衛星を使う機内Wi-Fiサービスの問題

機内Wi-Fiサービスは、機内ではIEEE802.11無線LANを用いて通信するが、機外の通信には衛星通信サービスを利用している。ところが、通信衛星の多くは静止衛星で、このことが問題になる。

なぜかというと、静止衛星は赤道上空・約36,000km程度の位置(GEO :Geosynchronous Earth Orbit)に陣取っている。それが地球の自転と同期して動くから、地上から見ると静止しているように見える理屈。

そして衛星が赤道の真上にいるということは、極地に寄れば寄るほどに衛星が “見えにくく” なるということである。地球儀がお手元にあったら、試してみて欲しい。ちなみにこれは飛行機に限った話ではなくて、陸上だろうが洋上だろうが同じことである。

よって、北極や南極に近いところを飛ぶ旅客機では、静止衛星を通信手段とする機内Wi-Fiサービスは、通信可能な時間が限られてしまう。それなら、通信できない間は寝てしまうのがもっとも合理的であり、夜発朝着のフライトは理想的、となる。

  • 日本航空のA350-1000。上部に突出したフェアリングの中に、衛星通信アンテナが収まっている(報道公開時に著者撮影)

GEOではない通信衛星なら事情が違う

しかし、こういう話になるのは通信衛星がGEOに陣取っているからである。極地から容易に見通せる場所に通信衛星がいれば、極地にいても衛星との接続を維持できるはずだ。

最近、カタール航空やZIPAIRなど、スペースXの「スターリンク」を利用するエアラインが出てきている。スターリンクは御存じの通り、低高度の周回軌道(LEO : Low Earth Orbit)に多数の通信衛星を周回させて、それらがリレー式に通信を引き継ぐことで、全世界を常時カバーする衛星通信網を実現している。

衛星が赤道上空に留まり続けるわけではなく、周回しているから、極地にいても衛星を捕捉できる。これなら北極上空を飛んでいても通信可能、ワークホリックもツイ廃も安心。という話になる。

といっても実際問題として、スターリンクを使っているかどうか、という理由でエアラインを選ぶ人がどれだけいるかは分からない。たいていの場合、まず航空券の価格が先に来るだろうし、アライアンスを気にする人も多いだろう。

HF通信機とセルコール

これが機内Wi-Fiサービスなら、「通信途絶したから仕方ない、寝よう」で済むが、運航乗務員が外部と通信する場面では話が違う。極地を飛んでいるからといって、外部との通信が途絶してしまったのでは大問題だ。普段は衛星通信を使うとしても、それが使えなくなったときのバックアップ手段は要る。

だから今でも、短波(HF)を使用する航空機向けの通信機は現役だ。現時点で販売されている航空機搭載用HF通信機の中には、音声交話だけでなく、低速ながらデータ通信ができるものもある。

例えば、コリンズ・エアロスペース(旧ロックウェル・コリンズ)の製品ラインアップを見ると、以下の4製品がある。

  • AN/ARC-220
  • HF-121C AN/ARC-243V
  • HF-9000D/F
  • HF-9500

いずれのモデルも軍用のようだ。出力は200~400Wと大きい。そして、モデムを内蔵してデータ通信もできる。

日本の規定はどうなっているか。航空法施行規則の第147条で「いかなるときにおいても航空交通管制機関と連絡できる無線電話を2セット搭載すること」と定められている。また、電波法令の方でも「航空機局には、超短波(VHF)と短波(HF)の電波を具備すること」となっている。

ただし実際には、VHF×2、HF×2とは限らず、VHF×3、HF×2としているオペレーターもある。

そして、陸地から遠く離れた洋上管制ではHF通信を使用する。ただし、電離層の状態が時間帯によって変化する関係から、使用する周波数が常に一定というわけではない。

そのHFは音声にノイズが乗ってしまうので、それをずっと聴取しているのはしんどい話である。しかも洋上飛行を行うのは長時間フライトだ。そこで、必要なときに地上の管制機関から特定の機体に呼び出しをかける、セルコール(SELCAL : Selective Calling)という仕掛けがある。

各航空機には、4種類の周波数の組み合わせで構成するユニークなコードが割り当てられており、これを「AB-XY」といった具合にアルファベットで示している。呼び出しをかけるときには、管制官はこのコードを指定してセルコールを作動させる。

すると、該当する機体のみ、ランプが点灯するとともにチャイムが鳴って、呼び出しが来たのがわかる仕組み。これがあれば、「いつ来るか、いつ来るか」と神経を張り詰めながら聴取し続ける負担はなくなる。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第5弾『軍用センサー EO/IRセンサーとソナー (わかりやすい防衛テクノロジー) 』が刊行された。