過去2回の記事で、現代の航空機関連シミュレータについて、いろいろ書いてきた。といったところで、ちょっと「フライト・シミュレータの元祖」にまつわる歴史を遡ってみたい。

リンク・トレーナー

俗に「リンク・トレーナー」と呼ばれているが、正式には「Link Flight Trainer」というそうだ。フライト・シミュレータというと真っ先に思い浮かべられるであろう、FFS(Full Flight Simulator)の元祖で、オモチャみたいな外見の「飛行機」が、台座の上に載っている。

The Blue Box Link Trainer

面白いのは、実機の雰囲気を出そうとしたのか、そこにちゃんと、小さな主翼や尾翼まで付いていること。リンク・トレーナーが動作するために必須というわけではないが、これがあると、ますます飛行機っぽく見える。

訓練生は、その「飛行機」の扉を開けて、内部に作られた操縦席に座る。操縦席にはちゃんと、操縦桿やラダーペダルなどといったものがあり、それを動かすと、台座に載せられた「飛行機」が動く。例えば、操縦桿を左に倒せば、その動きに応じて「飛行機」は左に傾く。

これを考案したのは、エドウィン・リンク(Edwin Albert Link)というアメリカ人。エドウィン・リンクの父親は、オルガンや自動楽器を製作する工場を営んでいた。このうちオルガンは、足踏み式の「ふいご」を使って空気を送り出して、弾いた鍵盤に応じた音階の音を出すという構造だ。

電子楽器が主流になった昨今では、ひょっとすると空気で動作するオルガンを見たことがないという方がいらっしゃるかもしれない。筆者が小中学生の頃には、足踏み式の空気オルガンが学校にいくつも置かれていたものだったが。

閑話休題。このオルガンの要素技術が、リンク・トレーナーにつながった。先に書いたように、パイロットが乗り込む「飛行機」を用意して、それを台座の上に設けたユニバーサルジョイントで支持する。そして、電気ポンプで動作する「ふいご」の動きによって姿勢を変えられるようになっている。また、姿勢の変化に合わせて計器の表示も変化する。

なにしろ、エレクトロニクスなんていう言葉がない1920年代末期のこと、すべてメカニカルに実現しなければならなかった。そこで、操縦桿やラダーペダルの操作に合わせて、圧縮空気を送り込むバルブを開閉したり、開度を変えたりするようにした。すると、「ふいご」に送り込まれる圧縮空気の量が変わり、姿勢が変化する。

ただし、当初のモデルはピッチ方向(機首の上げ下げ)とヨー方向(機首の左右の首振り)の動きしか再現できなかった。後に改良型が登場して、ピッチ方向とヨー方向に加えて、ロール方向(機体の左右の傾き)も再現できるようになった。それだけでなく、失速の兆候やスピン(錐揉み)を再現する仕組みも組み込まれた。こうした複雑な動きを再現しようとすると、使用するふいごの数も多くなり、制御はややこしくなる。

登場の背景

このリンク・トレーナーが初めて登場したのは、1929年のこと。当時はまだ機体の製作だけでなく運航についても未熟な部分が多かったから、事故も多かった。天候や視界が良い条件ならまだしも、悪天候だったり夜間だったりすれば、計器に頼って機体を操らなければならない。すると、機体の操縦に習熟するだけでなく、計器に頼って飛ぶ技術を身につけなければならない。

もちろん、実機を使って訓練することもできる。アナログな方法だが、教官と訓練生が実機に乗って飛び立ち、訓練生の側だけ窓にカーテンを引いたり、外が見えなくなるようなフードを被らせたりする。すると結果として計器に頼って飛ばなければならないので、そこで計器飛行の訓練ができるというわけ。

しかし、これをやるにはまず、有視界飛行でちゃんと飛べる段階まで、訓練生のレベルを上げておく必要がある。それに、訓練に使用できる機体や教官の数には限りがあるし、実機を飛ばせば費用もかかる。訓練中に事故になる可能性もある。

そこで目を付けられたのがリンク・トレーナーだった。開発したエドウィン・リンクはもともと飛行機の操縦ライセンスを持っていて(だから、オルガンの要素技術を使って模擬操縦訓練装置を作る、なんて発想に至ったのだろう)、しかも自分が開発したリンク・トレーナーを使って、自ら操縦訓練をやっていた。その成果を活かして、天候不良の中で自ら飛んで移動したこともあったという。

その実績がものをいい、1930年代からアメリカのみならず多数の国で、パイロット訓練用の道具としてリンク・トレーナーが導入された。ユニバーサルジョイントに載せられた「飛行機」には蓋がついていて、それを閉めれば外は見えなくなる。すると、陸上に居ながらにして計器飛行の訓練までできてしまう。

そんな中に閉じ込められて操縦訓練を受けることになったため、国によっては訓練生がリンク・トレーナーのことを「恐怖の箱」と呼ぶケースもあったそうだ。

今でも見られる?

もちろん、今はコンピュータ制御で動作する、リンク・トレーナーとは比べものにならないぐらいリアリティが高いフライト・シミュレータがある。だからリンク・トレーナーは訓練の現場からは引退しているが、貴重な歴史的遺産だからということで、意外と多くが保存されている。

筆者はその1つを、オーストラリアのウィロビーにあるオーストラリア空軍博物館で見ることができた。ここに置かれているものは量産性を重視したのか、パイロットが乗り込む「飛行機」の部分に主翼も尾翼もついていない。しかし、形や機能はリンク・トレーナーそのものである。

  • オーストラリア空軍博物館で展示されているリンク・トレーナー。左にあるのは教官卓で、右にあるのが、訓練生が乗り込む模擬操縦席 撮影:井上孝司

    オーストラリア空軍博物館で展示されているリンク・トレーナー。左にあるのは教官卓で、右にあるのが、訓練生が乗り込む模擬操縦席

  • B-52のフライトシミュレーター。フライトシミュレータの運用には、1時間当たり約400ドルかかるという 写真:U.S. Air Force

    B-52のフライトシミュレーター。フライトシミュレータの運用には、1時間当たり約400ドルかかるという 写真:U.S. Air Force

最後に余談を1つ。L-3コミュニケーションズ(L-3 Communications Inc.)という防衛関連メーカーがアメリカにあった。現在は軍用の通信機器などを手掛けているハリス社(Harris Corp.)と合併してL-3ハリス(L-3 Harris)という社名になっている。

そのL-3コミュニケーションズの傘下に、L-3リンク(L-3 Link Simulation and Training)という会社がある。これこそ、エドウィン・リンクがリンク・トレーナーの製造・販売を行うために設立したリンク社、そのものである。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。