日本料理「山崎」店主・山﨑浩治が語る「一生胸に残る懐石料理を世界中の人に届けたい」

「日本に来たら山崎で食事をしたいと言ってもらえるように」―─。これは東京進出の際、わたしと長男が一緒になって立てた夢です。

 15歳から料理人の道に入り、今年で60歳を迎えます。富山で懐石料理のお店を25年間やっていましたが、2023年8月に東京・京橋に移転しました。地元富山も良い場所ですが、東京で勝負するために思い切って進出を決意しました。

 両親は小さな問屋商売をやっており、実質的には母親が切り盛りしていました。負けん気の強い母の背中から自営業の大変さを見て育ちました。

 本格的に料理の道に入ることを決めたのは、中学校3年生の時の担任のミヤジマ先生がきっかけです。先生に「お前は体を張る仕事か、料理の世界が似合っているな」と、先生の教え子がやっているお寿司屋さんに連れていってもらったときに進路の話をしました。生徒と同じ目線で話をしてくれる良い先生と出会えて、自分は本当にラッキーだと思っています。

 20歳までの5年間は富山の駅前の懐石料理屋さんで修業し、東京、大阪「かが万」、金沢と伝統的な日本料理店で武者修行を行いました。金沢では非常に良い環境で仕事をしていましたが、30代で絶対に独立すると決めていました。居心地がよいからと言ってこのまま居座ってしまうと独立できないと思い、自分を鍛えるために大阪「かが万」に戻ることにしました。

 懐石料理の素晴らしさを初めて教えてくれたのは、大阪の吉兆さんです。大阪の吉兆さんは昔ながらの懐石と茶事懐石とミックスした、オリジナルのコース。今まで食べたものと全く違う、なんて美味しい料理なんだろうと感動しました。

 懐石料理は、もともと昔の寺禅僧が1日2食だけしか食べられず空腹で寝られなかったため、懐に石を置いて空腹を和らげていたというところに由来します。要は少しの量で良いものをいただくという考え方がベースで、満足感を増やすために美しい器や料理の量が増えていったと言われています。

 富山の店では味一本で勝負してきましたが、競争が激しい東京はそれだけでなくマーケティングなども非常に重要です。しかし行き過ぎて本筋を見失わないように、自分を戒めながら仕事に向き合う日々です。

 東京には裕福なお客様が多くて毎度驚いています。日本の富裕層の方々はもとより、海外のVIPの方々も非常に多くご来店されます。

 その中で、過度な売上を追うよりも世界中の人が「日本にきたら山崎で食事したい」と言ってくれ、食事した人は「一生胸に残る思い出ができた」と言ってもらいたい。お金で買えない価値をつくる方が実は難しいことなのではないかと思うのです。自己満足だと言われても、わたしはそちらの道を信じて進みたいと思っています。

 唯一の楽しみは定休日にお店に来て、ハイボールを飲みながら献立を考える時間。昔から料理のコースは歌と一緒だと言われます。歌を聞きながら頭の中を一度白紙にして、翌月のコースの献立をああでもない、こうでもないと考えます。お客さんに本当に喜んでもらえる献立をつくることが、この上なく幸せです。お客様の評価が先月はよかったけど今月はイマイチだという風にならないように、常に先月より良いものを出し続けることが自分のこだわりです。

 日本文化の仕事の一員として責任を背負いながら、これからも腕も心も磨いていきたいと思っています。