アステラス製薬では、医薬品の生産時における「逸脱」処理プロセスの効率化において、マルチエージェントを活用したPoC(概念実証)を開始していることを明らかにした。米Microsoft(マイクロソフト)が東京ビッグサイトで開催した「Microsoft AI Tour in Tokyo」において、メディア向けセッションで事例が紹介された。

医薬品製造における「逸脱」と品質判断の課題

ここでいう「逸脱」とは、生産時にあらかじめ定められた手順や基準から外れた事象が発生することを指す。具体的には、製造時に異物が混入したり、機械が一時的に停止したりといったことで、製造現場では逸脱の影響により、当該ロットの医薬品を出荷できるかどうかを正確に判断する必要がある。

これまで、アステラス製薬では生産現場から逸脱の報告があった際に、製品を担当する品質保証部門、研究部門、生産部門で構成するCMC(Chemistry, Manufacturing, and Controls:化学・製造・品質管理)チームが判断するための情報を検索・整理し、協議した結果をもとに対応方針を決定していた。

アステラス製薬 Capability Enhancement Leadの室篤志氏は「過去の類似事例をもとに網羅的な検索を行い、情報にもとづいた最適な対応方針を選択することが理想だが、現状では、過去の逸脱事例として大量の情報が登録されているため、これらを網羅的に検索し、一次整理するのが困難であり、時間がかかるという課題があった、その結果、熟練者の知見に依存することになったり、対応方針の決定までに多くの工数と時間がかかったりしていた」と振り返る。

  • アステラス製薬 Capability Enhancement Leadの室篤志氏

    アステラス製薬 Capability Enhancement Leadの室篤志氏

対応方針を決定するのは、あくまでも人であるが、判断に必要となる情報収集に課題があったという。人が判断するための情報を、効率的かつ正確に収集するサポートツールという点でAIが活用できるのではと考えたのだ。

生成AIでは不十分 - マルチエージェントを採用した理由

まず、アステラス製薬は一般的な生成AIを活用したが、網羅性や正確性が不十分であり、対策が難しいと判断していた。そうしたなかで着目したのが、マルチエージェントだ。

オーケストレーターエージェントのもとに、専門性を持った複数のエージェントを配置して、それぞれが作業を行うことで成果を生みやすくし、さらにはエージェント同士によるフィードバックループを回すことで、検証や改善を繰り返し行い、成果の精度を高めることができる仕組みを採用した。

また、マルチエージェントを採用することで、並列処理による高速化やスケーラビリティの実現、冗長性と耐障害性の向上、複雑なタスクへの対応が可能になるという点でも効果が期待できると注目している。

  • 初期のモデル構成

    初期のモデル構成

逸脱処理プロセスの効率化に向けて、アステラス製薬は複数のエージェントを用意した。高度な検索クエリを用いてターゲットを絞ったWeb検索を行う「Data Feederエージェント」、情報源の信頼性と情報の網羅性を評価する役割を担う「Credibility Criticエージェント」、大量の結果セットから簡潔な要約を生成する「Summarizerエージェント」、構造化されたレポートの作成・改善を担う「Report Writerエージェント」、レポートの品質を評価し、改善に向けたフィードバックを提供する「Reflection Criticエージェント」、そして自然な英語や日本語への翻訳を行う「Translatorエージェント」である。

  • 各エージェントの役割

    各エージェントの役割

そして、これらのエージェントに対し、必要に応じて仕事を振り、目的達成を判断する「Managerエージェント」が統括する。

現在、アステラス製薬では、逸脱処理用のマルチエージェントの社内実装を実行中であり、引用情報の網羅性では69%をカバーし、間違った情報が混入していないことを示す正確性では81%の水準に達したという。

  • 回答における引用情報の網羅性と正確性の値

    回答における引用情報の網羅性と正確性の値

室氏は「正確性ではシングルエージェントでも同様の成果が出たが、網羅性という点では、圧倒的にマルチエージェントの精度が高かった。一定の前提条件のもとに試算したところ、逸脱処理対応工数の削減効果は67%に達し、98時間の削減が可能になると推定している。これをグローバルに展開することで月間980時間の削減(3研究所、5生産サイト、QAなどに適用拡大した場合を想定)が可能になる。製造原価にもプラスに反映できる」と試算しており、成果に期待を寄せている。

  • 一定の前提条件下における試算では逸脱処理対応工数の削減効果は67%に達した

    一定の前提条件下における試算では逸脱処理対応工数の削減効果は67%に達した

Azure上で構築したマルチエージェントPoCと具体的な成果

今回のPoCでは「Microsoft Azure App Service」上にマルチエージェント環境を構築。「Microsoft Azure AI Search」を通じて情報を検索し、それらの情報をもとに課題を解決する際には「Microsoft Azure OpenAI Service」を活用することになる。

そして、具体的な事例も紹介した。エージェントに「類似逸脱情報をもとに、凍結乾燥機のリークテストが失敗した場合に、当該バッチをリリースできるのか、廃棄すべきか。根拠をもとに提示してほしい」と入力すると、エグゼクティブサマリーとして「分析した結果、リークテストの失敗は、原則『重大逸脱』として扱われ、バッチは廃棄することが基本対応となる」と回答。

  • 出力レポート例

    出力レポート例

ただし、エージェントは、一定条件を満たした場合には出荷ができることや、推奨事項についても表示。そのほか、回答に至った分析方法や情報源なども表示するという。さらに、過去に金属異物による逸脱が発生している事例を可能な限り多くあげるように指示すると、113件の逸脱事例を特定。これらの事例の詳細も表示することができるという。

まずは、研究所での利用を進め、来年度以降、運用する範囲を順次拡大していく。今後、アステラス製薬では、次のステップとしてQTPP(Quality Target Product Profile)の設定にも、マルチエージェントを活用する予定だという。

室氏は「QTPPは薬がどのような理想の姿で、患者さんに届いて欲しいのかを最初に決める設計図。投与ルート、含量、錠剤の大きさ、注射剤の液量、包装形態、保管条件などを決めることになる」と説く。QTPPを決定する上で重要な要素は「実現可能性」「患者志向」「競合優位性」の3点だという。

  • 今後の展開

    今後の展開

最後に、室氏は「成分や製法、包材などを最適化した際に、薬物の物性によって、達成できる性能が限定されたり、患者のQOLの観点から好ましさが求められたり、他社製品との比較などがポイントとなる。これらを加味しながら、設定することが課題となっており、QTPPの作業を支援するためにマルチエージェントが効果を発揮できると見込んでいる」と展望を語っていた。