
「ガンが再発してもう1年くらいしかもたないらしい」
既に三菱化学から戻っていた私へ母から連絡があったのが1994年の暮れでした。直ちに執刀医に面談して状況を確認したところ、大変悲観的な内容でした。このような経緯で再発した場合は、多臓器に及び、手術しても追いつかないケースが多い。結局は化学療法に頼らざるを得ないとの見解でした。
「先生、もし積極治療をしない場合、どのくらい時間がありますか?」
「本人の体力にもよるので断定的なことは言えませんが、通常では1年ほどしかもたないと思います。恐らく半年も経てば動けなくなるでしょう。化学療法を施したとしても何年も延びることは難しいと思います」
「そこまではっきりしていれば充分です。治療方針はどうあれ本人に事実を伝え、今後のことを一緒に考えたいと思いますが……」
「ちょっと待って下さい。もしかしたら最後になるかもしれないお正月くらいは、そっとしておいてあげたらいかがですか。あなたも息子さんであれば、そのくらいの優しさはお持ちでしょう」
「先生、我々には企業経営という共通の目標があります。社員もいれば、その家族もいます。突然何か起きることは何としても避けなければならない。本人も解ってくれると思いますが……」
数回に及ぶ説得の結果、先生は渋々告知することを承諾してくれました。
1994年12月28日朝。私は病院のロビーで父を待ちました。現れた父は予期せぬ私の出現に少し驚いたようでしたが、すぐに察したらしく「そうか。行こう」とだけ言って執刀医との面談に臨んだのです。
執刀医はベテランであり、事前の打ち合わせ通り、淡々と事実が伝えられました。しかし残り時間に関してはコメントを避けているようでした。すると、父はあとどのくらい時間があるのかを自分から尋ねたのです。しかも私が先生を説得したときと全く同じ理由で。
事実を告げられている父はまるで他人の診断結果でも聞いているかのように冷静でした。そして最後に一言、「先生ありがとうございました。手術から1年、貴重な時間を頂きました。あとは好きなことをして暮らしたいと思います」。
年が明け、父と出席した最初で最後となった業界の新年互礼会の後、2人で飲みながら告知の顛末を打ち明けました。「今回の件については息子としての優しさよりも、事業の後継者としての立場を優先させてもらいました。辛い思いをさせましたが悪く思わないでください」
「いや、お前の判断は正しい。ありがとう。いろいろ心配かけてすまなかった。オレにもやっておかなければならないことがあるし、お前も忙しくなるだろう。お互いしっかりやろう。後は任せる!」
父は殊のほか、嬉しそうでした。