
3月に入ると、各社で役員交代の発表が相次ぐ。人事は春の風物詩のようでもあるが、トップにとっては重い意思決定の一つだ。地位が上がれば上がるほど、自らの引退のタイミングを自分で考えなければならなくなるからだ。
近年はコーポレートガバナンスの強化が進み、上場企業では社外中心の指名委員会からの提案という形も増えている。しかし、非上場企業や同族企業では、トップの退任はほぼ本人の意思に委ねられているのが実情だ。数多くの社長にインタビューしてきたが、引退の決め方は実に多様である。
一定の年齢や任期を社内ルールとして定めている企業もあれば、トップ自身が心の中で期限を決めている場合もある。それを公言している経営者もいれば、誰にも告げずに胸に秘めていたという人もいる。
前者であれば、後継者は準備の時間を持てる。しかし後者の場合、半年や数か月前に突然告げられ、就任後しばらくは助走期間のような状態が続くことも少なくない。不祥事や体調不良がきっかけとなるケースもあるが、できれば避けたい去り方であろう。
期限を決めることは、想像以上に難しい。決めていても、「まだできることがある」「やり残したことがある」という思いが湧き上がる。経営者であればなおさらだ。去り際をいつにするかは、実は在任中のどの投資判断よりも重い、経営上最大の決断かもしれない。
そして重要なのは、退任後の関わり方である。組織上の意思決定権を手放しても、発言力が大きいままであれば、現場は戸惑う。中小企業で円滑な承継が進んでいる例を見ると、退任後は意思決定に関わる会議に出ない、会社にもあまり顔を出さないといった徹底ぶりが目立つ。
二頭体制の曖昧さを残さないためだ。社員が最も困るのは、「どちらの言うことを聞けばよいのか」という状態なのである。さらに、トップが築いてきたアセットをどこまで引き継ぐべきかも悩ましい。
特に人脈は大きな資産だが、相性や共有した体験までは簡単に移せない。ただし、知見や思考のプロセスの一部は、近年のAI(人工知能)技術を活用すれば形式知として残せる可能性もあるだろう。デジタル技術の進展は、承継のあり方にも新たな選択肢を与え始めている。
トップの引き際、そしてアセットの承継。経営の華やかな局面とは対照的だが、組織の未来を左右する重大なテーマである。去り方をどう設計するか。その問いは、現役の経営者すべてに静かに突きつけられている。自らの終わり方をどう描くかは、次の世代への最大の贈り物でもあるのだろう。