2万2000人を超える犠牲者を出した東日本大震災から11日で15年になった。岩手、宮城、福島3県の被災各地では午後2時46分の地震発生時刻に黙とうが捧げられ、夜まで犠牲者を追悼する祈りが続いた。
巨大津波に襲われて中学生14人を含む約750人が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区でも、犠牲者遺族や住民らが追悼・慰霊のイベントに参加した。悲しい記憶とともに、住民の約1割にも及ぶ犠牲の上に得られた教訓の伝承を誓った。
閖上地区の津波復興祈念資料館「閖上の記憶」の前では、午後2時半から追悼のつどいが開かれた。
「閖上の記憶」館長の小齊正義さん(84)が車椅子に座ってあいさつ。「15年前に今のような(地震や津波を警戒する)気持ちがあったら、あれほど多くの人が亡くなることはなかったと思う。私も、津波警報の内容がだんだんと強まって10メートルの(津波が来るという)警報になるまで危機感がなかった。こんな体になったが、これからも(教訓)を伝えていきます」と震災の記憶と教訓を風化させずに伝承し続ける大切さを訴えた。
1985年の日航ジャンボ機墜落事故で次男を失った「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さんは、「閖上中学校遺族会」代表で長男を亡くした丹野祐子さんと11年にわたって交流してきた。その縁で閖上を訪れた美谷島さんは「安全は天からは降ってこない。過去から学ぶことが大切で、減災のための意識を高めることが一番大切です。15年は一つの区切りで、また新たな出発になる。皆さんとつながりながら、一緒に安全を作っていきましょう」と述べた。
この後、午後2時46分には、遺族のほか県外から来た若い人たちも含め500人近くが黙とうした。続いて、恒例となっているハト型の白い風船にさまざまな思いの言葉を書いて飛ばした。
震災当時61歳だった父を亡くし、今は仙台市内に住む伊藤智美さんは「お父さん、みんな元気にやっているよ。また1年、見守ってくださいね」と緑のペンでしっかり書いた。夫と2人の娘と一緒だ。当時1歳で今は高校1年生になった次女の美桜音(みおね)さんは「高校生になって、新しいことにチャレンジして充実した日々を送っています」。青いペンで白い風船に力強く書いた。記憶にはないものの、生まれた時からとても可愛がってくれたと聞いている祖父に思いを寄せた。
名取市震災メモリアル公園の慰霊塔横の広場には、この日、たくさんの電子絵灯籠(とうろう)が並べられた。日が暮れると明かりがともり、短いメッセージが夕闇に浮かび上がった。灯籠の絵は遺族や住民のほか、全国からも寄せられたという。悲しみを超えて前を向くメッセージが多く見られた。




