宇都宮大学(宇大)と理化学研究所(理研)の両者は2月20日、理研に2025年2月から設置されている米・Quantinuum製イオントラップ型量子コンピュータ「黎明」を用いて、酸素・カルシウム・ニッケル同位体の高精度な「基底状態」の推定を実現したと共同で発表した。
同成果は、宇大 データサイエンス経営学部の吉田聡太准教授(理研 仁科加速器科学研究センター 核子多体論研究室 上級研究員兼任)、東京大学 工学系研究科 原子力国際専攻の佐藤健准教授、同・緒方拓巳大学院生、理研 仁科加速器科学センター 核子多体論研究室の木村真明室長らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する物理とその関連分野全般を扱う学術誌「Physical Review Research」に掲載された。
核物理シミュレーションを新時代へ導く成果
原子核の構造と反応の理解は、物質の起源や宇宙の進化を解明する上で不可欠だが、量子多体系のシミュレーションは、粒子数や自由度の増加に伴い計算量が指数関数的に増大し、従来の古典コンピュータでは対応が困難という課題を抱えている。特に、核子(陽子と中性子)の間に働く「強い力」(強い相互作用)は複雑であり、原子核物理学における多体系問題は計算不可の高い領域として知られてきた。
こうした中、近年は量子コンピュータが多体系シミュレーションの有望な手法として注目され、物性物理や量子化学分野が扱うスピン系や電子系に対する研究が進展しているものの、原子核物理学への応用は限定的だった。そこで研究チームは今回、理研 和光キャンパスの量子コンピュータ「黎明」を活用し、酸素、カルシウム、ニッケルの各同位体における高精度な基底状態推定に取り組んだという。
そもそも同位体とは、陽子数は同じだが中性子数が異なる元素を指す。例えば酸素の場合、陽子と中性子が8個ずつの16Oが安定同位体として地球上において99%以上を占めるが、中性子9個の17Oや10個の18Oといった安定同位体も極めて小数だが存在する。中性子数が11個以上になると、寿命のある放射性同位体だ。また基底状態とは、量子力学において系のエネルギーが最低となる状態であり、この状態を解析することで、原子核の安定性や反応性に関する極めて重要な知見を得られる。
量子コンピュータの根幹を成す量子ビットの実現方式の1つであるイオントラップ方式は、電磁場によりイオン(荷電粒子)を捕捉・保持する仕組みで、高精度な量子ゲート操作を特徴とする。今回の研究では、同方式の高いゲート精度に加え、系の特性を考慮した量子回路設計とエラー低減技術が導入された。その結果、3種類の元素の同位体を調査し、基底状態エネルギー値の誤差0.1%オーダーという極めて高い精度での推定が達成された。
また、「黎明」は全量子ビット間での演算が可能な「全結合型」を採用している点も大きな利点だ。今回の実験では、エネルギー計算の核となる「ハミルトニアン」の各項の期待値をエラー低減しつつ効率的に測定するべく、最近接結合型の演算を基本とした状態作成回路を構築し、実機による測定を実施。これにより、各原子核の基底状態エネルギーの算出を可能とした。
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偶数核子からなる原子核を少数の量子ゲートで効率的に表現する状態作成回路の概略図。これは22O同位体の基底状態推定に用いられた。(a)近接量子ビット間の演算に限定した回路。(b)全結合量子ビットを仮定した回路。(出所:宇大プレスリリースPDF)
なお、ハミルトニアンとは量子系の性質を記述する演算子で、系のエネルギーや時間発展を決定するものだ。今回の対象は、単一粒子に作用する「1体項」と、2粒子間の相互作用を示す「2体項」で構成されており、全エネルギーを推定するには各項の期待値を複数の量子回路を用いて個別に測定する必要があったという。
そこで今回の研究では、異なる2つの方法が採用された。1つは、追加で必要な量子回路の数が最小となるものの、1体項のみにエラー低減が適用可能な方法だ。もう一方が、余剰で必要な量子計算機のリソースは多くなるものの、1体項だけでなく2体項についてもエラー低減が可能な方法である。後者の結果に注目すると、いずれの同位体においても、0.1%程度の高精度な計算を達成していることが確認された。
現状の量子コンピュータは、量子ビット数やゲートの精度に制限がある「NISQ」(中規模でノイズのある量子デバイス)世代に属するが、このNISQ機を用いてこれほどの高精度で原子核構造の量子計算を実現した例は世界初であるとする。今回の成果について研究チームは、量子コンピュータが原子核の理論計算における新たな計算基盤となり得ることを実証する重要な一歩であり、量子計算と基礎物理学の融合を加速させるものとしている。
