
小さな生物「線虫」が、がんを見つける─。にわかに信じられないかもしれませんが、私が2016年に起業した当社は、この線虫を活用したがん検査「N―NOSE」を実用化。約2500社に導入いただき、累計で85万人以上の方々に使っていただいています。
線虫とは体長1ミリほどの生き物で、生物界では様々な基礎研究に使われている生物です。これまで8人が線虫を使った研究でノーベル賞を受賞しています。線虫の特長は嗅覚が優れているという点で、その精度は犬にも匹敵すると言われています。
線虫は好きな匂いには寄っていき、嫌いな匂いからは逃げる性質を持っているのです。そしてがんも匂いを発すると言われています。しかし、生物学の研究者は誰もこの線虫を使った社会実装を思いつきませんでした。私も起業するまでは生物学者でしたので分かるのですが、線虫はあくまでも研究するための道具でしかなかったのです。
「これからの時代は生物学だ」という塾の先生の一言で生物学の道を歩み出した私は東京大学では当初、単細胞生物を研究していました。その最中、米国から戻った指導教官がこう言ったのです。「これからは線虫の時代が来る」と。これを聞いた私は線虫を研究することにしました。
もともと誰もやったことがないものに魅力を感じる性分だったこともあり、学部4年生から線虫研究に20年間没頭しました。その後、九州大学の助教として自分の研究室を持ったとき、研究支援を受けるためにも「誰もやったことがなく、人の役に立つものを生み出したい」という思いに突き動かされたのです。
主に土の中で生きている線虫は非常にコストが安いということにも気が付きました。雌雄同体のため、放置していても100~300匹の卵を産み、孵化して成虫になるまでの期間は僅か4日。全てがクローン個体であるため、個体差がありません。
匂いでがんの有無を調べる検査で犬を使う場合がありますが、犬には個体差があり、訓練もしなければなりません。しかし線虫は訓練不要で安定した反応が得られます。また、長期の冷凍保存も可能です。線虫を研究で使うものから社会実装で使うものへと頭を捻り続けました。
N―NOSEの実用化は2020年。自宅で採取した尿を検体として提出すれば、尿に含まれるがん特有の匂いを線虫が嗅ぎ分け、全身23種類のがんリスクを早期に評価します。注射やバリウム、内視鏡といった身体的な負担は全くありません。
がんは2人に1人がかかると言われています。社会保障費が膨らみ、医療費も年々膨張する中で、治療ではなく予防や検査を充実させることが何よりも重要です。しかし、その検査に時間や身体的かつ金銭的な負担がかかってしまうために検査を受ける習慣が日本では根付いていないのです。
その点、線虫を使ったがん検査であれば、身体的負担も少なく、医療機関に行く必要がないために時間も必要ありません。さらに1回1万6800円と金銭的な負担も軽減されます。
がんは外見では分からないからこそ、早期に発見することが重要になります。がんとは遠いところにある線虫ですが、実は我々人類にとって救世主になるかもしれないのです。その意味では、将来はがんのみならず、認知症などの他の病気の発見にもつなげることができるかもしれません。
科学者から経営者になった私の使命は、この新しいがん検査を1人でも多くの人たちに普及させることです。