龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第7回)またも音楽の経験が

 小林製薬での勤務も2年目となった頃、父から突然、三菱化成工業(現三菱ケミカル)に行くようにと言い渡されました。当時、龍角散の子会社で父が創業したヤトロンと三菱化成が臨床診断試薬で販売提携関係にあり、お世話になるようにとのことです。

 ヤトロン社は当時、国内の体外診断試薬メーカーとしては草分けで、両者が製造した試薬を全国の医療機関に販売していたのです。健康診断で採血した血液と試薬を反応させて病気を見つける技術です。意外なところでは、オウム事件の際、ヤトロン社の試薬がサリンを同定するのに大いに活躍したのです。

 しかし私が配属になったのはIT関連の事業部でした。私の仕事はパソコンに搭載されるハードディスクドライブの部品であるディスクやフロッピーディスクを大手電機メーカーに納入するのですが、難しいスペックも一応理解でき、音大出身でなぜ?と周りが驚いていました。

 音楽家はオーディオ技術に精通していることが多く、メカにも強いのです。当時、録音といえばカセットテープですが、どうしても音質が劣ります。桐朋音大では既にデジタルレコーディングまで実験していたので、そのあたりの技術は熟知していたわけです。

 記録メディアの営業と同時に、サマリウムコバルトやネオジウムなど、レアメタルを使った工業用磁石の営業でも面白いことがありました。電子材料の展示会でブースに立っていたときです。

 1人のお客様が盛んに磁石のサンプルを眺めたり、摩ったりしているのです。声をかけると「軽いか、軽いか」と聞いてくるのです。

 当時の磁石は焼結と言って、磁性粉を焼き固めた物が主流でした。我々の製品は高い磁力を持つ磁性粉をプラスチック整形で仕上げるので、軽く形状も自由です。名刺交換すると、有名な模型メーカーさんでした。これも最も私の得意とするところです。

 直ちに営業に伺うと、何とスロットルレーシングカーを宙返りさせたいということでした。試作したところ、見事に宙返りできたのです。

 ところが経理部からは与信管理上、「おもちゃ屋」と取引しては駄目と怒られましたが、「おもちゃではなく高級模型です」と論破した結果、大きなビジネスに育ったのです。

 今だから言えることですが、精密モーター用でスペック落ちした廃材を流用できた上に、工業部品ほど価格も厳しくないので他社向けより圧倒的に利益率が高かったのです。

 それにしても、IT関連は進歩が早い。驚いたのは、同業種の中小企業の動きです。こちらが考えているうちに、さっさと追い越されてしまうのです。

 やはりこのような新規ビジネスはスピードが重要だと痛感しました。現在の当社の方針である「新規性と迅速性」は、この時期の経験が生かされています。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第6回)歌舞くのどにも