奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)、奈良屋本店、森奈良漬店の3者は11月21日、保存食とされていた伝統的な漬物の「奈良漬」が、乳酸菌「Fructilactobacillus fructivorans」の好エタノール性の特殊株による乳酸発酵によって作られていることを初めて科学的に実証したと共同で発表した。

  • 奈良漬けが特殊な乳酸菌による発酵食品であることが明らかに

    酒粕で香りや味を付けて熟成させる保存食品とされてきた奈良漬けが、特殊な乳酸菌による発酵食品であることが明らかにされた(出所:NAISTプレスリリースPDF)

同成果は、NAIST 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域の渡辺大輔准教授、奈良屋本店、森奈良漬店の共同研究チームによるもの。詳細は、微生物を扱う学術誌「Applied and Environmental Microbiology」に掲載された。

奈良漬の風味を生み出していた“乳酸発酵”

1000年以上の歴史を持つ伝統的な漬物の1つ、奈良漬。原材料を高濃度アルコール環境に長期間漬け込むことで雑菌の増殖を抑え、高い保存性が実現されているため、奈良漬は長らく「酒粕による香味付けを主体とする保存食品」と見られてきた。

一方、過去には奈良漬から微生物が単離された報告もあったが、偶然混入した可能性もあり、発酵主体かどうかは不明だった。つまり、奈良漬の熟成過程で発酵が起きているのかどうかは、科学的には未解明だったのである。そこで研究チームは今回、奈良漬の製造過程を現代技術で検証したという。

  • 奈良時代の木簡に記された「加須津毛瓜」

    奈良時代の長屋王邸跡出土木簡に記された「加須津毛瓜(かすづけうり)」。奈良漬の原型を示す史料と位置付けられている。出典:奈良文化財研究所・木簡庫(出所:NAISTプレスリリースPDF)

今回はまず、奈良漬の製造過程における微生物の全体像を把握するため、網羅的微生物プロファイリングが行われた。その結果、特に漬け込み中の仕掛品と最終製品で、乳酸菌の一種であるFructilactobacillus fructivoransが環境をほぼ独占していた。この乳酸菌は新しい酒粕に漬け替える工程で一時的に割合が低下するが、最終的には再び優勢となることから、酒粕中での増殖能力を持つと予想された。さらに、奈良漬由来の微生物を生菌として単離する実験でも、エタノール含有環境で生育できた微生物はすべてこの乳酸菌であることも判明し、奈良漬の製造過程で重要な役割を担うことが示唆された。

  • 奈良漬の製造プロセスにおけるサンプルを用いた16SrRNAアンプリコン解析の結果

    奈良漬の製造プロセスにおけるサンプルを用いた16SrRNAアンプリコン解析の結果。赤い点線で囲んだ部分が乳酸菌Fructilactobacillus fructivoransを示す(出所:NAISTプレスリリースPDF)

  • 奈良漬から単離されたFructilactobacillus fructivoransの走査型電子顕微鏡観察像

    奈良漬から単離されたFructilactobacillus fructivoransの走査型電子顕微鏡観察像(出所:NAISTプレスリリースPDF)

仕掛品の奈良漬を、乳酸菌が存在しない新しい酒粕に移し替える試験では、約2か月の発酵期間で乳酸菌が顕著に増殖した。このことから、この乳酸菌は酒粕中で自律的に増殖し、乳酸発酵を引き起こす能力を持つことが解明された。一方、酒粕に浸かったことのない塩漬野菜を同様に新しい酒粕に漬けたところ、乳酸菌の増殖も乳酸の生成もほぼ認められなかった。奈良漬の製法では、漬け込み後の酒粕が次の仕込みに再利用される。つまり、酒粕中で育った乳酸菌が野菜を介して新しい酒粕で増殖する。要するに奈良漬は、蔵内で乳酸菌を代々育てながら発酵を行う食品であることが実験的に証明された。

さらに、メタボローム解析を用いて発酵前後の酒粕成分の変化が比較された。その結果、乳酸に加え、うま味成分の「イノシン」や、コク味の付与に寄与する「グルタチオン」、機能性成分の「S-アデノシルメチオニン」といった成分が増加。この結果は、乳酸菌が奈良漬の風味や機能性の向上に寄与できる可能性を示している。

次に生育特性の詳細調査のため、複数の濃度のエタノール添加培地による比較試験が行われた。その結果、今回奈良漬から単離された乳酸菌(奈良漬株)は、奈良漬と同程度の5~10%のエタノールを添加すると生育が顕著に促進されることが判明。つまり、奈良漬株は高濃度エタノール環境に適応した、ユニークな好エタノール性乳酸菌だったのである。また、他のアルコール類でも生育が促進されることもわかった。

  • 奈良漬の製造経過を再現した発酵試験における乳酸菌数および乳酸量の推移

    実験室内で奈良漬の製造経過を再現した発酵試験における乳酸菌数(左)および乳酸量(右)の推移。仕掛品を酒粕に漬け込むと乳酸菌数が増加し乳酸が生成される(出所:NAISTプレスリリースPDF)

  • エタノール濃度の異なる環境におけるFructilactobacillus fructivorans基準株および奈良漬株の生育の推移

    エタノール濃度の異なる環境(0~10%)におけるFructilactobacillus fructivorans基準株(左)および奈良漬株(右)の生育の推移(出所:NAISTプレスリリースPDF)

基準株と奈良漬株の遺伝子発現プロファイルを比較した結果、奈良漬株では脂肪酸の生合成に関連する遺伝子クラスター(関連機能を持つ遺伝子群)の約半分の領域の発現が、いずれも基準株より大きく抑制されていた。脂肪酸は細胞膜の主成分であるため、この結果は細胞膜の性質が変化している可能性を示す。奈良漬株は、通常なら細胞膜には毒であるエタノール環境下で、快適に生きられる特別な細胞膜を持つ可能性がある。つまり、奈良漬株は奈良漬の製造環境に長年さらされる中で、独自の適応を遂げたと推測された。

  • 奈良漬株における脂肪酸生合成遺伝子クラスター

    奈良漬株における脂肪酸生合成遺伝子クラスター。グレーが、発現が顕著に抑制されている遺伝子(出所:NAISTプレスリリースPDF)

今回、奈良漬における乳酸菌の動態と役割が解明された結果、製造工程における微生物の管理モニタリングや、発酵微生物の選抜・育種による香味制御など、科学的根拠に基づいた品質設計が可能になるとする。さらに今回の成果は、環境適応という生命現象の根本を見つめ直す発見でもある。奈良漬株の好エタノール性は、生命がどのようにストレス環境を乗り越え、活動領域を拡張してきたかを考える上で重要な手がかりとなるとする。

加えて、高濃度エタノールや有機溶媒中でも安定して性能を発揮する発酵微生物や酵素の開発は、香料・化粧品・医薬品・バイオ燃料といった産業分野で高い応用ポテンシャルを持つ。今回解明された奈良漬株の特性は、極限環境でも代謝を維持できる生命の仕組みが示されている。この理解は、これまで困難だった条件下でのバイオものづくりを実現する可能性があるとしている。