武田薬品工業は、2023年に東京のグローバル本社の空間リノベーションを実施した。これは「対面交流の価値最大化」を軸とし、「社員が主役となる働く場」を目指したものだ。同社 グローバルファイナンス GREFジャパン 東京ハブサイトファシリティ リードの藤田陽子氏は、「これは単なる空間設計の話ではなく、社員の働き方、価値観、そして企業文化そのものに関わる、非常に人間的で感覚的なテーマ」だと話す。
11月5日に開催された「TECH+セミナー ワークプレイス改革 2025 Nov. つながりを生む、ワークプレイスの最適解」に同氏が登壇。武田薬品工業の空間リノベーションにおける取り組みを紹介し、ファシリティ管理を担う立場からワークプレイスに対する考え方を説明した。
理想的な働き方の模索
講演冒頭で藤田氏は、2020年以降の働き方の大きな変化について、「パンデミックは変化を加速させたが、きっかけではなかった」と述べた。実際、武田薬品工業ではそれ以前から働き方の多様化や社員の価値観の変化が始まっており、理想的な働き方を探し始めていたところに、新型コロナウィルス感染症の流行が始まったのだという。そんな中で2020年にファシリティに異動した同氏は、社員の声に触れ、働く場を守り、進化させることが仕事であると理解し、試行錯誤を続けてきた。
「振り返ると、理想的な働き方の答えはなく、問い続けることが正解だったと思います。そして今もその過程にあり、終わりはありません」(藤田氏)
グローバル本社の空間リノベーションを実施するにあたり、まず従業員インタビューやアンケート、従業員とのワークショップなどを行った。ただ、こうした一般的でオフィシャルなプロセスだけでは従業員の真の声、本質的な課題を拾いにくい。そこでその他にも2つの取り組みを実施した。
その1つが「ファシレンジャー」というキャラクターをつくったことだ。ファシリティ部門のことを全社員に周知するのが目的だが、遊びの要素を取り入れることで希望やクレームを口に出しやすくした。チームメンバーの似顔絵を基にアメコミ風のキャラクターをつくったことで、社員から声をかけられることが増え、雑談から空間改善のアイデアが生まれたこともあったそうだ。
もう1つはアーリーラーニングフロアの設置だ。壁や床、天井に手を加えず、新しい家具やレイアウトを配置したテストフロアを各部門に使ってもらい、意見を集めた。ここでは海外経験の長い社員はダークトーン、一般的な日本人は明るい色を好むことなど、図面では見えない感覚の違いも明確になった。
「空間の心地よさは感覚的なもので、ロジカルには説明しきれないと実感しました。空間を体感してもらう機会を設けたことは、その後各部門のチームフロアを図面で判断してもらう際に役立ちました」(藤田氏)
対面交流の価値を最大化するためのオフィスデザイン
パンデミックを機に、フルリモートワークが可能だと分かった。しかしその一方で、多くの社員が同僚とのインタラクションやコラボレーションの不足を感じていることがアンケートで判明した。そこで、対面交流の価値を最大化できるようオフィスのスタッキングやゾーニングを設計した。具体的には、8つのチームフロアの中に挟み込むように共有フロアを設け、2つのチームフロアの上下に必ず共有フロアがあるようにした。これは垂直の動きを自然につくることが狙いだ。共有フロアには、動線や視線の交差を考慮し、偶発的な出会いを促すデザインを取り入れた。
また交流を促すためにコーヒーの配置も工夫した。チームフロアに無償コーヒー、共有フロアに有償のスペシャルコーヒーを設置することで、垂直の動きが自然に生まれ、他部門との交流もしやすくした。10階にある「XD Labs」と呼ばれるデジタルフロアにはスターバックスのセルフマシンを導入。社員からの公募で、神戸の武田史料館にある茶室の名前にちなんだ名前のカフェとしたことが話題になり、社員との距離を縮めることにもつながったという。
オフィスはフリーアドレスだが各部門のチームフロアは決め、そこに個人ロッカーを置いた。チームフロアをホームとして感じられれば、安心して移動しながら働けると考えたためだ。そして、各部門の業務特性や働き方のスタイルを反映し、8つのチームフロアは全て異なるレイアウトデザインを採用した。
大型のラーニングセンターを3フロアに設けたことも特徴だ。学びを日常に溶け込ませるという意図で、個人及びチームの学習と成長を促進するよう、多目的に利用できるスペースとした。さらに、コミュニケーションのためのスペースである「Engawa Hiroma」もつくった。広間、縁側、欄間、借景など日本の伝統的建築様式を取り入れたほか、自社で運営する京都薬用植物園の協力を仰ぎ、同社の歴史や文化に関連する植物を配置。併設のカフェでは漢方ソムリエが監修した薬膳プリンも提供する。藤田氏は、「文化や歴史を通じた交流の価値を感じられる場になった」と話した。
社員の声を反映して継続的に改善
こうしたリノベーションを進める際に重視してきたのは、社員の声に真摯に向き合うことだ。少数意見も参考にし、実現できない要望であっても必ずリアクションするようにして信頼関係を高めた。また、あえて予定より半年早く完成させているが、これは新たな空間を使ってもらって意見を集め、より使いやすいように調整するためだったという。例えば会議室の音漏れの対策として仕切りをカーテンからガラス張りにしたり、利用状況に応じてフォンブースの数を増やしたりしたほか、細かい改善は今も続けている。
「社員の声を常に反映し続ける姿勢そのものが価値だと思っています」(藤田氏)
また各フロア、各スペースにはオキュパンシーセンサーを設置して、曜日や時間ごとの使われ方をモニタリングしている。今後の組織やレイアウトの変更時には、ここで得られたデータを活用する考えだ。
自由な働き方で自律性や創造性を引き出す
オフィスの使い方は自由を旨としているが、ABW(Activity Based Working)は採用していない。空間ごとに使い方を定義し活動に応じて場所を選ぶという一般的なABWより、もっと自由で感覚的、個人的な働き方であるべきとの考えからである。「空間の使い方に正解を設けないことで、社員の自律性や創造性を引き出すことができる」と藤田氏は説明する。またオフィスの運用ルールを最低限しか定めていないのも、社員の自律性を最大限に尊重するためで、遅刻や早退という概念すら存在しない。
「社員は、自分の業務や生活スタイルに合わせて最もパフォーマンスが発揮できる時間帯に働くことができます。この自由さが責任感や主体性を育て、チーム全体の信頼にもつながっています」(藤田氏)
ただ、どのように活用するか悩む社員もいる。そこで、社員が実際にどのような働き方をしているかを紹介する「オフィスの活用達人」というコンテンツを社内のデジタルサイネージで展開。さらにオフィス活用説明会を月1回開催するなど、働き方のヒントを共有できるようにしている。
ファシリティは社員に非常に近く、場合によって人事や広報、経営にも近い立場で社員に関わる仕事だ。同氏は、社員と経営、部署と部署、グローバルとローカルなどさまざまな立場の間をつなぐ役割があり、働き方を支え、文化をつないで変化を促すのが役目であると話した。
「設備やデザインはもちろん大切ですが、ここで働きたいと感じてもらえることこそが、オフィス空間づくりの本質です。社員が主役となる働く場づくりとは、社員の声に耳を傾け、ともにつくり、ともに育てていくプロセスなのです。そして、その場が社員1人1人のイマジネーションとクリエーションを支える場所になることを私たちは目指しています」(藤田氏)

