いまや企業経営におけるデータ・AI活用の重要性は誰もが認識するところだが、これらを活用しても大きな成果に結び付けられていない場合もあるだろう。その理由について「データ・AI活用には立ちはだかる4つの壁がある」と話すのは、東京ガス DX推進部 データ活用統括グループマネージャーの笹谷俊徳氏だ。

8月26日~29日に開催された「TECH+フォーラム データ活用 EXPO 2025 Aug. データを実装し、ビジネスを駆動させる時代」に同氏が登壇。4つの壁を乗り越えて進める、データ・AI活用のための取り組みについて説明した。

LNGローリー供給にAIを活用し、効率化を実現

東京ガスグループでは現在、バリューチェーン全体でのAI活用に積極的に取り組んでいる。原料調達領域では価格や需要の予測、製造・発電領域では設備異常検知や運転効率向上にAIを活用しているのをはじめ、営業・マーケティング、カスタマーサービスなどバリューチェーン全体に渡る幅広い領域でAI活用を進めている。

  • 東京ガスグループのAI活用事例

    東京ガスグループのAI活用事例

具体的な事例としては、ガス導管が設置されていない地域の顧客に直接ガスを配送するLNGローリー供給事業の効率化・高度化がある。顧客からの都度注文による配送では必要なローリー車の台数が多くなりコスト増につながるため、AIによる需要予測と配送計画最適化を取り入れた。顧客のタンク残量を検知し、消費量をAIで予測、数理最適化による配車計画をつくることで、注文を待たずに効率的なタイミングでの配送を実現している。

人事領域では、全社の約2000業務を200分類に体系化し、4段階のレベルを設定したオリジナルの専門性ガイドを作成。この情報を用いて専門性の獲得、伸長についてチャット形式で助言してくれる「キャリアアドバイザーAI」や、社員のスキルをデータ化して人事異動の際に適切な部署に配置する「最適タレント検索」を導入している。

データ・AI活用に立ちはだかる4つの壁

データ・AI活用を進めるうえで、立ちはだかる壁になるものもある。笹谷氏によれば、使えるデータがないという「データの壁」、人材の不足と偏在による「人材の壁」、分析が目的化して大きな成果につながらない「テーマの壁」、そして多くの社員がDXやAIは自分事と感じていない「意識・文化の壁」の4つだ。同社ではこの4つの視点を念頭に、データ・AIの民主化を進める取り組みを行っているという。

データの壁:基盤を整備し、生成AIを導入

データの壁を乗り越えるための取り組みは、基盤の整備だ。「小さく始めて使いながら育てる」というコンセプトの下、まず電力・ガス自由化に伴って切迫したニーズのあったマーケティング領域から整備を開始した。データを一カ所に蓄積して加工するデータ分析基盤を構築してデータ活用を定着させ、そこから全社基盤へ発展させるという段階的な整備を行ったのだ。

そして現在は、中央主権型から分散型のデータメッシュ基盤への移行を進めている。事業ドメインごとにデータ基盤を整備し、中央にハブを設けた。疎結合なアーキテクチャとすることで、事業ごとにデータが閉じることを避け、自由度の高さと全社最適のデータ構成を両立させている。

データ活用をさらに全社に拡大するうえで、生成AIも活用している。SaaSベースの各種ツールを全社で導入して社員の理解を深めるともに、課題解決のための独自アプリケーションを自社環境上で開発することで、これまで分析ツールに触れてこなかった社員にもデータ活用を広げている。

人材の壁:育成と継続的な支援

人材の壁への対応はもちろん育成だ。2025年までの目標として掲げていたのは、DXを実現できるDX活用人材を3000人、中核となるDX中核人材を500人育成することだが、DX活用人材についてはすでに目標達成、DX中核人材も2025年度には達成できる見込みだという。育成プログラムは、座学の基礎教育、業務での課題を専門家の伴走の下で解決する実践的な発展教育も展開している。

  • DX人材育成プログラム

    DX人材育成プログラム

教育をその後の継続的な実践に結び付けるために、データサイエンティストによる相談窓口を設け、事業部門の分析の取り組みを支援する仕組みもつくった。専門部署が伴走することで内製化を促進するのが狙いだ。

テーマの壁:アクションを明確にする

テーマの壁に対しては、適切なテーマを探し出すために、各種研修でテーマを収集し、研修期間終了後も成果の刈り取りまで継続して取り組みを支援する。相談窓口で収集したテーマについてもデータサイエンティストが伴走支援するなど、ボトムアップでテーマを掘り起こして支援することを重視している。

テーマの選定において注意すべきなのは、データ活用そのものを目的化しないようにすることだ。例えばBI活用において、単に「見たい、知りたい」というだけの要望からダッシュボードをつくっても誰も見なくなってしまうし、明確な目的がないのに分析AIを導入しても使われなくなってしまう。これらの失敗パターンに共通するのは、アクションが明確でないことだ。笹谷氏は「データ分析の結果としてどのようなアクションを起こすのかを、事前に明確にするプロセスを整備することが重要」だと指摘する。

例えばBIダッシュボードであれば、目的と利用者を明確にし、5W1Hに基づいて必要な情報を整理したうえで、最初はプロトタイプでスモールに試し、検証しながら進めていくことが望ましい。また、テーマごとに本当にAI導入の効果があるのかを見極めることも重要だ。例えば、DMの送付先を反応率の高い顧客に絞り込む、といったことであればAIの効果は出やすいし、需要予測のように、従来からデータを使っていたものをAIで高度化するというのも取り組みやすい例だ。その一方で、熟練社員が経験と勘による職人的な意思決定を行っていた業務については、そもそも必要な情報がデータ化されていないことが多く、熟練者の特権的な業務をAI化することへの抵抗もあり得るため、取り組むのが難しい。

「実装のしやすさと効果の大きさはトレードオフとなることもあります。ただ、勘と経験に基づく意思決定が行われているものは、暗黙値が蓄積されているものでもあり、非常に大きな効果が期待できます。実装しやすいテーマと効果の大きい領域、これらをいかにポートフォリオで組み合わせていくかが重要です」(笹谷氏)

意識・文化の壁:経営層からの継続的な発信

意識・文化の壁の解決の鍵になるのは経営層と現場のギャップだ。現場が業務の効率化を求めても、経営の目線ではそれがコスト削減や新たな売上につながるかどうかを重視するなどギャップが生じ、放置すればPoC止まりのテーマが量産され、部門間の温度差も広がっていくことになる。

「このギャップを埋めるためには、データやAIを本業として取り組むべきであることを、経営者が本気で伝えていくことが極めて重要です」(笹谷氏)

同社では、データサイエンティスト出身である現社長が、社員や幹部向けのメッセージをはじめ、社内報や社内動画などさまざまな機会を通じてデータやAI活用の重要性を継続的に発信してきたことで、社員の意識が変化してきた。また経営会議では役員が自部門のAI活用について発表する場を設けたことで、AIを活用すべき競争の源泉となる「レバレッジポイント」を見出すことが自分達の役割だという認識も各組織に広がっているという。

東京ガスグループでは、事業部門とDX部門の役割分担を明確にしている。事業部門では、汎用業務については共通基盤・ツールを用いて生産性向上を図りながら、「レバレッジポイント」を特定することに注力する。一方DX部門は、共通基盤・ツールを提供、AI活用の勝ちパターンである「ゴールデンパターン」を特定し、それを横展開できるようツール化するなど、事業部門のレバレッジポイント特定を支援する。こうして特定したレバレッジポイントに内製化リソースを注力し、DX部門が独自開発を行うことで、データ活用を全社的に加速させる狙いだ。

「データ・AI活用を推進するにあたって重要なのは技術や人材ではなく、組織全体に活用したいという意思があることです。東京ガスグループでは、意思決定のなかに自然にデータとAIが溶け込み、データ・AIの民主化が文化になる日を目指し、さらなる取り組みを進めていきます」(笹谷氏)