先日、日本のメディア向けにプレスツアーを開催したインドのIT企業であるHCL Technologies。本稿では、同国から日本市場の顧客をサポートする専任組織「JLANS」(Japanese Language Services)を紹介する。
HCL Technologiesが日本市場向けにJLANSを設立した背景
JLANSについて、説明をスタートしたのはHCL Technologies Operations DirectorのShilpa Kulkarni氏で、まず同氏のよどみのない丁寧な日本語に驚かされた。同氏は日本に進出した当時のことを次のように振り返る。
「日本市場で展開した最初のインドのIT企業でしたが、浸透するまでに時間を要し、進展は割と緩やかなものでした。欧米市場に提供していたサービスや専門技術・知識を日本市場にも提供していましたが、飛躍的に発展することが難しい状況でした。その要因は独特の言語と文化ではないかと考えました。もちろん、欧州も多言語・多文化を有していますが、日本は歴史的に考えてみても島国であり、海外の人たちと信頼を構築するには時間を要するという特性がありました」(Kulkarni氏)
同氏によると、同社が日本市場に参入した当時は日本文化の実情を無視してしまったり、理解できなかったりしたという。このような積み重ねは同社に少なくない影響を与えており、例えば提案に対してすぐに回答を強く要求するなどの行動として表れていた。
日本では意思決定に時間がかかり、“根回し”というプロセスがあるということを徐々に知り、日本市場で事業展開するには文化、言葉、ビジネス習慣の違いは、必ず乗り越えなければならないと感じたとのことだ。
その対策として同社は2001年にJLANSを設立したというわけだ。同氏は「どうしても誤解や間違いが生じるため、ビジネスの際は異文化認識が非常に重要です。このような異なる文化で生じる認識のギャップをできるだけ克服するために、JLANSのメンバーが当社のエンジニアをさまざまな面からサポートしています」と述べている。
JLANSが生み出す付加価値
現在、JLANSのインド国内における拠点は同社の本社が位置するノイダ、チェンナイ、バンガロール、プネーの計4拠点を構え、メンバーは30人で大半はインドの一流大学の日本語学科を卒業した日本語専門家であり、うち数人は日本での経験もあるという。
JLANSは、日本の顧客とオフショア開発を担う同社チーム間におけるギャップを最小限にすることをサポート。主に仕様書やメール、バグレポート、テストケース、ユーザーマニュアルなどの翻訳作業、現場調整、音声/ビデオ通話、サポート訪問対応、日本とインドの文化、日本語、継続的な教育を行うトレーニングを提供している。メンバーはカメラやテレビ、プリンター、医療など専門用語の知識も有している。
JLANSのプロジェクトへのかかわり方について例を挙げる。まず、初期段階で顧客のRFP(提案依頼書)への理解、提案書の準備などを行い、次の段階では仕様書、設計書に加え、コードコメント、テストケースなどの翻訳も行う。
Kulkarni氏は「開発に関するすべてのサポートは日本語で行われます。ビデオ会議やEメールなどのやり取りは基本的に日本語です。JLANSのメンバーは単に翻訳、通訳するだけでなく、いくつかの付加価値を生み出しています。例えば、お客さまと強固な関係を構築するためのサポートや、プロジェクトメンバーのエンジニアに対して日本文化の認識・理解を高めてもらうことなどです。また、お客さまは口には出さないけれど抱えている不安や問題点を特定して、適切に対応できるように報告をしてくれます」と説明する。
JLANSの翻訳プロセスには大きく「前処理」「翻訳」「レビュー」の3つの段階に分かれている。同氏は一例として複数のJLANSのメンバーが参加する大規模プロジェクトを紹介した。前処理について同氏は「非常に重要な段階」と位置付けており、顧客から提出された全文書の内容の検討や複雑性分析、見積もり、提案、計画、スケジューリングなどを行う。
次のフェーズである翻訳では、顧客用語リストの活用や社内用語リスト作成、リストの更新、ガイドライン、チェックリスト、用語リストにもとづく翻訳、用語リストの更新、レビューを実施。最後のレビュー段階では、自己レビューと最終レビュー、翻訳プロセスの検証、標準化と文書の統合を経て、クライアントへの納品となる。
エンジニアには日本語と日本文化のトレーニングプログラムを用意
日本のプロジェクトに参画するエンジニアには、日本語と日本文化の2種類のトレーニングプログラムも用意。Kulkarni氏は「エンジニアたちに日本のお客さまと仕事をすることで自信を高めてもらうこと、そしてトレーニングを受けたエンジニアたちをプロジェクトに配置することで、日本のお客さまにも精神的な安心を提供することが主な目的です」と強調した。
日本語のトレーニングプログラムは、日時を尋ねるなど基本的なことから、IT業界でよく使われる専門用語やさまざまな場面で話される典型的な表現・フレーズなども学習する。同氏は、そのメリットとして「日本語の勉強に対して強い興味、またはコミットメントを持つエンジニアを特定することができます。特定されたエンジニアたちは日本語学校のJLPT(日本語能力試験)認定を持つ講師の授業を薦めています。トレーニングプログラムを受けたエンジニアたちは日本のお客さまとスムーズにコミュニケーションを取れるようになります」と、そのメリットを語る。
日本文化のトレーニングプログラムは、日本における社会制度のさまざまな概念、例えば“根回し”や調和などが、日本人の生き方、振る舞い、考え方をはじめ、さまざまな側面に影響を与えていることを学ぶ。
また、ビジネスマナーとしての態度や服装、名刺交換、携帯電話のマナーなどを学習。さらに、業務中に発生するさまざまなビジネスシナリオも学習し、例として良いニュースよりも悪いニュースを先に連絡することや、報連相の概念など。日本人とインド人の働き方、ビジネス習慣、プロジェクト管理などの違いについて、同社のエンジニアが学ぶものとなっている。
継続的な教育プログラム
Kulkarni氏は「日本のプロジェクトを成功させるためには、コミュニケーションが大きな成功のカギになります。そのため“ASAP”(As Soon As Possibleの略)や“EOD”(End Of Day)などの略語は、極力使わずにコミュニケーションにより発生する曖昧さを避けることについても学習するという。一方、日本の顧客に対してもインド文化のプログラムも準備し、内容的には日本文化のプログラムと似ており、インドの一般教養からビジネスマナーなどを学ぶ。
とはいえ、一度のトレーニングプログラムで日本語、日本文化を体得するのは並大抵の努力では体得できないことは自明の理だろう。その点はKulkarni氏も重々承知しているようだ。そのため、定期的にトレーニングプログラムを実施している。
一例として日本文化に関する各種のニュースレターを発行している。「Discover Japan」はニュースや文化などの情報発信、またDiscover Japanのネタをもとにしたクイズ「Discover Japan Quiz」を行っている。さらに、同社のシニアリーダーを取材した「Japan Exclusive Series」では、取材対象者の日本における経験を共有。日本の顧客とプロジェクトを実施する際の有用なTips、アドバイスなどを共有しているという。
そのほか「Power of Words」は、さまざまなビジネスシナリオで使われる典型的な表現などを学ぶことに加え、「Nihon Biz Chronicles」では四半期ごとのビジネス状況を営業やデリバリー、JLANSなどに最新状況を提供している。
Kulkarni氏は「日本とインドの間には、確かに言葉と文化の違いがあることは事実です。このチャレンジを乗り越えるために当社はJLANSチームを立ち上げています。日本のプロジェクトを成功させるためには、当社の開発チームと緊密に作業を行い、日本語と日本文化の観点から重要なサポートを提供しています。今後も日本のお客さまとは、お互いに文化について理解を高めたり、アイデアを交換したり、強みを組み合わせたりしていくことで、良い未来を創ることができると考えています」と述べていた。
日本法人では大型案件を受注するというマインドセットが重要
現在、エイチシーエル・ジャパンは社員数が750人で、そのうち650人がエンジニアが占めており、常時インド本国から日本の顧客をサポートする人数は3000人となっている。これまで、100社以上のITサービス企業や3000社以上のソフトウェア企業を支援している。日本法人では「Trust」「Localization」「Delivery quality」「Strong solution」「People」の5つのバリューを設定している。
エイチシーエル・ジャパン 代表取締役社長の中山雅之氏は「特に日本では多くの製造業、テクノロジー関連のお客さまがいます。日本企業のインド進出もサポートするプログラムも用意しており、他のITベンダーがやらないようなユニークな取り組みもあります」と話す。
また、同氏は「大型案件を受注するというマインドセットが非常に重要であり、成功例もあります。ただ、RFPに呼ばれるか否かというのも影響するため、関係を構築して大型案件をやるのであれば当社に声がかかるくらいにすそ野が広がれば、勝率も上がると考えています。そのため、いかに多くバッターボックスに立つつとともに勝率を上げていくか、これを両輪で進めていきたいと考えています」と力を込めていた。