
インバウンドから知る 日本が持つ価値
─ 米国でトランプ政権が誕生し、他国への関税など外交面の懸念やインフレの恐れも言われますが、どう見ていますか。
廣田 米国を見ていると、先の大統領選挙でもインフレは争点の1つだったと思います。過度なインフレは、国民の気持ちを離れさせますから難しいところです。
ですから、正当な価格、正当な価値をどう見るか。私たちもいいものを出していくという上で、非常に注意しながら価格設定をしているのは事実です。
一方で、日本はやはり全体的に安いということを我々は実感として感じています。為替もありますし、特にインバウンド(訪日外国人観光客)を念頭に置くと税金もなくなりますから、例えば中国で買うより日本で買う方が比較的安いんです。
─ 一方で、インバウンドの人たちは日本の良さにも惹かれて来ているという面もあるのではないかと思います。
廣田 そう思います。とにかく、他の国ではここまで青い空を見ることは難しいと思います。飲食物は美味しいですし、なおかつ安いとなれば、外国の方々は来ますよね。
当社で言っても、オニツカタイガー(アシックスが展開するファッションブランド。元は創業者・鬼塚喜八郎がオニツカを創業した際のスポーツシューズブランド)の売り上げなども、昨年は一昨年対比で倍になりました。
日本の方々にも多く購入していただいていますが、それ以上にインバウンドの影響が大きい。ですから日本経済を考えても、インバウンドをどう見るかは重要ですが、日本で買うと価値があるというのは大きいと思うんです。
そして店員の皆さんが笑顔で販売しますから、気持ちよく買い物ができます。その一方でキャッシュレスの対応や免税の手続きは効率的に終わる。こういう国は世界にあまりありません。
この価値に対する価格を、国際競争力を見る時にどう考えるかという問題はあると思います。ただ一方で、この日本の無形価値は大切に使わなければいけないとも思います。
─ 日本の産業界全体として無形価値を重視する方向に来ていませんか。
廣田 来ていると思います。「モノからコトへ」とはよく言われますが、例えば、昨年11月に山梨・富士河口湖畔で「富士山マラソン」という大会が開催されました。富士山を見ながら走ることができるということで、特に外国人に人気があります。昨年は約1万1800人の方が参加し、7000人近くがインバウンドの方々でした。
─ 日本は「失われた30年」の中で自信を失った面がありますが、こうした良さを持っている。どう自信につなげていけばいいと考えますか。
廣田 私は、日本がもう一度、世界で輝くということが必要だと思うんです。まず、我々が個社としてやることは、アシックスを日本発のグローバルブランドにしたい。ゆくゆくはナンバーワンになりたい、目指すんだと言っています。
商品力、技術開発力、お客様からの信頼で世界に打って出て、価値を認めてもらうということが、非常に重要だと思うんです。
コロナ禍で生きた 「デジタル」への転換
─ 廣田さんは総合商社・三菱商事の常務執行役員を経て、アシックスに入社した転換力の強い方ですが、社長就任後にコロナ禍がありましたね。この時はどういう気持ちで経営していましたか。
廣田 コロナ禍が始まった時には店舗は閉まり、物流が止まりましたから、「大変なことになった」と思いました。経済が一斉にピタッと止まったみたいな形でしたから、会社が本当に存続できるだろうかということで、まずは現金を確保しました。
一方で、私がアシックスに来た時から、デジタルを強化しており、eコマースが整っていたんです。一時期、コロナで経済が動かなかったですが、それでも皆さん買い物はされます。その時にeコマースがあったことで、すぐに対応できました。
ですから我々は、2021年はコロナ禍の影響もあって赤字でしたが、すぐに復活することができたのです。
加えて、コロナ禍以降、人々の健康に対する意識が非常に強くなったことを実感しています。病気に対する抵抗力をつけるために運動しようとか、在宅勤務でずっと家にいるのではなく、外で歩いたり、走ったりすると気持ちがいいということを皆さんが感じたことで流れが一気に来て、我々はその流れを捉えることができたのです。
─ ある意味でピンチがチャンスになったと。
廣田 そうですね。ただ、それは今だから言えることで、最初はどうなるかと思いました。
─ コロナ前からデジタルへの布石を打っていたと。
廣田 結果的にですが、デジタルの世の中が来ることは確実でしたから、eコマースの基盤、会員制度が整っていたことは大きかったですね。
─ 全体の売り上げのうち、eコマースの比率は何割ですか。
廣田 国によっても違いますが、日本は低く10%程度です。一方で、米国や中国では4割くらいになります。やはり国土が広いと店舗に行くよりもeコマースで買われるお客様が多い。我々は「DtoC(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)比率」と言っていますが、直営店+eコマースで全体売上高の4割です。
─ 海外売上高比率が8割以上ですが、さらに高まる?
廣田 高まります。日本も大切な市場ですが、ビジネスが伸びる市場は、やはり海外ですから、日本は比率としては下がっていきます。
─ その日本市場は少子高齢化ですが、その中でスポーツをいかに根付かせるかがテーマだと思いますが、どう取り組みますか。
廣田 長生きできるということはいいことだと思っていますが、問題は健康のまま歳を取ることができるかということです。そのためには、やはり体を動かしていただくことが必要です。
我々だけでできることではありませんが、施設などを含め、スポーツができる環境を整えることが大事です。今はデジタルを使いながら、スポーツの仲間を募ることもできます。我々はランニングが中心ですが、ウォーキングも含め、年齢にかかわらず入りやすいのではないかと。
また、歩いている時でも、無心でいることはできませんから、いろいろ考えると思いますが、そういうことも非常にいいことではないかと思っています。
日本のスポーツのあり方は学校の部活動や地域スポーツなど、様々な課題がありますが、様々な形で、日本全体でスポーツを楽しむ文化になっていけばいいなと思います。
─ 先ほどの「富士山マラソン」もそうですが、地域の観光資源との連携も今後進みそうですね。
廣田 どんどんやっていきたいと思っています。当社の関連会社に、ランニングイベントの企画や募集を手掛けるアールビーズという会社があるのですが、その会社が積極的に地方との連携を進めています。
例えば、お城は日本の重要な観光資源ですが「日本全国お城マラソンを走ろう」という企画で熊本や彦根で大会を開いています。また、今度長崎で音楽とランニングをコラボレーションさせた「長崎ミュージックマラソン」が開催されます。
こうしたテーマを思いつくことができれば、いろいろな発想ができます。私なんかよりも、若い人たちがどんどん発想してくれています。マラソンというと「辛い」、「苦しい」というイメージを持つ人もおられると思いますが「楽しい」と思ってもらえる企画を、日本の観光資源を活用しながらできればいいなと思っているんです。
社員の「ロイヤリティ」を どう考えるか?
─ 創業者・鬼塚喜八郎さんの「頂上作戦」から発想した「Cプロジェクト」で開発したシューズがアシックスを牽引しているわけですが、それを担う「人」の育成にはどう取り組んでいますか。
廣田 非常に力を入れています。先程、無形資産が大事という話をしましたが、重要なのは人的資産だと考えています。優秀な人たちに来てもらって、ここで働くことによって育っていくことが必要です。今、急激に業容が拡大したこともあり、中途採用にも注力しています。
─ 人の流動性が高まる時代ですが、ロイヤリティ(帰属意識)をどう考えますか。
廣田 ロイヤリティは必要だと思います。会社で仕事をしている間は、その会社のこと、その会社の商品を愛することが必要だと思いますし、会社をもっとよくするための提言をしてもらうことも大事です。
一方で、世の中には多くのチャンスがあるということで、そちらにチャレンジしたいならばチャレンジしてもらった方がいい。しかし、当社では辞められる方に、3年以内だったらいつでも戻ってきていいという話をしているんです。
─ 実際に戻って来る人もいる?
廣田 います。そういう人は、よりアシックスに対する愛着心が強いですし、会社としても歓迎しています。
─ 産業界では処遇改善、賃上げが課題ですが、どう考えていますか。
廣田 当社でも初任給を30万円に引き上げたり、従業員の賃上げを行っています。賃上げについては17%とすることで早々に組合とも合意しました。
そして当社では賃上げだけでなく「プロフィットシェア」という考え方を持っています。儲けた単年度で従業員に返していくということです。資本コストを超えた税引き後利益のうち、10%を社員に返します。一般社員だと昨年の実績で1人当たり50万円程度になりました。
昨年、中期経営計画の達成で1人10万円を配ったのですが、地域を含めて差を付けないようにしました。するとインドの店舗からCFO(最高財務責任者)に驚いて電話が入ったんです。物価調整などはせずに、一斉に配りましたから、現地では給与の2カ月分に相当する金額だったからです。
お金は、やはり1つの尺度だと思うんです。利益は我々の付加価値をお客様に認めていただいて得ているものですから、それが上がれば株主に還元をし、いい商品を作るための投資をしますが、従業員にもきちんと還元をしていこうということです。
スポーツを「支える喜び」
─ やはりオリンピックなどを見ていても、スポーツには感動がありますね。
廣田 あります。スポーツをする喜び、見る喜びなど様々ありますが、私たちが広めていきたいのは「支える喜び」です。25年は9月に東京で「世界陸上」、11月に聴覚障害者の方々のスポーツ大会「デフリンピック」が開催されます。
私たちは両大会を社員がボランティアでも支えます。社内には年に1回はボランティアをやろうと呼びかけていて、私も「神戸マラソン」ではゴール地点でのタオルかけのボランティアをやっています。そうして支えることでゴールしてきた人たちと思いを共有するわけです。
共生社会と言われますが、言うだけでできるわけではなく、実行することによってできるんだと思うんです。24年に神戸でパラ陸上が開催され、私も応援やボランティアで参加しました。その場ではボランティアリーダーの号令に私も「はいっ」と返事をして、若い人たちと一緒に動きました(笑)。
また、私も含め役員は年に1回、店舗研修を行っています。入荷した商品を箱から出して陳列するという仕事を、みんな大汗をかきながらやっている。店舗の皆さんの仕事を共有することで販売の現場を知ることができますし、現場の皆さんも役員が現場を知っていると思ってくれる。
─ 経営と現場の距離が離れている企業が多いという指摘もある中、重要ですね。
廣田 商品を売ってくれるのは現場ですから。お客様にどういう商品が、どういうタイミングで、どういう形で売られているかを知ることが基本中の基本です。