Quemix、旭化成、東京大学(東大)、量子科学技術研究開発機構(QST)の4者は3月11日、Quantinuum製イオントラップ型量子コンピュータ「H1-1」と、東大 物性研究所のスーパーコンピュータ「ohtaka」を連携させて量子化学計算を実行し、「窒化アルミニウム」(AlN)中の複合欠陥が新たな量子ビットとして機能する可能性が明らかになったと共同で発表した。

同成果は、Quemix 研究開発部の西紘史部長、同・小杉太一主任研究員、旭化成 研究・開発本部 基盤技術研究所の武井祐樹グループ長、同・三枝俊亮主幹研究員、旭化成 デジタル共創本部 インフォマティクス推進センターの夏目穣部長、同・青柳岳司シニアフェロー、東大大学院 理学系研究科の松下雄一郎特任准教授(QST 量子機能創製研究センター 量子材料理論プロジェクトプロジェクトチーフ兼任)らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する応用物理学を扱う学術誌「Physical Review Applied」に掲載された。

原子・分子レベルでの材料設計は量子力学に支配される世界であり、それを扱う上では量子コンピュータが最適なため、量子化学計算こそが量子コンピュータのビジネス活用が最も早く始まる分野として予想されている。そのため、現在は誤り耐性量子コンピュータ(FTQC)の性能を最大限に引き出すための「量子アルゴリズム(FTQCアルゴリズム)」の、現実的な量子化学計算への応用例の開拓と実用化が重要課題となっている。そこで研究チームは今回、古典・量子のハイブリッド・コンピューティングで量子化学計算を行ったという。

  • スピン欠陥とそれを活用した量子技術群

    スピン欠陥とそれを活用した量子技術群(出所:旭化成プレスリリースPDF)

  • シミュレーション活用による新規スピン欠陥材料探索のフロー図

    シミュレーション活用による新規スピン欠陥材料探索のフロー図(イメージ)(出所:旭化成プレスリリースPDF)

現在の量子コンピュータは量子ビット数に限りがあるため、現実的な問題を解くには限界がある。そのため、まずはohtakaを用いて、300原子を含む計算対象に対して密度汎関数理論による粗い計算が行われた。その後、計算精度を落とさずに問題の規模を縮小するため「ダウンフォールディング計算法」を用いて、高精度計算が必要となる本質的に難しい問題領域の抽出が行われた。具体的には、複合欠陥を取り巻くAlN母結晶からの寄与を取り込みながら、複合欠陥近傍の電子状態のみが抽出された。

  • 今回の研究に用いられた原子構造の計算システム

    今回の研究に用いられた原子構造の計算システム(300原子)。青い大きい球はアルミニウム原子、白い小さい球は窒素原子、黄緑色の球は窒化アルミニウム結晶中のハフニウム原子。黄色の面は、複合欠陥に由来する局在スピン密度が表されており、ハフニウム原子とその隣のサイトの空孔構造に強く局在している。複合欠陥周りのAlN結晶の電子状態からの寄与を取り込み、複合欠陥近傍の電子状態を記述する問題を抽出する様子が赤い矢印で示されている(出所:旭化成プレスリリースPDF)

次に、H1-1を用いたFTQCアルゴリズムによる高精度計算が実施された。しかし現在の量子コンピュータには誤り訂正技術が備わっていないため、ノイズにより計算結果に誤りが生じてしまう。そこで今回は、現在の量子コンピュータ向きの量子誤り検出(QED)符号の「Iceberg符号」を用いることで、量子ノイズ(計算誤り)の影響を軽減した上で、高精度なFTQCアルゴリズムが実行された(計算途中でエラーが検出された場合は、破棄される仕組み)。

  • 量子誤り検出と量子誤り訂正技術の概念図

    量子誤り検出と量子誤り訂正技術の概念図。現在のNISQデバイスでは、計算途中にエラー(図中の黄色のマーク)が発生する可能性がある。もし計算途中でエラーが発生した場合、計算途中で実行されるシンドローム測定により、そのエラーを検出することができる(量子誤り検出)。検出されたエラーの有無の情報に基づき、復元ゲート操作を行うことが量子誤り訂正だ。今回の研究では、量子回路深さの関係から、量子誤り検出までが実行された(出所:旭化成プレスリリースPDF)

複合欠陥の量子状態を正確に計算するためのFTQCアルゴリズムとして、Quemixと東大とQSTが共同開発し、量子化学計算を加速することが数学的に証明済みの「確率的虚時間発展法」が用いられた。なお、量子コンピュータの実機上でQED符号と基底状態計算のためのFTQC向けアルゴリズムを組み合わせた計算が実行されたのは、今回が世界初だとする。

そして計算の結果、QEDによって誤差が効果的に削減され、高精度に複合欠陥の基底状態と励起状態の両方が取得された。そして、理想的なFTQCマシンの98%の精度を、現在の量子コンピュータでも実現可能であることが実証された。これは極めて高い正確性であり、現在の量子コンピュータが実用化レベルになりつつあることを反映しているという。

  • 量子コンピュータ実機上での実行結果

    量子コンピュータ実機上での実行結果。基底状態に対する結果(左)と、励起状態に対する結果(右)。両図において、初期状態は緑色、厳密な虚時間発展法は黄色、ノイズのない理想的な量子コンピュータの場合は水色、ノイズモデルを取り入れたシミュレーション結果は赤色、量子誤り検出符号を用いた量子コンピュータ実機上での結果は青色、量子誤り検出符号を用いない時の量子コンピュータ実機上での結果は黒色で示されている(出所:旭化成プレスリリースPDF)

さらに計算結果が解析され、ZrAlVN、TiAlVN、HfAlVN複合欠陥が量子ビットとして高い可能性を秘めていることが示された。具体的には、いずれも量子ビット材料として有望なダイヤモンドNVセンタと同じ電子状態である「スピントリプレット状態」(複合欠陥近傍において、電子スピン2つ分がスピンの向きを同じに揃えた状態)を基底状態として有し、励起状態として「スピンシングレット状態」(複合欠陥近傍において、隣り合う電子スピン同士が互いにスピンの向きを逆向きにし、スピンの磁性を打ち消し合った状態)を取っていることが確認された。

加えて、スピントリプレット状態において励起させるために必要な光の波長は約400nmと、既知の励起光として最も高いエネルギーの波長帯であることが突き止められた。一方、スピンシングレット状態における励起状態としては、2500nmと低エネルギーであることも判明。スピン状態に依存して、励起状態が大きく異なる特異な量子物性値を有することが解明された。

今回の成果は、量子コンピュータを用いた量子化学計算における重要な一歩であり、FTQCアルゴリズムの実用化に向けてのマイルストーンとする。同時に、将来の量子ビット材料の開発に貢献することが期待されるとしている。