産業技術総合研究所(産総研)は1月16日、大規模な量子コンピュータの開発に不可欠な、低温環境下での高周波回路の電気的特性を評価するための新技術を開発したと発表した。

  • 今回の技術の役割に関する概念図

    量子コンピュータの大規模化における、今回の技術の役割に関する概念図(出所:産総研Webサイト)

同成果は、産総研 量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センターの荒川智紀主任研究員、産総研 計量標準総合センター 物理計測標準研究部門の加藤悠人主任研究員、同・昆盛太郎研究グループ長らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学協会が刊行する応用物理学全般を扱う学術誌「Applied Physics Letters」に掲載された。

実用的な量子コンピュータを構築するには百万量子ビットが必要だと言われているが、その実現にはまだ遠く、いくつかの課題が残されている。その1つが、極低温下の量子ビットと室温の計測機器を接続するための低温高周波回路の高密度化だ。そのため、高周波基板材料を利用した各高周波部品(増幅器、アッテネーター、フィルターなど)の集積化や高密度フラットケーブルの開発は直近の課題とされている。これまで産総研は、高周波帯でのデバイス評価や材料評価のための計測技術を開発してきた。そして今回は、低温高周波回路の開発を加速させるため、そうした計測技術を組み合わせて低温環境下での材料評価技術の開発に着手したという。

高周波部品を実装する基板は、誘電体シートと金属箔の積層構造からなっているため、回路設計では誘電体シートにおける、材料の電気的な性質を表す「複素誘電率」(比誘電率と誘電正接)と、誘電体/金属界面の導電率が不可欠な情報となる。今回の研究では、平衡型円板共振器法に独自の改良を加えることで、絶対温度4K(約-269℃)から300K(約27℃)の広い温度範囲で3つの材料パラメータ(比誘電率・誘電正接・導電率)を同時に評価する技術の開発に成功したとのことだ。

この手法では、金属円板周辺に局在した共振モードの特性を上下に配置された同軸ポートを介して測定し、材料パラメータを評価。測定対象である高周波基板材料(銅箔/誘電体シート/銅箔)の両面に円板と励振孔のパターンが加工され、2つの基板が向き合わせで配置された。なおこのセットアップでは、共振特性に影響を与える誘電体シート/金属界面がすべて測定対象となっている。

その結果、既存手法で誤差要因となっていた誘電体シート/金属界面の空隙の影響が排除され、熱ひずみが加わる低温環境下でも高精度な材料パラメータの評価が可能になったとのこと。さらに反射・伝送特性評価を低温環境下で行う技術が材料パラメータの評価にも応用され、独自の測定系が構築された。ここでは、誘電体シートの厚さが異なる2つの平衡型円板共振器が、高周波スイッチで切り替えて測定が行われた。これにより、測定系の温度変化などに起因する誤差要因が排除され、低温環境下において高精度な材料パラメータの決定が可能となったとした。

  • (左)平衡型円板共振器の断面図。(右)測定系の概念図

    (左)平衡型円板共振器の断面図。(右)測定系の概念図。この画像は、原論文の図が引用・改変されたもの(出所:産総研Webサイト)

その後研究チームは、開発された技術の有用性を実証するため、市販の高周波基板材料を10温度点(4、10、20、30、50、70、100、150、200、300K)で評価。すると、温度の低下に伴って導電率の周波数依存性が顕著になるという結果が得られたという。さらに、この振る舞いが銅箔の界面粗さを考慮したモデルに従うことが解明され、フィッティングによる界面粗さの定量評価に成功したとする。

  • (左)導電率の測定結果。(右)フィッティング結果

    (左)導電率の測定結果。(右)フィッティング結果。この画像は、原論文の図が引用・改変されたもの(出所:産総研Webサイト)

一般に低温環境下では、導電率の増加によって高周波伝送路の導体損失は減少すると考えられていた。しかし今回、導電率の増加に伴う表皮深さの減少によって、界面粗さが導体損失の主要因になることが突き止められた。そして測定された比誘電率は20K(約-253℃)以下でほぼ一定の値となるのに対し、誘電正接は温度に対して単調に減少。このような温度依存性の情報は4K以下での高周波基板材料の性能を予測する上で有益な情報となるとしている。

  • (左)比誘電率の誘電正接の測定結果。(右)誘電正接の測定結果

    (左)比誘電率の誘電正接の測定結果。(右)誘電正接の測定結果。この画像は、原論文の図が引用・改変されたもの(出所:産総研Webサイト)

今回開発された技術は、正確な材料パラメータに基づいた高性能な低温高周波部品の開発に貢献するという。また、量子コンピュータの読み出し回路では低損失かつ高密度な配線が求められるが、細い伝送線路を用いた高密度配線では伝送損失における導体損失の割合が増加するため、今回明らかにされた導体損失のメカニズムは、低損失な高周波基板材料の開発において重要な指針になるとした。

なお今回の技術は、量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル拠点における量子ハードウェアのテストベッドに導入され、産業界向けに測定サービスを提供するとのこと。また、量子コンピュータの低温高周波回路を構成する磁性材料や超電導材料についても、評価技術の開発を進めるとしている。