日本大学(日大)、東京理科大学(理科大)、科学技術振興機構(JST)の3者は5月21日、「量子シミュレーション」を実現するため、レーザー光で作られた2次元格子に閉じ込めた原子の気体を、量子力学の効果が顕著な極低温に冷やすための方法を大規模なコンピュータシミュレーションによって確立したことを共同で発表した。

同成果は、日大 文理学部 物理学科の山本大輔准教授、理科大 創域理工学部 先端物理学科の森田克洋助教の共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会(APS)が刊行する機関学術誌「Physical Review Letters」に掲載された。

  • エントロピー制御による強相関電子材料の低温量子シミュレーション

    エントロピー制御による強相関電子材料の低温量子シミュレーション(出所:JSTプレスリリースPDF)

高温超伝導体や量子磁性体の理論解析のためには、ミクロな無数の電子の量子力学を解く必要があるが、既存のコンピュータではどれだけ高性能でも、その厳密な解を得ることは不可能。そうした中で研究したい物質と同じ数理モデルを持つ人工的なシステムを用いて、実験的にシミュレートする量子シミュレーションが注目されている。

その例の1つが、レーザー光と原子気体を用いた人工システムで、レーザー光を格子状に照射することで、物質内の結晶を模倣する。レーザー光であるため自然界の物質と比べて制御性に優れ、格子の間隔も物質の結晶よりも1000倍ほど大きいことから観測も比較的容易であり、物質内の電子集団の役割を果たすのは、レーザー格子中に充填された原子集団である。

  • レーザー光と原子気体を用いた量子シミュレーション

    レーザー光と原子気体を用いた量子シミュレーション(出所:JSTプレスリリースPDF)

しかし、こうしたシステムのボトルネックとなっているのが、「冷却」の問題。上述したように、原子同士の間隔が実際の物質よりも大きく開いているので、原子の動きを観測しやすいが、その一方で量子もつれの関係性が弱くなりやすいという欠点もある。そのため、より量子力学的効果が顕著になる絶対零度近くの極低温まで冷却する必要があるのだ。そこで研究チームは今回、原子気体の「エントロピー」の制御によって、この問題を打開する方法を検証することにしたという。

原子の集団の動きは高温になればなるほど乱雑になり、低温になればなるほどエネルギーの低い状態になるように落ち着いていく。この「乱雑さ」の指標となるのがエントロピー。ただし同じ温度でも、構成原子の性質によって、どれくらいのエントロピーを持つかが変わる。エントロピーが溜まりやすい性質を持つ気体では、低温であっても大きなエントロピーを持つ。また、孤立したシステムでは全体のエントロピーの総量は一定に保たれている。つまり、システムの一部にエントロピーが溜まりやすい性質を持つ部分(エントロピー溜まり)を恣意的に作れば、全体のエントロピーのうちの大部分をそこに溜めることが可能。その結果として、エントロピーの総量は同じでも、全体として温度は非常に低い状態を作成できる。今回の研究では、その性質を利用して、システムにエントロピー溜まりを作り、それ以外の残りの部分を量子シミュレータとして利用することが考察された。

  • 6成分のスピン自由度を持つ原子を充填した初期状態、および中心部に特殊な光を照射した時の様子

    (a)6成分のスピン自由度を持つ原子を充填した初期状態(左)、および中心部に特殊な光を照射した時の様子(右)。(b)温度と光強度に対するエントロピー特性(左)、および初期エントロピーと達成できる温度の関係に対する数値計算結果。エネルギーの単位は、スピン間相互作用の強さJが用いられている(左)。全体が2成分のみで構成された原子気体の場合の計算結果を黒点線で示し、今回の研究のプロトコル(a)にしたがい作成された場合(ビーム幅が全体の20%、中心強度が20Jの時)の計算結果が赤実線で示されている(右)(出所:理科大Webサイト)

今回の考え方で特に重要なポイントは、「乱雑さ」として原子の速さではなく、原子の「スピン自由度」を用いたことだという。スピン自由度とは、電子などの自転のことで、電子の場合はアップとダウンの2種類の向きがある。このように"色の種類"が多く、物質内でバラバラな粒子ほど、乱雑さが高まりエントロピーが高くなるため、より効率的なエントロピー溜まりとして使用できる。

今回の研究では、スピン自由度の多いアルカリ土類金属様原子を用いて強相関電子材料の量子シミュレータを構成することが考察された。具体的に想定されたのは、"6色"の自由度を持つ「イッテルビウム-173」。同原子をレーザー光の格子に充填した後、6色中の2色のみを中心に集める特殊な光を照射することで、6色が乱雑な外周部分と、2色だけが存在する中心部分に分離するという。これにより、システム全体のエントロピー総量のうちの多くの部分が乱雑な外周部分に吸収され、システム全体の温度を効率よく冷却できることが期待されるとした。

この実験プロトコルが、大阪大学のスーパーコンピュータ「OCTOPUS」による大規模な数値計算によって実際に理論解析され、現実的な実験設定における冷却効率が算出された結果、2成分だけを充填した時と比べ、6成分のエントロピー溜まりを外周部分に配置した時の方が、同じエントロピー総量に対して格段に温度が低くなることが期待通りに示されたという。

この6成分のエントロピー溜まりに囲まれた中心の2色部分を用いて、強相関電子材料内の電子の2種類のスピン自由度を模倣した極低温下での量子シミュレーションが可能になることが期待されるとしている。また今回の新手法で、室温により近い温度で超伝導性を示す新物質の開発など、未来の革新的な新材料の開発にも大きな役割を果たすことが期待されるとしている。