あまり聞き慣れない単語かもしれないが、「アウトガス」という用語をご存じだろうか?。これは、真空中で固体材料から放出される気体のことだ。主にプラスチックなど、有機材料が放出しやすく、宇宙空間では様々な問題を引き起こす、非常に厄介な存在として知られている。
そのため、衛星や探査機などの宇宙機に搭載される半導体製品は、従来、アウトガスをほぼ放出しないセラミックパッケージが一般的だったが、近年、材料技術の進歩により、プラスチックパッケージの採用例も増えてきている。
本稿で注目したいのは、2022年に策定されたばかりの新規格「QML Class P」(QML-P)だ。このプラスチックパッケージ向けの新しい規格の策定は、米Texas Instruments(TI)が主導。これで何が変わるのか、メリットは何か、気になる点を同社スペースパワー事業部製品ラインマネージャのJavier Valle(ハビエル・バジェ)氏に聞いた。
なぜアウトガスは問題になるのか?
「ガスの問題」と聞いてまず思うのは、「人体に有毒なのか?」ということだろう。たとえば有人宇宙船の内部などではこういう問題は起こり得るのだが、空気中で発生するガスは「オフガス」と呼ばれ、アウトガスとはまた別の問題なので、ここではこれ以上掘り下げないことにする。
では、人間がいない真空中なのに、どんな悪さをするのか?。ガスが発生しても、そのまま宇宙空間に出て行ってくれれば良いのだが、機体のどこかに接触して冷やされると、再び凝縮。これがセンサー部などだと、観測に支障が出てしまう。過去の有名な事例としては、たとえば土星探査機「カッシーニ」のレンズが曇った話がある。
アウトガスの問題を予防するため、小惑星探査機「はやぶさ2」は打ち上げ直後、イオンエンジンで「ベーキング」と呼ばれる作業を行っていた。真空になったばかりの機体では、特にアウトガスが発生しやすい。これは、真空度が重要なイオンエンジンのために、温度をわざと上げることで、アウトガスを出し切っておく、という運用である。
アウトガスはそのほか、太陽電池表面に付着すれば発電能力が低下するし、放熱面に付着すれば冷却性能が低下する。あまり話題になることはないが、アウトガスの存在は、衛星/探査機の寿命や機能に直結する、深刻な問題なのだ。
セラミックとプラスチックの違い
では、ここで話を本題である半導体製品に戻そう。
伝統的に、宇宙ではセラミックパッケージが使われてきた。しかし、衛星/探査機の性能は、年々向上。軌道上で様々なデータ処理を行うようになり、計算機に搭載される半導体製品には、それまで以上の高い性能が要求され始めた。しかも、宇宙では電力、重量、サイズに厳しい制約があり、いくらでもリソースを使えるわけでは無い。
重量の面では、当然プラスチックパッケージの方が有利だ。サイズは、セラミックパッケージだと内部に空洞があるため、その分、どうしても大きくなってしまう。封止で製造するプラスチックパッケージの方が、コンパクトにできる。
その後、材料の工夫により、アウトガスを抑えたプラスチックができてくると、主に地球低軌道(LEO)の衛星から、プラスチックパッケージが使われ始めるようになった。ちなみにアウトガスについては、質量損失比(TML)で1%未満、再凝縮物質量比(CVCM)で0.1%未満というNASA(米国航空宇宙局)の要求があり、これが基準となっている。
アウトガス試験については、JAXAのWEBサイトにも記載がある
しかし従来、宇宙用セラミックパッケージ向けの規格はあったが、プラスチックパッケージ向けの規格は無かった。バジェ氏はこれについて、「規格が無いため、半導体メーカーごとに手法が違っていた」と問題点を指摘。今回、新規格が制定され、「宇宙で使うときのリスクを数値化し、検証できるようになった」という。
規格の制定により活用は深宇宙へ
TIは宇宙用の半導体製品として、現在、5種類のラインナップを提供している。最も古くからあるのは、セラミックパッケージ向けの規格である「QML Class V」(QML-V)の製品で、これは登場以来、数十年の長きにわたって使われてきた。次に登場したのは、FPGA向けに制定された「QML Class Y」(QML-Y)の製品だ。
しかし近年、LEOの衛星コンステレーションが急増。プラスチックパッケージへの高まるニーズに対応するため、「Space EP」(SEP)、そして「SHP」といったラインナップの提供を開始した。SEPはLEOミッション向けであるが、SHPは放射線耐性が強化されており、静止軌道(GEO)ミッションへの対応も可能となっている。
そして最新のQML-Pは、2021年の初頭より、業界のタスク・グループが検討を開始。2022年の第4四半期に、米DLA(国防兵站局)から正式に承認された。制定はTIが主導し、NASAや業界とのやり取りを続けてきたという。ちなみにクラス名の「P」は、プラスチック(Plastic)を表しているということだ。
QML-Pは、放射線耐性がさらに高く、静止衛星のほか、深宇宙探査機にも使えるという。サイズは、従来のQML-Vに比べ、最大50%小型化。さらに高速化もされており、通信システムの用途などでは、通信速度の向上が期待できる。またピン互換性もあるため、ハードウェア設計を変えずに、セラミックからプラスチックへの移行が可能だ。
QML-Pはまだ新しい規格であるため、メーカーとして製品を提供しているのは、今のところTIのみ。そのTIにしても、製品はまだ少ないものの、今後、QML-Vの製品ラインナップを、広くQML-Pでも提供していく予定だという。
今後、QML-Pが製品ラインナップをフルカバーすれば、QML-Vはもう不要になるのか。この疑問に対し、バジェ氏は「セラミックの方が長く使われていて、データ量も多い。ミッションによって要求は様々なため、どうしてもセラミックじゃないと、というユーザーもいるだろう」という見方を示した。
「現在提供しているQML-Vのラインナップに対し、追加でQML-Pというオプションを提供できるようになったのは、顧客にとって重要なメリット」とバジェ氏は強調。「宇宙市場では、今後も様々な新しい課題が出てくるだろう。我々はそういったあらゆる課題にソリューションを提供していきたい」とした。