2023年2月1日。ある人物が日本マイクロソフトの新社長に就任した。コンサルティング会社大手のボストン コンサルティング グループ(BCG)本社で長年経営幹部を務めた、津坂美樹氏だ。1月に日本マイクロソフトの社長人事が発表されると、IT業界とコンサル業界がざわめいた。
米ハーバード大学を卒業し、BCGの東京オフィスを経て、約20年にわたってニューヨークで勤務。約1年間の議論を重ねて悩んだ末、人生初の転職を決意したという。
「最高のタイミングだった」と語る津坂氏が日本マイクロソフトに入社した2月は、くしくも「生成AI(人工知能)」が大きく盛り上がった時期だった。
津坂氏は、革新的なテクノロジーが急速に普及した激動の2023年をどう振り返るのか。そして、日本マイクロソフトの今後の戦略をどのように描いているのか。メディア初公開となるハーバード大学以前の経歴も聞いたインタビューをお届けする。
日本マイクロソフト株式会社
代表取締役 社長 津坂美樹氏
1984年米ハーバード大学政治学部東アジア研究学部卒業後、ボストン コンサルティング グループ(BCG)東京オフィスに入社。1988年にハーバード・ビジネス・スクールでMBA(経営学修士)を取得。BCGニューヨークオフィスで20年勤務した後、2008年より東京オフィスに在籍。BCGにおいては消費財、流通、金融、保険、製造、ハイテク、メディア、通信の業種を担当するほか、マーケティング・営業・プライシンググループ、オペレーショングループ、組織・人材グループのコアメンバーを務める。2023年2月から現職。
ハーバード大学を目指した“意外な理由”
──本題に入る前に、かなり個人的な質問をさせてください。津坂社長のハーバード大学卒業後のキャリアはあらゆるメディアで取り上げられているので知っているのですが、それ以前の話を聞いてみたいです。
津坂氏(以下、敬称略):その質問、誰からもされたことないですね(笑)。
出身は東京都なのですが、商社マンだった父の仕事の関係で、ニューヨークと東京を行ったり来たりする幼少時代を過ごしました。日本の教育を受けたのは小学3年生~6年生(杉並区立大宮小学校)までの約3年間だけです。それ以外はニューヨーク郊外のウェストチェスターの学校に通っていました。
3年間しか日本にいなかったのに、どうしてそんなに日本語がお上手なのですか……?
津坂:正直、英語で話すほうが断然楽です(笑)。ですがアメリカで過ごした幼少時代、家では日本語しか話してはいけないというルールがあって。日本語の教師をしていた母の教育の一つです。
あとは、毎週土曜日に日本語学校に通いました。日本の文部科学省から大量に送られてくる教科書を使って幼稚園から高校生まで日本語を勉強しました。土曜日の朝、必死に漢字の練習をしていたのが懐かしいです。ちなみに、私の子供3人もアメリカにいるときは日本語学校に通っていました。
ですが、大学を卒業してBCGの東京オフィスに入社した時は、周りから日本語がおかしいと言われました。しばらく話しているとボロが出てくると思います(笑)。
──ハーバード大学を目指したきっかけはありますか。
津坂:私が高校生の時、父親の転勤で日本に帰国することになりました。そのとき母と妹はすでに、妹の高校受験のために日本に帰っていました。
父と母にアメリカに残りたいと相談すると、「ハーバード大学に入学するなら残ってもいいよ」と言われたのです(笑)。「ハーバードだけ……? 他の大学は?」と思ったのですが、「(私たち両親は)娘を1人でアメリカに残すのだから、ハーバードくらい狙ったら?」と、特に母に言われました。
結局、他の大学も受験したのですけど、おかげさまで第一志望だったハーバード大学に入学できました。両親は、私を大学の寮まで大量の荷物とともに見送った直後に、日本に戻りました。
日本マイクロソフトに持ち込んだ「2つの空気感」
──すみません、本題に移ります(笑)。日本マイクロソフトの社長に就任してからあと1カ月で1年が経ちます。2023年はご自身にとってどのような1年になりましたか。
津坂:日本マイクロソフトに入社するまでに1年間くらい議論があり、たくさん悩みました。そして人生で初めての転職を決意し、本当にいいタイミングで、素晴らしい会社、素晴らしい人たち、素晴らしいプロダクトに巡り合えたといえる1年でした。
ほぼすべての社員と会うことができ、最近は外に出てたくさんのお客さまと接しています。1年間で名刺を2000枚以上交換するくらいたくさんの方と出会いました。すべての人に支えてもらいながらここまで来られたという気持ちです。
そして、BCG時代に吸っていた外の空気を日本マイクロソフトに持ってくることもできたと思っています。
──持ってこられた空気とは、どのようなものでしょう。
津坂:一つは、マイクロソフトのスローガンである「One Microsoft」を浸透させる空気です。BCGにも「One BCG」というスローガンがあり、ワンチームで案件を進める重要性をすべての社員が認識していました。
One Microsoftはマイクロソフトが以前から掲げているスローガンですが、20万人を超える組織になると、やはり常に一つになるということは相当難しいです。さまざまな職種の人たちが集まっている会社なので、意見が右と左に分かれたり、チームがバラバラに動いたりと、One Microsoftが実現できていないときもあります。
なので、One Microsoftを言葉だけではなく、ちゃんと実行できるような雰囲気作りを心掛けています。本部の人間を日本に呼び寄せたり、毎月本部があるシアトルに通ったり、私自身が“つなぎ"になることで、目指すべき方向性を合わせています。「Microsoft Copilot for Microsoft 365」を11月に世界同時リリースできたことも、One Microsoftが実行できたからだと思っています。
もう一つ、「カスタマー・オブセッション」という空気も徹底して浸透させています。お客さまやパートナーを起点に考え、逆算して行動するように心掛けてもらっています。
マイクロソフトは何しろプロダクトが強い会社なので、カスタマー・オブセッションというよりプロダクト・オブセッションのカルチャーが根強くあるのも事実です。優秀なエンジニアが多く、彼らはプライドをもってプロダクトを作っています。
ですが、プロダクトを第一に考えてしまうと、受け身をとる企業には響きません。最近は生成AIを軸とした新たなプロダクトがどんどん出てきていますが、それを分かりやすい形で提供する必要があります。原点は必ずカスタマーやパートナー企業。その立場になって当社のプロダクトを見つめ直す。それを徹底してもらっています。
欠かせない「Copilotの筋トレ」
──2023年、マイクロソフトはさまざまな生成AIのサービスを矢継ぎ早に発表してきました。なぜこれほどのスピード感をもってプロダクトを展開できているのでしょうか。
津坂:私自身もこのスピード感に驚いています。マイクロソフトで長年活躍しているエンジニアも、「こんなスピードでうちからプロダクトを矢継ぎ早に出したことはない」と語るほど。
ですがこれらのプロダクトは、最近になって開発されたものではありません。当社のエンジニアやデベロッパーが長い時間をかけて積み上げてきた技術の賜物です。すべてのプロダクトが成功しているとは言えませんが、日本だけでなく、アメリカやイギリス、ドイツといったエネルギッシュな各国のチームが、スピード感を持ってプロダクトを世に出しています。
そして私は、スピード感だけではなく、製品やサービスを発表する“順番”も秀逸だと感じています。
最初に、コーディング中にAIがコードの提案をしてくれる「GitHub Copilot」をリリースしました。世界中のデベロッパーに自社の環境で使ってもらい、技術者からのフィードバックをもとに改善を重ねました。
そしてその後に、エンドユーザーも対象にしたCopilot for Microsoft 365をリリース。日本においては、8割のビジネスパーソンがWordやExcel、TeamsといったOfficeアプリケーションを利用しています。AIの民主化をさらに推進できる製品です。
分析プラットフォーム「Microsoft Fabric」も進化を続けています。11月に米国で開催した「Microsoft Ignite」で一般提供開始を発表した、スピーディなデータ活用と、OneLakeによるデータの仮想統合が実現できる製品です。
顧客のニーズを徹底的に理解し、段階的に製品を世に送り出す。その結果、すべてのプロダクトにおいてマーケットシェアが大きな状態を維持できていると考えています。また、プラグインの機能が充実しており、「足りない部分は、既存のシステムや他社のシステムと連携してどうぞ使ってください」という商品開発力は、素晴らしいものだと思います。
──12月13日に大阪で開催された「Microsoft Ignite Japan」で「私もCopilotを毎日使っている」とおっしゃっていましたね。
津坂:はい。半年以上毎日使っています。Copilot for Microsoft 365は、3月に発表し、一部の企業での試用を経て、11月から主に大企業のお客さま向けに提供を開始しました。
さまざまな機能を利用していますが、特に、Copilotを活用した「Teams」の機能が優れていると感じています。例えば「Copilot in Microsoft Teams」では、要約はもちろん、会議の雰囲気や、誰が何を話したのかを議事録として残してくれます。
先日、アメリカのチームと土曜の朝にミーティングがあったのですが、私のチームに「Copilotに議事録を取ってもらうから、参加しなくていいよ」と伝えたので、チームの半分以上は参加しませんでした。土曜日の朝からミーティングというのはかわいそうなので……(笑)。
Copilotに精度の高い日本語、英語の両方の議事録を出してもらい、すぐに両方のチームに展開しました。会議に参加していない人は「津坂社長はなんて言ったの?」と聞くと私のコメントがずらっと一覧で出てきたり、「会議の雰囲気はどうでしたか?」と聞くと、「とてもポジティブでした」と教えてくれたりします。
また、「どのような質問がされ、回答され、未解決になったの?」、「各参加者にとって、最大の懸念は何だった?」といった質問にも要約して回答してくれます。作業時間が削減できるだけでなく、無理してミーティングに参加しなくてもいいというのは、とても革新的だなと感じています。
ただ、Copilotを利用する上で「Copilot筋トレ」は欠かせないと思います。私自身、もっと効率的な聞き方はないのかと試行錯誤したり、学校の生徒のように社内にいるエキスパートに質問したりして日々勉強しています。Copilotを使い始めて、最初の1週間ですべてを網羅するということは難しいと思います。自分でどんどん学習していかないと、ROI(投資利益率)は向上しませんね。
石橋は叩かなくていい、まずは肌感覚で実感を
──一方で、生成AIを積極的に活用している人は日本全体でみるとほんの一部です。どのようにすれば、日本の企業や政府、自治体は生成AIをさらに活用できるようになるでしょうか。
津坂:日本でよく言われる「石橋を叩いて叩いた挙げ句、結局渡らない」といった状況を打破するべきです。まずは企業や政府、自治体のリーダーたちが「とりあえず使ってみる」必要があると思いますね。
大々的に全社の基幹システムを変更して、すべての製品をマイクロソフト一色にする。そんな必要はありません。生成AIをはじめとしたテクノロジーの導入前後のビフォーアフターを、リーダー自身が肌感覚で実感すべきです。
生成AIの民主化のスピードは間違いなく早いです。なんとなくコンセプトだけで、とりあえずクラウド化。その後にAIを使おうというプランでは遅いです。その業界のリーダーが1年前に投資をしていたら、置いてきぼりになり「競争劣位」になる可能性があります。当社もOpenAIに先行投資できたからこその今があると思っています。
大きなプランを立てる前に、使えるところから使ってトライ&エラーを繰り返す。そうしているうちに、本当に注力すべき領域が見つかり、そこに的を絞って実績を出す。練習ラウンドを増やしてAIの筋肉づくりをしたほうがいいと思います。
また、これからさらに生成AIを使いこなした学生が増えてきます。そのときに「この会社ってAI活用しないの……?」と思われてしまうと、優秀な人材は集まりません。今はもう優秀な人だけがテクノロジーを使う時代ではありません。
競合と“協働”を、生成AIの消費電力問題
──12月にGoogleが新たなAIモデル「Gemini(ジェミナイ)」を発表するなど、競合の動きもかなり早いです。マイクロソフトはAIにおいて競合優位性を持っている状況ですが、こうした競合の動きをどのように捉えていますか。
津坂:競合がいるということはマーケットとして健全な状態だと言えます。1社が独占している状態は良くないんですよ。競合他社にも素晴らしい人はたくさんいますし、OpenAIのチームにもGoogle出身の社員はいます。
もちろん、競合他社のAI製品については分析していますし、「この技術は素晴らしいな」、「この部分はまだ勝っているな」と、常に意識しながらプロダクト開発が進められています。
生成AIはとてもお金がかかるテクノロジーです。データセンターがたくさん必要ですし、莫大な量のエネルギーも消費します。誰でも開発できる技術ではないので、業界のトップとして競合他社と切磋琢磨しながら、AIの民主化を広げていきたいと考えています。
一方で、スタートアップにも大きな期待を寄せています。生成AIの代名詞となっているOpenAIは、約750人“しか”いない会社です。当社は日本のスタートアップ500社に対して、無料で製品を提供するなど支援を強化しています。日本発の生成AIスタートアップが活躍することで、日本はさらに元気になると思います。
──競合するだけでなく、協働する動きもあるのでしょうか。
津坂:「責任あるAIの枠組みづくり」に対しては協働の取り組みが必要だと感じています。
国によって、生成AIに対する向き合い方は異なります。ヨーロッパでは規制が厳しく、アメリカでは比較的オープンな姿勢をとっています。
そして今の日本の状況は、ヨーロッパほどではなくても、やや保守的な部分もあります。国・地域ごとに生成AIの規制は異なるので、その国・地域でどのように生成AIを展開していくかということは、1社だけでは決められません。
競合かどうかは問わず、テクノロジー業界が一丸となって、政府を巻き込んで議論を重ねる必要があります。
──生成AIの普及が進むことで、データセンターの消費電力が急増してしまうといった課題もあると思います。
津坂:AI戦略はエネルギー戦略と同時に考えなければ意味がありません。マイクロソフト社としては、 2030年までに二酸化炭素(CO2)排出量を実質ゼロにするネットゼロ宣言をしています。データセンターで使用する電力をすべてグリーンなものにすべく、脱炭素化の取り組みを今まで以上に加速させています。
脱炭素化につなげるテクノロジーも進化し続けています。当社もMicrosoft Igniteで、マイクロソフトのクラウドサービス用に独自設計した初めての半導体、大規模言語モデル(LLM)のトレーニングと推論に最適化したAI Acceleratorチップを発表しました。最先端の技術を搭載しており省電力性と高性能を両立しています。チップの開発をさらに進め、ユニットコストを削減していくことは、業界のミッションです。
また、AIの使い分けをすることも大きなミッションであると捉えています。例えば、現在マイクロソフトが提供している最新のLLMは、OpenAIの「GPT-4.0ターボ」ですが、「今日のお天気はどう?」といった簡単な質問に、GPT-4.0ターボを使わなくてもいいですよね。
ベーシックな用途に対しては旧来型のモデルを。複雑なシステムを構築する際はGPT-4.0ターボを利用する。さらに難しい問題に対しては人間が対応する。ユースケースに合わせてどのテクノロジーをどの程度使うか、ひいてはエネルギーをどれだけ削減するか、こういった棲み分けは今後1年~1年半の間に確立されると考えています。
ユーザーのための副操縦士になる
──「日本のユーザーのためのCopilot(副操縦士)になる」というIgnite Japanでの言葉が印象的でした。今後のマイクロソフトのAI戦略を改めて教えてください。
津坂:Ignite Japanでは、「日本マイクロソフトは“Copilot”として、皆さまの成長を支援します/ Microsoft Japan Will Empower and Copilot Your Growth」という日本へのコミットメントを表明しました。ユーザーのためのCopilotになるために、まずは「AI活用の入口」の部分を支援していきます。オンプレミス環境の企業のクラウド移行を支援し、生成AIがフル活用できる環境構築のお手伝いをしたいと考えています。
その入口の幅を広げるための施策にも注力しています。全国各地の中小企業の経営者層を主なターゲットとした、AI活用推進イベント「Get AI-Ready Japan」がいい例でしょう。
Get AI-Ready Japanは、広島を皮切りに10月から開催しているイベントで、全国8大地方都市 (大阪・名古屋・福岡・札幌・仙台・京都・神戸・広島) にて、Copilot for Microsoft 365といったAI製品を対面で紹介しています。
また、少人数形式のイベントも全国16カ所の「Microsoft Base」にて開催しており、営業だけでなくエンジニアも一緒に回り、「生成AIに興味はあるがどこから手を付けていいのか分からない」、「導入したけども、より使いこなしたい」といったユーザーの声に寄り添っています。対面で説明することで、生成AIの可能性を肌感覚で実感してもらっています。
そういった基礎的なAIの筋トレも支援して入口の幅を広げ、さらに高度な活用をしたいユーザーにも寄り添っていきたいです。ユーザーのCopilotになることで、ユーザーが本来注力すべき業務に時間を割けるようにしていきます。
──最後の質問です。2024年はどのような年にしたいと考えていますか。
津坂:2024年は2023年以上にさらに早いスピードで変化が起きるはずです。Copilotもさらに進化します。テクノロジーの進化に置いてきぼりにされないように、私自身、学びを深めていく年にしたいと思っています。
マイクロソフトにジョインしてからもうすぐで1年が経ちますが、日に日にマイクロソフトへの愛が増しています。プロダクトもそうですし、働いている社員のことも大好きです。ユーザー企業、パートナー企業、そして、これからマイクロソフトに入社してくる未来の社員にもそう思ってもらえるように、社会に対してインパクトを与え続けたいです。