英Clarivate(クラリベイト)は9月19日、近い将来ノーベル賞を受賞する可能性の高い研究者が選出される「クラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞(Clarivate Laureates)」の2023年版を発表した。
同賞は、同社の学術文献引用データベース「Web of Science」のCore Collectionをもとに、論文がどの程度引用され、学術界にインパクトを与えたのかなどを考慮し、ノーベル賞クラスと目される研究者を選出するもの。これまで同賞の受賞者の中から71名が実際にノーベル賞を受賞しており、そのうち4名(山中伸弥氏、中村修二氏、大隅良典氏、本城佑氏)が日本人受賞者となっている。
同賞はノーベル賞の科学系4賞(生理学・医学賞、物理学、化学、経済学)と同じカテゴリで構成されており、2002年以降、毎年9月に発表されてきた。
その選出方法は、2000回以上引用されている学術界に与えた影響が大きい論文(高インパクト論文)といった定量的な要素をベースに、研究への貢献度や他の賞の受賞歴、過去のノーベル賞から予想される注目領域などの定性的要素を含めて検討されるものとなっている。同社によると、引用回数2000回以上という数値は、1970年以降に発表された5800万件以上の論文の8700件程度(0.015%)だという。
同賞は毎年最大36名(各分野3トピック×3名×4分野)が選出されるが、2022年は23名が選出され、その研究者の主要所属学術機関の国別内訳は米国が16名、日本と英国、フランスが各2名、1名がドイツとなっている。
選出された2名の日本人のうち、1名は生理学・医学部門での受賞となり、「睡眠/覚醒の遺伝学的・生理学的研究、および重要な睡眠制御因子としてナルコレプシーの病因にも関与するオレキシンの発見」として筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長/テキサス大学サウスウェスタン医学センター客員教授の柳沢正史氏が表彰された。
もう1名は化学分野の受賞で、「革新的な薬剤および遺伝子のターゲティングおよびデリバリー手法の開発への貢献」として、川崎市産業振興財団副理事長・ナノ医療イノベーションセンターセンター長で東京大学 名誉教授の片岡一則氏が表彰された。
睡眠に関する研究を加速させたオレキシンの発見
生理学・医学部門での受賞となった柳沢氏の研究テーマとなるオレキシンは1998年から1999年にかけて同氏が発見したもので、併せてスタンフォード大学のEmmanuel Mignot氏、ハーバード大学メディカルスクール/ベス・イスラエル・ディーコネス医療センターのClifford B. Saper氏が共同受賞者として名を連ねている。
柳沢氏が発見したオレキシンは、発見当初は脳内にあることは分かったものの、その生理的作用は不明で、初期の研究では食欲に関与しているものと思って調査を進めていたという。しかし、ノックアウトマウスで調べても、食欲も体重も正常で健康そのもので、発見者として何も変化しなかったことに落胆したという。そうした中、マウスは夜行性の生き物であることを思い出し、夜間での調査を行ったところ、脳波や筋電図などから覚醒からレム睡眠に直接移行するという生物としてはあってはいけない現象を確認。ナルコレプシーに似た症状として、さまざまな調査を進めた結果、ナルコレプシーそのものであることを確認。Saper氏を共著者として報告したことを機に、その1-2年後にMignot氏が人間のナルコレプシー患者でもオレキシンの産生細胞が欠如していることを報告。この成果が、今回の受賞につながったという。
現在、ナルコレプシーの病因治療薬として国内外で研究が進められており、日本の武田薬品工業がこの分野の最先端に位置しているという。また、オレキシンは脳内の覚醒を保つために必須であることが分かってきたことを受け、その作用を抑えれば眠くなるということから、オレキシン拮抗薬が不眠症治療薬として2014年に上市されている。既存の睡眠薬と異なるのは、既存薬はすべてGABA受容体作動薬であり、GABA受容体の作用を刺激したり増加させる薬物とされているが、筋弛緩作用などの副作用も指摘されている。しかし、オレキシン拮抗薬は、依存性や耐性がなく、すぐに止めるといったこともできる特徴があるという。
また、近年の研究から、レム睡眠を増やすといった作用や、柳沢氏とは別の研究チームからは少人数対象の1日半という短期間の初期実験ながら、脳脊髄液中のアミロイドβやリン酸化タウタンパク質の減少を確認したという報告も上がっているという。
さらに、近年は睡眠に関わる未知の重要遺伝子の探索に向け、フォワードジェネティクス(順遺伝学)の手法を用いて遺伝性の睡眠覚醒異常があるマウス家系(Sleepyと命名)を発見。原因遺伝子変異をマッピングにより同定し、シナプスで機能するタンパク質群のリン酸化の状態が眠気を引き起こしている可能性を示唆しているほか、脳の部位によって睡眠の質や量が別々にコントロールされていることなども分かってきたとのことで、現在ではこうした研究成果を人に還元するべく、「株式会社S'UIMIN」を設立。睡眠から人の心と身体を健康にする取り組みも推進しているという。
柳沢氏は、受賞に際し、「睡眠の基礎研究の分野がこういう大きな賞を受賞できたことは非常にうれしい。睡眠は社会的関心が高いとは思うが、地味な印象がある研究分野。今回の受賞は、そうした分野の論文の価値が高いものであることを示してくれたもの」と喜びを表現していた。
DDSの技術進歩に貢献したナノオーダーのサイズ制御
一方の科学分野での受賞となった片岡氏の研究テーマはナノ・ドラッグ・デリバリ・システム(ナノDDS)。ノースイースタン大学のVladimir P. Torchilin氏、テキサスA&M大学のKaren L. Wooley氏との共同受賞となっている。DDSは薬を体内のターゲットにだけ届けるための手法の研究であるが、同氏はもともと高分子の研究を行っており、異なる分子をくっつけたブロック共重合体の研究として高度な合成技術の実現を目指していたという。
そうした研究を進める中、これまでにウイルスサイズの大きさの塊にさまざまな機能を集約しつつ、かつ体内で遺物として認識されなくなる手法や、脳関門を突破して脳内に薬剤を届ける手法などもナノDDSとして開発されてきた。「5年生存率が低い膵臓がんを対象にした研究で、がん組織に薬剤を届けるためのミセル型ナノDDSとして、30nmサイズと70nmサイズで比較したところ、30nmの方だけがん組織の深部に到達できることを確認。こうした研究からDDSのサイズを制御する重要性が示されてきた」と、片岡氏はその制御技術の確立の重要性を強調する。
近年は、がんのみならず血中から脳内にアミロイドβ抗体を送り込み、脳内の還元環境に応答して放出するナノDDSを考案。アルツハイマー病モデルマウスを用いた試験では、ナノDDSを活用してアミロイドβ抗体を脳内に送り込むことで、脳内のアミロイドβの数が減少することを報告しているほか、遺伝子や核酸医薬をターゲット部位に送り届ける研究も推進。アンチセンス核酸を脳腫瘍に送りこむマウス治療試験では、脳腫瘍が縮小していく様子や、治療したマウスが100日以上生存可能であることなども確認。メッセンジャーRNAを用いた軟骨変性の抑制による軟骨再生もマウスながら確認したとしている。
片岡氏は受賞に際し、「この研究は研究室の仲間と、多くの臨床系の先生方との共同研究であり、そうした多くの人たちに感謝を示したい」と、1人の力ではなく、多くの人の支えがあったことを強調。今後については「DDSをナノマシンに進化させ、細胞内での人工オルガネラを構築したり、ナノマシンによる遺伝子修復などを経て、できれば老化制御の実現につなげたい」と今後のさらなる研究の発展に意欲を示していた。
クラリベイトによると、柳沢氏、片岡氏、いずれの論文も高い引用率はもとより、幅広い分野に影響を与えており、そうしたことが受賞の要因となったと説明している。
なお、クラリベイト引用栄誉賞はその年のノーベル賞受賞者を予測するものではなく、将来、ノーベル賞を受賞するだけの成果を挙げた研究者に授与されるものであることに注意が必要である。
また、2002年から2023年までの間、引用栄誉賞を受賞した日本人研究者は今回の柳沢氏、片岡氏を含めると、合計で35名(故人含む)となっている。