国立科学博物館(科博)、国立極地研究所(極地研)、九州大学(九大)の3者は3月23日、1902(明治35)年に現在の埼玉県越谷市に落下した4.05kgの隕石を分析した結果、分類を「L4普通コンドライト(球粒隕石)」と確定し、国際隕石学会に「越谷隕石(Koshigaya)」として登録されたことを共同で発表した。
同成果は、科博 理工学研究部の米田成一部長、極地研 地圏研究グループの山口亮准教授(同・極域科学資源センター 南極隕石ラボラトリー キュレーター兼任)、九大大学院 理学研究院 地球惑星科学部門の岡崎隆司准教授らの共同研究チームによるもの。
1902年3月8日の明け方、火山の噴火したような音が響いた後、埼玉県南埼玉郡桜井村大字大里(現在の越谷市)の中村喜八氏の田畑に大きな穴ができ、1m余りの底から隕石が発見された(東京朝日新聞 明治35年4月25日付け記事)とされる。回収された隕石は1個で、その重量は4.05kgだった。
同隕石は中村家に長年保管されてきたが、2021年に越谷市郷土研究会を通じて科博に成分分析の依頼があった。そしてガンマ線測定の結果、宇宙線により生成する放射性核種(宇宙線生成核種)で、半減期約70万年のアルミニウム-26(26Al)が検出され、隕石であることが確認された。
また、同じく宇宙線生成核種で半減期が約2.6年のナトリウム-22(22Na)は検出されず、落下してから22Naが壊変しつくしてしまう程度の期間、少なくとも数十年前に落下した隕石であることもわかり、落下日の記録と整合的であることが確認されたとしている。
極地研では、同隕石から保存・分析用試料約120gが切り取られ、そのうち約2gの小片から研磨薄片と電子顕微鏡用試料の作製が行われた。光学顕微鏡や電子顕微鏡による隕石組織の観察と鉱物組成の分析を行った結果、かんらん石、輝石などから、越谷隕石は普通コンドライト(球粒隕石)に分類された。
普通コンドライトにはH、L、LLの3つの化学的グループがあり、詳細な鉱物組成から同隕石はLグループであることが判明。また、隕石組織の観察で比較的よく球粒組織が残って見られることから、岩石学的タイプは4であることが確認された(この組み合わせは「L4コンドライト」と呼ばれる)。Lグループはコンドライトで最多のグループだが、L4はその中で1割弱程度と少なく、1882年に日本に落下した「福富隕石」がL4とL5の混合タイプであること以外、その例は知られていないという。なお、このタイプの隕石は小惑星が起源だとした。
そして、上述の分析結果を添えたうえで、この隕石の名称を「越谷隕石(Koshigaya)」とするため、国際隕石学会への登録申請が行われた。隕石の名称は落下地にちなんだものを付けることとされていることから、現在の地名である越谷市から取られた。その後、学会の命名委員会において審査・投票が行われ、2月16日付けで承認、2月23日には学会の隕石データベースに登録された。
なお現在は、九大において貴ガス(アルゴンなど)の分析が進められている最中だ。また今後、科博において「科博NEWS展示」として、隕石の一部を公開予定とした。