コロナ禍やロシアによるウクライナへの軍事侵攻により私たちの日常は大きな変化を遂げた。

特にメーカーにとっては、物資の輸出量の激減による価格高騰やステイホーム期間の趣向の変化など、さまざまな面で「需要と供給」が読みにくい2年間だったのではないだろうか。

そんな中、自社で「需要予測AI」を開発し、需要特性が異なり品目数も多い「酒類」というカテゴリーでのAIの本格実用に成功した企業がある。

今回は、需要予測AIの開発・改善を行ったサントリーシステムテクノロジーの野島達也氏、中川愛子氏と、AIを実際に導入し業務適用に向けて現場の意識改革や組織作りに注力したサントリー スピリッツカンパニー ロジスティクス部のズー・シンチョ―氏に話を聞いた。

  • 左から、サントリーシステムテクノロジー 野島達也氏、ズー・シンチョ―氏、中川愛子氏

日々変わる情勢に合わせて「変化対応業務」にシフトする必要があった

サントリーと言えば、日本人なら誰もが知っている大手飲料メーカーだが、組織内にはさまざまな事業があり、また担当している会社が分かれていることをご存知だろうか。

今回、需要予測AIを導入したサントリ スピリッツカンパニーは、「山崎」「知多」などのウイスキーをはじめ、「ほろよい」「トリスハイボール」「翠(SUI)」などの缶チューハイやリキュールなどの幅広い酒類事業を展開している。

  • サントリー スピリッツカンパニーが展開する酒類の例

その中でもズー氏が所属しているロジスティクス部では、「お客様への商品を安定供給し、適正在庫管理と物流費・処分損コスト改善を実現することで、経営戦略・事業戦略を実行する」というミッションを掲げ、「全体最適」を目指して日々働いているという。

  • サントリーの物流現場

「全体最適」とは、顧客(最終消費者・流通業者)へ全製品を確実に供給する「安定供給」、多すぎず少なすぎないバランスのとれた在庫水準維持、予算編成、実績管理を行う「適正在庫管理」、PL(損益計算書)項目のうち物流費と処分損のコスト抑制、最適な物流の確保を行う「コスト改善」の3つを実現し、事業に貢献することを指している。

「サントリー スピリッツカンパニーのロジスティクス部は、製造・営業とコミュニケーションを取ってお客様に確実に商品をお届けする、サプライチェーンの上流と下流をつなぎ合わせる部署です」(ズー氏)

  • ロジスティクス部での業務内容を語るズー氏

そんなサントリーの展開する酒類の需要と供給のバランスを司る部署とも言えるロジスティクス部は、「ルーティンワーク以外に時間を割く必要がある」という課題を抱えていたそうだ。

「日々変化していく世の中に対応するためには、ルーティンの需要と供給の予測業務(需給業務)から『変化対応業務』にシフトチェンジしていく必要性があると考えていました。直近の例で言えば、コロナ禍になり、街のレストランや居酒屋が時短営業を強いられ酒類の提供に制限がかかった一方で、ステイホーム期間に家庭内での酒類の消費は大幅に増えました。また、2020年10月に酒税法が改正されたことや弊社のスピリッツ事業の成長による品目数の増加なども、ロジスティクス部にとっては大きな出来事でした」(ズー氏)

若手が部署の架け橋、グループを横断したプロジェクトチーム結成

この「需給業務の質は落とさず、工数は削減し、変化対応業務にシフトチェンジしたい」という課題解決に向け立ち上がったのが、国内外に多くのグループ会社を抱えるサントリーグループのITサービスを一手に担っているサントリーシステムテクノロジーだ。

「AIによる需給予測はよくトライされているテーマですが、AIも予測が100%当たることはないという側面から業務適用が難しいところがあります。需給予測を読み間違えると無駄な在庫が増え、コストの悪化や欠品によってお得意先さまやお客様の信頼を失ってしまうからです。『絶対に外してはいけない』『完全に根拠が明確でないといけない』という制約があれば、AI導入は難易度が高いと言えます。そのため、AI導入するには業務の工夫や担当者の理解が必要不可欠でした」(中川氏)

  • 需要予測AIの活用について語る中川氏

こうしたAIの特性から、さまざまな企業が需要予測分野でAIの実用を検討しているものの、本格実用まで進んでいないのが現状だ。

またズー氏曰く、同社プロジェクトにおいては、需要予測とAIの親和性以外にも解決しなくてはいけない課題が残されていたという。

「ロジスティクス部は、数字に責任を持っています。個々の製品に対してできる限り正確な予測が求められる業務内容のため、AIの不確実性や現業のやり方を変えることに対して不安の声も上がっていました」(ズー氏)

そこで行き着いたのが、AIソフトを購入して需要予測を行うのではなく、グループ内のシステム開発部門であるサントリーシステムテクノロジーとサントリー スピリッツカンパニー ロジスティクス部が手を取り合って、業務変革を見据えたシステム開発を一から構築するというプロジェクトチームの形だったという。

「グループ内でプロジェクトチームを組むメリットは、ともにサントリーの成長が共通のゴールとして活動できることです。お互いの想いや立場を主張しながら議論を重ねることで、システムの機能面だけではなく業務側の変革も推進することができました」(中川氏)

今回、話を聞いたズー氏と中川氏は同期入社の間柄だそうで、それぞれの部署をつなぐ架け橋として意見を交換するほか、潤滑油として部署を引っ張るキーパーソンとして活躍しているそうだ。

AIに頼り切らない組織作り

人の手でデータ収集していた情報を見える化し、工数のかかるデータ分析をAIで補うため、出荷データやスーパー・業務店の販売データ、気温、CM投入量などさまざまなサントリー内にあるデータを読み込ませ、最適な需要予測を行うものを開発したという。

需要予測の開発において重要だったのは、このAIの開発だけでなく「予測を補完するシステム」の構築だったという。

「予測結果に対して、差異は必ず生じるものです。計画の変化に対するアクションを行える補完システムの開発を行うことで、予測が当たらなかった時にどうするのかまで考えられた仕組みを構築することに成功しました」(中川氏)

この補完システムは、販売の変化に対する製造計画ワーニングや配置ワーニングなどの仕組みを準備しておくことで、予測が当たらなかった時に備えるというものだ。

今回の話を聞いて筆者は、「AIが外れるかもしれない」ことを意識した導入の仕組みを取っているということに驚いた。

「『AIを導入すること』イコール『AIに頼り切ること』ではありません。AIは不確実性のある未来を正確には予測しれきれません。そのため『AIがないと何もできない』という状況になってはいけないのです。今回のAI導入の1番のポイントは、『AIを導入する』ことではなく、AIを活用しながら業務の効率化を行い、予測が当たらない時に効率的に予測ができる組織改革を行うことにあったと思います」(ズー氏)

最後にズー氏と中川氏に、それぞれの部としての今後の展望を聞いた。

「間違いがあってはいけない部署ということで、今まで革新的な改革をすることに躊躇することもあったロジスティクス部ですが、今回のAI導入をきっかけとしてもっと新しいことにチャレンジしていきたいと考えています。しかし、ただ新しいことに飛びつくというわけではなく、『広い視野を持つ』ことが今後のロジスティクス部に必要なことだと思っているので、その意識を忘れることなく働いていきたいです」(ズー氏)

「今回のロジスティクス部への導入を成功事例として、自動販売機や営業部門などさまざまな事業に対してAIを選択肢のひとつとして導入を考えていけたらと思っています。また予測だけでなく、工場の異常検知などの場面での活用にも貢献していきたいです。今回の導入で現場の納得感が大切だということが分かったので、それを忘れずサントリーグループ全体のITを担う使命感を持って働いていきたいです」(中川氏)