いまから35年前の1987年5月15日、ソビエト連邦(ソ連)は巨大ロケット「エネールギヤ」の初打ち上げに成功した。

その側面には、黒くて長い、禍々しい形状の宇宙機が、外にむき出しの状態で搭載されていた。その名は「ポーリュス(Polyus)」。天体の極を意味する名前とは裏腹に、米国の軍事衛星をレーザー砲で迎撃することを目指し生み出されたものだった。

しかし、ポーリュスは打ち上げ直後に大気圏に再突入し、幸いにもその真価が発揮されることはなかった。そして、その運命をめぐってはいまなおさまざまな説が飛び交っている。

ポーリュスとはどんな宇宙機だったのか、そして打ち上げでいったい何が起きたのだろうか。

  • 側面にポーリュスを積み、打ち上げを待つエネールギヤ・ロケット

    側面にポーリュスを積み、打ち上げを待つエネールギヤ・ロケット (C) NPO Molniya

ポーリュスとは?

ポーリュスの開発の発端は、1985年7月にさかのぼる。このころ、ソ連の宇宙開発の中心的存在だった科学生産合同(NPO)エネールギヤでは、新型ロケット「エネールギヤ」の開発を進めていた。

エネールギヤは、ソ連版スペースシャトルとも呼ばれる有翼の宇宙往還機「ブラーン」を打ち上げるための巨大ロケットで、地球低軌道に約100tもの強大な打ち上げ能力をもっていた。ロケットエンジンの鬼才、ヴァレンティーン・グルシュコーをはじめ、当時のソ連宇宙開発の技術力を結集させたロケットだった。

そんな中、宇宙ステーション「サリュート」などの開発を手掛けていたサリュート設計局は、エネールギヤの最初に打ち上げに搭載するためのダミー衛星「GVM」を開発することになった。エネールギヤの初飛行にいきなりブラーンを搭載することはリスクがあり、またそもそもブラーンの開発が遅れていたこともあり、ブラーンに近い寸法、質量をもった模型を搭載することにしたのである。

質量100tとはいえ、単なる模型であれば造るのは難しくなかった。しかし、1985年7月に突如、ソ連一般機械製作省は「宇宙実験を行える宇宙船に改造せよ」との指令を出す。その新しい指令の下、ポーリュスには大型宇宙機の宇宙での動作検証のための温度や電力の制御システムの試験、また電離層における地球物理学実験など、計10個の実験機器が搭載されることになったほか、軌道変更のためのスラスター、太陽電池なども搭載されることになった。

かくして1987年5月15日、地球物理学実験を行うためのポーリュスを積み、エネールギヤが打ち上げられた――というのが、1990年代までロシアが公式に話していた歴史だった。

しかし、かねてよりポーリュスには「レーザー砲衛星の試験機」というもうひとつの顔があると言われていた。そして2005年ごろから、ロシアも公式にそれを認めるようになった。

  • 打ち上げを待つエネールギヤ・ロケットと有翼宇宙往還機ブラーン

    打ち上げを待つエネールギヤ・ロケットと有翼宇宙往還機ブラーン。ポーリュスはこのための試験機として造られたが…… (C) NPO Molniya

レーザー砲を搭載した宇宙ステーション「スキーフ」

宇宙の軍事利用は、宇宙開発の黎明期から大きな目的のひとつだった。有人宇宙飛行や月・火星探査といった華々しい宇宙開発の裏で、軍事衛星の開発、打ち上げも粛々と進められた。むしろ、打ち上げられた衛星の数やその予算規模からすれば、軍事利用こそ宇宙開発の主役であるといえるかもしれない。

当初こそ、敵の軍事基地などをスパイする偵察衛星から始まったが、1950年代には早くも敵の軍事衛星を迎撃するための衛星攻撃兵器の研究が始まった。ソ連では1961年に、「イストリビーチェリ・スプートニク(戦闘型衛星)」、略して「IS」と呼ばれる、敵の衛星の近くで自爆し、発生した破片をぶつけて破壊する衛星の開発がスタートし、1968年10月20日には模擬標的の迎撃試験に成功している。

並行して1970年代には、宇宙ステーションから、ミサイルの弾頭のような迎撃体(キネティック弾頭)やレーザーを発射する、戦闘型宇宙ステーションの研究が始まり、そして1981年には、「スキーフ」と呼ばれるレーザー砲を積んだ宇宙ステーションの開発が始まった。輸送機を使った空中でのレーザー発射実験が繰り返し行われたほか、1983年には米国が「戦略防衛構想」、別名「スター・ウォーズ計画」を発表。多数の衛星からミサイルやレーザーを発射してソ連の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を迎撃すると謳ったこともあり、その対抗策としてスキーフには多くの期待が寄せられた。

その開発の主体となったのはサリュート設計局だった。そして同社は、試験機「スキーフD」の開発に着手する。

その傍らで、エネールギヤ用のダミー衛星の開発も進めており、そして前述のように、このダミー衛星は宇宙実験が行えるポーリュスの開発へと計画が変更された。

それを好機と見たソ連当局は、このポーリュスに、スキーフDの技術実証機としての役割をもたせることを決定。かくして、ポーリュスは宇宙実験とレーザー砲の試験を行う宇宙機、別名「スキーフDM」として開発されることになったのである。

通常、新しい宇宙機の開発や製造、試験には、少なくとも5年がかかる。しかし、このとき設定された打ち上げ目標は1986年の秋、つまり約1年しかなかった。そこでサリュート設計局は、過去に開発した宇宙ステーションのモジュールの設計や、打ち上げを待つ他の衛星の装置など、手元にあるさまざまな設計図や部品を活用し、組み立てることになった。

このためポーリュスは、サリュート宇宙ステーションや、同ステーションに物資を補給するために開発されていたTKS宇宙船、宇宙ステーション「ミール」、開発中のブラーン宇宙船の要素、そしてサリュートやミールのモジュールなどを打ち上げていた「プロトンK」ロケットの設計や部品を寄せ集めるようにして造られている。

もっとも、肝心のレーザー砲については開発が間に合わなかったことから搭載はされなかった。ただ、誘導用の低出力レーザーやレーダーアンテナ、光学センサー、射撃試験で使う放出型のターゲットなど、将来の実用化に向け、レーザー砲本体以外の装備はほぼ搭載されていた。

こうして完成したポーリュスは、全長約37m、直径4.1m、質量約80tという、この当時としては世界最大の、そして最も忌まわしい宇宙機となった。

  • 打ち上げ準備中のエネールギヤとポーリュス

    打ち上げ準備中のエネールギヤとポーリュス (C) NPO Molniya