三菱電機は、2022年1月26日に博士研究員(ポストドクター)を対象に三菱電機の研究所の研究員と協働して、最長3年の研究開発に取り組む「共創型 リサーチアソシエイト採用制度」の新設を発表した。
同社が発表したプレスリリースによれば「民間企業である三菱電機の研究所で、当社研究員と協働して研究開発に最長3年間取り組む制度で、ポストドクターが専門性を活かして自主的に研究を進められるほか、事業を通じて社会課題を解決する研究開発に取り組む経験を積むことができる」とある。
同制度を発表した際には、期限付きというポストにさまざまな意見があがったほか、ポストドクターの新たなキャリア形成につながるのではないかという期待の声も見られた。
そこで、同制度の発起人である同社開発本部 役員技監の松井充氏と、人事制度の整備を行った開発本部 開発業務部 業務グループの木谷怜二氏に、今回の取り組みに至った経緯を聞いた。
松井氏は、京都大学大学院理学研究科数学専攻修士課程を卒業後、三菱電機に入社。暗号の研究者であり、暗号アルゴリズム「MISTY」の開発者として知られる。
企業の研究者としてどのような課題感があり、制度の策定に至ったのかを中心に待遇や入社後どのような研究を行うのかなどについて話を伺った。
似て非なる企業とアカデミアの研究者、期待される異文化交流が生み出す新たな変化
-- リサーチアソシエイト採用制度を新設した背景を教えてください。
松井氏:この制度の対象はポスドクの方で、将来の研究者を目指されている方です。私が同制度で実現したかったことは、ポスドクのキャリアにも三菱電機の研究者にもメリットがあるということです。そういったことを人事に相談して同制度を新設しました。
企業の中で行う研究は“技術で解決できる課題を探す”ということが多く、そういった研究は、企業に来て初めて見えるものかと思います。そういった研究の経験は、ポスドクのその後の研究につながる価値があるのではないかと考えていました。
そして、企業の研究者に関しても、企業内にいるとどうしても内向きになってしまうため、アカデミアの研究者との交流が刺激になるのではないかと考えていました。
両者にとってメリットがある環境を作りたいと、同制度を立ち上げました。
そのため、同制度は基本的にはアカデミアで研究者を目指している方が対象で、三菱電機で経験を積んだ後は、大学に戻るという方を想定しており、企業での経験がご自分の研究に生かせると考えている方、民間で研究経験を持ちたいと考えている方に来ていただけたらと思っております。
-- 「企業での経験が将来の研究に役に立つのではないか」と思われたのは、ご自身の経験からでしょうか。
松井氏:私は暗号が専門なので、その範囲での話になってしまいますが、例えば暗号で言うと、研究者が求めるのは“安全な暗号”です。要するに解読できない暗号です。
しかし、実際に暗号を使うユーザーが求めているのは“安心な暗号”です。この“安心”と“安全”の間にはかなり距離があります。
ユーザーが求める“安心”というのはとても広い意味を持ちます。例えば、なにかあっても保険がある設計になっているとか、ルールさえ守っていればインシデントがあっても自分の責任にならない機構になっているなどです。
“安心”の中に“安全”という技術的な要素があり、“安全”だけでない、さまざまな要素が“安心”の中にあり、ユーザーが求める“安心”まで到達しなければ使ってもらえません。
技術開発だけで終わらない製品化までの道のりは、企業にいないとなかなかわからないと思います。
企業目線で、“みんなに使ってもらうにはどうすればよいか”ということを考える経験は、ポスドクの方の今後の研究にきっと役に立つのではないかと考えていました。
そして、企業内で止まってしまっているみんなに使ってもらうにはどうしたらいいのかという課題を、アカデミアとともに考えることができたらもっと世間に暗号を使ってもらうことができるのではないかという想いがずっとありました。
アカデミアと企業の研究者がディスカッションして、社会に役立てるようなものを作りたいという考えがずっとあったんですね。
狙いは採用ではなく、企業による人材育成支援
-- 松井氏から相談を受けた際、人事側ではどのように思ったのでしょうか。
木谷氏:同制度については松井さんから相談を持ち掛けられたというのもあるのですが、私自身、長年人事として採用に携わっている中で、新卒採用がどんどん早期化しているという点に課題感を持っていました。
大学1年生からインターンに行くなど、採用の青田刈り化が進んでいると感じています。
インターンや就職活動を優先させると、大学で学ぶという機会がどんどん失われ、大学教育のレベルを維持できるのかという危機感を感じていました。
企業にとっては、インターン生などは即戦力なのでメリットがあるのですが、大学教育のレベルが下がったとしたら、人材のレベルも相対的に下がっていくのではないかとも感じていました。
松井さんからリサーチアソシエイト採用制度の構想を聞いた際に、企業で研究した経験を持つ方がまた大学に戻り、その経験を活かして教員を務めるとなると、大学教育に間接的に貢献できるのではないかと考えました。
青田育成をしないと、今後企業もいい人材を取っていけないと考えています。
そして、三菱電機で研究を経験した教員に習った生徒が“技術をやるなら三菱電機”という風に思ってくれれば、遠回しになりますが、採用プレゼンスを上げることにもつながると考えています。
自分の研究テーマを企業で行うという新たな試みから見えた三菱電機の本気度
-- 「共創型 リサーチアソシエイト採用制度」は三菱電機の採用制度ではどのような位置づけになるのでしょうか。
松井氏:この制度というのは、今の三菱電機の採用制度の仕組みを変えるものではなく、研究所としてプラスで採用を行うというものです。したがって、この制度ができたから従来の採用枠を減らすというものではありません。
そのうえで、入社後の仕事そのものが正社員とは異なったものになっています。
正社員の研究者の仕事は、50%が自主的な研究で、残りの50%が事業部門から依頼された研究を行う形です。
依頼研究を行うというのは、企業の研究員の非常に大きな特徴で、そのためか研究員も事業のことをよく知っています。そして、自主研究とは異なり、事業部からの依頼は短期の成果が求められるものです。
しかし、リサーチアソシエイト採用制度で採用された研究員は、事業部依頼の研究はしなくてもかまわないという形にしています。
本人が“将来に役に立つからやりたい”という場合はやってもいいのですが、仕事だからこの研究をやってくれということがないようにしています。
ポスドクは、基本的には自分の研究テーマを持っています。
リサーチアソシエイト採用制度は言い方を変えれば、お給料を出すので、自分の研究を続けてもらいながら、三菱電機の研究員と一緒になにかしらの取り組みも行ってくださいといったような制度です。
ポスドクのような自分の研究テーマを持っている方々と三菱電機の研究員がともに研究に取り組めるような環境を作ることで、新たな共創の機会を創出できたらと思い、制度にも“共創”という言葉を入れました。
木谷氏:待遇面ですが、給与は、博士卒の初任給を最低基準として、経験や業績で個別に決定します。基本的には嘱託社員としての待遇となります。入社後は、全社員と同じく三菱電機で取り入れている“役割・価値”に基づく評価で処遇を決めます。リサーチアソシエイト採用制度は1年ごとの契約更新となりますが、評価に基づき1年単位で賃金なども見直します。
最長3年の制度ですが、もし、そのまま三菱電機で働きたいと考えていただけるようでしたら、当社は経験者採用を行っていますので、そちらの選考を受けていただく形となります。
-- リサーチアソシエイト採用制度の展望についてお伺いできたらと思います。
松井氏:まだ受け入れが始まっていない(取材日は2022年2月15日)ので、なんとも言えないところもありますが、実際に研究が始まるといろいろ課題などが見えてくると思います。
例えば、外部研究者からみた三菱電機の研究所というものが見えてくると考えています。今まで我々が気づかなかった課題が見えてきて、それが我々の研究の効率化にもつながり、研究成果にも結び付くと考えています。そういった外部での経験がポスドクの方のキャリアにプラスになることも期待したいです。
木谷氏:リサーチアソシエイト採用制度で入社された方が大学や研究機関に戻って活躍されることを期待しています。そして、この制度が日本の教育界に貢献できるものになればいいなと思っており、それがひいては当社が優秀な人材を採用できるということにもつながっていくと思っています。
松井氏:まずは、ポスドクの方に三菱電機に来てよかったといってもらわなくてはならないので、そのための施策をいろいろ考えていかなくては思っています。
木谷氏:大学などに戻ることは想定しつつ、3年後にやっぱり三菱電機で働きたいと思ってもらえたらそれはそれで嬉しいのですが、そこを目的にしてしまうと、中途採用と同じ制度になってしまうので、中途採用とは違う目的で同制度を運用していきます。ですが、やっぱり三菱電機で働きたいと言ってもらえたら嬉しいなという想いもありますね。同制度を運用していく中でどのような声があがるか、楽しみな部分でもあります。
取材を終えて
同制度は、最短で4月1日から勤務開始となる予定だが、定員は若干名としており、その後も随時受け入れを行っていく予定だという。
依頼研究を義務としないなど、従来とは異なる新しい制度を開始した三菱電機。
元来、研究者を志す人の多くは大学に残ることを選択するため、企業に勤めるという経験をする人は少ない。
そういった意味では、企業に属して研究を行う、というこれまでにない経験を持った研究者が大学に戻り、教員として若い世代にその経験を伝えることができるようになることは、天然資源に乏しく、人的資源を活用していくことが求められる日本にとって、非常に重要な意味を持つと感じた。
また、同制度によってアカデミアの研究者が企業の研究者という、一見して似ているようで、異なる文化と交流することで、自身の研究テーマを捉える視野も広がるのではないかと思う。
このような大きな可能性を持つ同制度が、ポスドクの新たなキャリアパスや、企業とアカデミアの共創の機会創出へと結びつくものとなりえるのか、今後も注目していきたい。