ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のなか、ウクライナのクレバ外務大臣は2022年2月27日、世界最大の航空機のひとつであるアントーノウAn-225「ムリーヤ」が、ロシアによって破壊された可能性があると発表した。
同機を運用するアントーノウなどは「専門家による調査を行うまで、機体の状態について発表できない」とし、断定を避けた。
An-225はその大きな輸送能力で、規格外の貨物や、大量の救援物資の輸送などで活躍。機体の状態や修理の可否によっては、今後の世界の物流などに影響が出る可能性もある。
An-225破壊か?
ウクライナの防衛大手ウクロボロンプロムによると、ロシアによる侵攻が始まった2月24日の時点で、An-225はウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊の、キーウ州ホストーメリにあるアントーノウ空港に駐機していたという。
また、An-225を運用するアントーノウ航空によると、侵攻を受けて24日中に避難する指令が出されたものの、エンジンの1つが修理のために解体されており、離陸することができなかったとしている。
そして2月27日、クレバ外務大臣はTwitterを通じ「An-225が、ロシアによって破壊された可能性があります」と発表。アントーノウ空港ではロシアとウクライナによる交戦があったと報じられており、同空港が攻撃を受ける画像や映像なども出回っている。
ただ、ウクロボロンプロムは「現在(27日)、同空港はロシア軍が占拠しており、機体への立ち入りができないため、機体の状態や修復の可能性、費用について評価することは不可能です」とし、「破壊」が事実かどうか、あるいはどの程度のものなのかについては断定は避けている。
またアントーノウも、「現時点では、機体の技術的な状態について発表できることはありません。専門家による調査が必要です。今後の正式発表をお待ちください」としている。
An-225とは?
アントーノウAn-225は、ウクライナの航空機メーカー、アントーノウが開発、製造し、その傘下のアントーノウ航空が運用している輸送機である。同型機はなく、世界に1機しか存在しない。
愛称は「ムリーヤ(Mriya)」で、ウクライナ語で「夢」を意味する。この「夢」とは、睡眠時に見るもののことではなく、「想像、空想、願望」といったほうの意味である。
長さは84m、高さは18.2m、主翼の長さは88.4m。計6発のエンジン、32個もの車輪をもつムカデのような着陸脚など、独特の姿かたちをしている。最大離陸重量は約640.0t、最大ペイロードは253.8tの記録をもち、その大きさや輸送能力から、世界最大の航空機として知られる。
もっとも、主翼の長さだけでいえば、かつて米国の実業家ハワード・ヒューズが開発したH-4「ハーキュリーズ」が97.5m、米国の宇宙企業ストラトローンチが開発中の「ストラトローンチ(ロック)」が117mと、An-225よりも上回っていることもあり、厳密には世界最大の航空機“のひとつ”と呼ばれることもある。ただ、H-4は開発が頓挫し、ロックもまだ試験飛行の段階であるため、運用されている“実用機”としては間違いなく世界最大であり、なにより最大離陸重量については他の追随を許さない。
これほど巨大な航空機が開発された背景には、ソビエト連邦(ソ連)のスペースシャトル計画の存在があった。
ソ連は1974年、当時米国が開発を進めていた宇宙往還機スペースシャトルに対抗し、ほぼ同じ能力をもった「ブラーン」の開発を決定した。
開発が進むなかで、約60tもあるその機体を、工場や発射場、着陸場の間を行き来させるための手段が求められた。そして1977年にブラーンを運ぶための航空機の開発が決定。アントーノウの前身であるアントーノウ(アントノフ)設計局が担当することになった(なお、開発が遅れたため、別の設計局がVM-T「アトラーント」という別の機体を開発している)。
当初は「400М」というコードネームで呼ばれていたが、最終的にAn-225、愛称ムリーヤと命名。そして1988年12月20日、初飛行に成功した。1989年3月22日には156.3tの貨物を積んで飛行し、110個にも及ぶ当時の世界記録を樹立した。
1989年には、もともとの目的であるブラーンを積んだ飛行も実施。同年6月にはパリ航空ショーにブラーンを積んだ状態で飛来し、デモ飛行を見せつけた。
しかし、ブラーンは1988年に一度無人で宇宙を飛んだきりで、計画は頓挫。1990年には110tあるブルドーザーとその付属品を運ぶ任務をこなし、超重量の貨物を運ぶ輸送機として新たな活路が見出されたが、1991年にはソ連が解体。An-225の2号機の製造も進んでいたが、途中で打ち切りとなり、1号機も長らく幽閉されることとなる。
1990年代には、欧州などと共同で宇宙船やロケットの空中発射母機として活用する検討も行われたが、頓挫。最終的にAn-225の1号機がふたたび日の目を見たのは、最後の飛行から7年後のことで、飛行再開に向けてオーバーホール(徹底的な点検、修理、部品交換)を受けたのち、2001年5月7日に空へ舞い戻った。
その後、An-225はパイプライン敷設装置や風力発電のタービンブレード、発電所の発電機など、通常の輸送機などでは運べないような規格外の大型貨物を輸送できる唯一無二の存在として活躍。とくに2001年には、4輌の戦車を積み、総ペイロード253.82tで飛行。2009年には、単一のものとして世界最大となる189.98tのペイロードを積んで飛行するなど、数々の世界記録を打ち立てている。
また、貨物や物資の大量輸送でも活用され、災害時などに活躍。日本にも2011年に東日本大震災の復興支援物資の輸送や、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けた医療物資の輸送の道中などで飛来している。
An-225は決して需要が多いわけではないが、しかしAn-225でしか運べない、あるいは利用を念頭に置いた貨物の需要は確実に存在する。もし、An-225が破壊されたとなると、輸送方法の見直しなどにより、世界の物流や災害時の対応に影響が出ることは免れない。
修理が可能な場合、あるいは無傷だったとしても、運航が再開できるめどが立っていない以上、当面は影響が出ることになる。
なお、未完成の2号機に関しては、たびたびアントーノウが製造を再開するという話や、また近年では中国企業への技術移転、ライセンス生産といった話が出ることもあるが、現時点でいずれも具体的な動きはみられない。
参考文献
・ANTONOV Company さん (@AntonovCompany) / Twitter
・Updated information about our “Mriya”
・AN-225 "MRIYA"
・NPO MOLNIYA