2020年7月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)から、「Space Life Story Book」という資料が発表された。
この資料は、宇宙飛行士の声を基に宇宙生活での困りごとをまとめたものだ。
例えば「閉鎖環境のため自然や季節が恋しくなる」といったメンタルヘルスの課題から「水が貴重なため、シャワーがなく、サッパリ感が得られない」「無重力空間のため、モノをなくしやすい」といった日常生活に関わるものまでが記載されている。
JAXAは、この資料にまとめられた課題解決のためのアイデアを「宇宙生活/地上生活に共通する課題テーマ・解決策のアイデア募集」という形で募り、9件のテーマが採択された。
採択されたテーマの中には花王が提案した、衣類の汚れやニオイを除去する宇宙用衣類清浄シート「Space Laundry Sheet(スペースランドリーシート)」と、頭皮や髪の汚れを拭きとれる宇宙用洗髪シート「3D Space Shampoo Sheet(スリーディースペースシャンプーシート)」の2つのテーマが採用されている。
実は花王の採用テーマ以外にも、採択された9件のテーマには歯磨きや入浴関連のテーマが多く含まれている。
宇宙では水が大変貴重なため、宇宙飛行士が滞在する国際宇宙ステーション(ISS)にはシャワーなどが設置されておらず、入浴や洗濯ができないために臭いが気になるといった課題が数多く寄せられていたのだ。
宇宙ではアルコールの使用に制限が!
従来でも宇宙空間で水を使用しないドライシャンプーが使われていた。地肌を少量の飲用水で濡らし、ドライシャンプーを髪に塗布し、塗り広げてタオルでふき取るという工程だ。髪の長い女性などは、塗り広げる工程やふき取る工程に時間がかかっていたという。
今回花王が開発した「3D Space Shampoo Sheet」は凹凸のある不織布に洗浄液をしみこませており、頭皮をマッサージしながら使用することで、頭皮や根元の汚れが拭き取れ、さらに、クシのように髪をといて使用することもできる。
タオルでふき取る工程などがいらず、簡便に使用できるのが特徴だという。
3D Space Shampoo Sheetが皮脂を落とすメカニズムは以下だ。普段のシャンプーは界面活性剤の作用により、皮脂を大量の水に分散させて落とすというメカニズムだが、今回は水を使用できないため、皮脂をほぐしふき取りやすくする含浸液の働きにより、シートで皮脂をふき取って落としていくという仕様だ。
また、地上で使用されているボディシートやシャンプーには、洗浄成分や品質担保を目的にアルコールが配合されていることも多い。実際に花王がすでに展開している洗髪シート「メリット 水のいらないシャンプーシート」でも洗浄成分としてアルコールを使用しているという。
しかし、ISSでは廃棄物管理や給水などを行う「環境制御・生命維持システム(ECLSS)」にアルコールが悪影響を及ぼすため使用に制限があり、アルコールフリーの製品を開発する必要があった。
そのため、アルコールを使用せずに洗浄力を保つための研究を行い、爽快感を出すために花王の香りを開発するグループにも協力してもらい、爽快感のある香りに設計したという。
3D Space Shampoo Sheetを開発する際に取得した宇宙飛行士からのアンケートでは「頭皮の汚れが取れた感じがする」「洗髪とマッサージが一緒にできるのは時短になり、効率的」「運動後、短時間でリフレッシュするには効果的」といった声が寄せられたという。
また、実際の頭皮ではないが、モデル皮脂を用いて、従来使用のドライシャンプーと比較し、同等の皮脂除去率のポテンシャルがあるとしている。
花王ヘアケア研究所の吉田寛氏によれば「今回の開発を踏まえて、水のいらない洗髪方法も参考にしながら、水の少ない環境など、いつでもだれでも髪と頭皮を清潔に保てるような製品を提供していきたい」と今後の展望を語ってくれた。
花王の“汗臭原因菌”研究も開発のかてに
また、宇宙では“衣類の洗濯”も地上のように水を使ってはできない。そのため、同じ衣服を長時間連続で着用するほかなく、「下着のにおいが気になる」や「清潔感、爽快感がなくなってくる」といった声が宇宙飛行士から寄せられていたという。
花王ではすでに水を必要とせず、衣服を洗浄するシートの海外での発売経験がある。この衣類用洗浄シートの技術を宇宙用へ転用しようとしたが、前出のようにアルコールを使用することができないという課題があった。
花王ハウスホールド研究所の北川康太氏によれば「アルコールを使用しなくても、成分が分離しないように、これまで洗剤開発で培ってきた界面制御技術を用いた」という。 また、宇宙飛行士から“臭い”についての課題が多く寄せられたため、臭い(汗臭)を抑えることに注力した処方を行ったという。花王はこれまで汗臭を発生させる菌の特定やその菌に特化して抗菌、殺菌する技術(微生物制御技術)を持っている。
その技術を活用し、汗臭原因菌への効果や消臭、防臭性能、洗浄性能などを検証したという。
開発品を宇宙飛行士に評価してもらった結果、「洗うというオプションが現在まったくないので大きな進歩」や「思っていた以上に汚れが落ちた」などの意見が寄せられたという。
また北川氏は「この洗濯シートは、被災時や断水時など地上でも活用できると考えている。宇宙と同じく水が限られたシーンでの活用は地上においてもいろいろ場面で考えられる」と地上での展開も検討できるとした。
避難所や病院など、地上での使用も
すでに両製品とも、JAXAへの納品が済んでおり、2022年にはISSに搭載される予定だという。
両製品は今後、発展していくであろう宇宙旅行での活用や、水が使えない宇宙と類似環境の被災地や入院時といった地上での展開も検討しているという。
宇宙で快適に過ごすための商品の開発技術が、地上での類似環境でも活用ができるというのは非常に興味深い。
Space Life Story Bookには洗濯や入浴の他にもさまざまな宇宙生活での課題が記載されていた。
こういった課題の解決が地上の環境においての快適さにもつながっていくと考えると、まだ自分からは遠く感じる宇宙の課題に目を向けるのも重要だと感じる。