東京大学、理化学研究所(理研)、科学技術振興機構(JST)の3者は4月15日、次世代の情報処理デバイスの主要材料として注目を集める反強磁性体であるマンガン化合物「Mn3Sn」と、重金属からなる多層薄膜デバイスの膜界面構造の最適化を試み、電気的に読み書き可能な信号をこれまで報告されていた値よりも3倍大きくすることに成功したと発表した。
同成果は、東大 物性研究所(物性研)のTsai Hanshen特任研究員、東大大学院 理学系研究科 物理学専攻の肥後友也特任准教授(研究当時:東大 物性研 量子物質研究グループ 特任助教)、理研 創発物性科学研究センターの近藤浩太上級研究員、東大 物性研 量子物質研究グループの坂本祥哉助教、東大大学院 新領域創成科学研究科 物質系専攻の小林鮎子大学院生、同・松尾拓海大学院生、東大 物性研 量子物質研究グループ/トランススケール量子科学国際連携研究機構の三輪真嗣准教授、東大 物性研 ナノスケール物性研究部門/トランススケール 量子科学国際連携研究機構の大谷義近教授(理研 創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム チームリーダー兼任)、東大大学院 理学系研究科 物理学専攻の中辻知教授(東大 物性研 量子物質研究グループ 特任教授/トランススケール量子科学国際連携研究機構 機構長兼任)らの共同研究チームによるもの。詳細は、国際科学雑誌「Small Science」にオンライン掲載された。
次世代不揮発性メモリとして期待されているのが、磁化の向きを「0」と「1」の情報として記憶できる強磁性体を用いた「磁気抵抗メモリ」だ。特に、強磁性体と非磁性重金属(白金やタングステンなど)からなる多層膜に電流を流すことで起こる磁化反転現象は「スピン軌道トルク磁化反転」と呼ばれ、次世代技術として研究が各所で進められている。また、磁気抵抗メモリのさらなる高速化に向けた開発指針の1つとして、スピンの応答速度が強磁性体に比べて速い反強磁性体の活用も検討されている。
この反強磁性体をメモリとして活用に向け、電気的に情報の書き込みや読み出しが可能であることまでは実証されていたが、その読み出し信号が小さいことが応用する上での解決すべき課題となっていた。
これまで研究チームは、マンガン(Mn)とスズ(Sn)からなる反強磁性体Mn3Snを用いた研究を行い、これまでに、Mn3Snの反強磁性スピン構造が持つクラスター磁気八極子がトポロジカルな電子構造である「ワイル点」や、運動量空間における仮想磁場の向きと対応していることを発見してきたほか、クラスター磁気八極子の向きによって、ワイル点と仮想磁場に由来した応答を制御できることなどを明らかにしてきた。
最近の研究でも、スピン軌道トルクを用いて応答を電気的に制御する手法の開発に成功したことを報告している。
今回の研究では、反強磁性体Mn3Sn多結晶薄膜と重金属薄膜を含む多層膜からなるホール電圧測定用の素子をシリコン基板上に作製し、書き込み電流によるホール電圧の変化を室温で測定。多層膜の積層構造や成膜プロセスをこれまでの研究から改良を施し、Mn3Sn層の結晶配向性と重金属との界面構造を変えることで、読み出し信号の増強が試みられた。
その結果、従来のルテニウム/Mn3Sn/タングステン多層膜の素子の3倍ほど大きな読み出し信号の電気的制御が可能であることを確認したほか、今回の素子では3mA程度の電流を流すことで1mVの電圧が発熱の影響なく取り出せることも確認されたという。
この読み出し信号の増大は、成膜プロセスの改良により、Mn3Sn層の結晶粒がより読み出し信号を大きくする方向に配列したこと、ならびにMn3Snとタングステンの界面が平滑になったことが主な要因であると考えられるという。
さらに、スピン軌道トルクを用いて反強磁性体Mn3Snに情報の書き込みを行う技術も開発されており、この方法を活用すれば、強磁性体の場合と同様の素子構造を用いることができ、現在、不揮発性磁気抵抗メモリで使われている技術の適用が可能であるという。
なお研究チームでは、今回実証された手法はデータセンターでの高速情報処理やビヨンド5G通信で求められる超高速駆動可能な磁気デバイス開発に有用な知見をもたらす考えられるとする一方、情報機器への実装を進めるためには、反強磁性体において期待されるピコ秒での高速情報処理の実証や読み出し信号のさらなる増強が重要になるとしている。
また、固体物理学的にも、今回の研究からワイル粒子を電気的に制御して効率よく読み出し信号を得る手法が開発されたことから、これまで観測できなかったワイル粒子のダイナミクスなどの非平衡物理やそれによる新しい現象の研究へつながることが期待されるとしている。